茶色で細長い形の麩菓子。食べるとコクのある甘さが口に広がる。人によってはこれを「甘い」とは感じないかもしれない。
それは使用している砂糖が黒糖だからで、現代人は黒糖を甘いとはなかなか感じない。
しかし、日本という国は案外広い。白糖を使用した麩菓子もちゃんと存在する。しかもその麩菓子は、ピンク色に着色されている。
今回は静岡県の菓子「さくら棒」について解説していきたい。
静岡市のスーパーマーケットの定番
静岡県静岡市在住の筆者だが、言葉に駿府訛りがあまりない。
それは物心ついた時から高校を卒業するまで神奈川県相模原市に住んでいたから。この生い立ちについては静岡おでんの記事で詳しく書いた。
筆者の父親は黒はんぺんが好物だったが、一方でさくら棒はあまり食べなかった。彼は下戸で菓子ばかり食べていたことを考えると、これは不思議な現象だ。
静岡市のスーパーマーケットやドラッグストアに行けば、必ずと言っていいほどさくら棒を見ることができる。
茶色ではなくピンク色に着色され、その味も茶色の麩菓子とはまったく異なる。白砂糖の甘さが口に広がるのだ。麩菓子だから歯で噛み砕く必要はなく、唾液で溶けてしまう。
静岡市内の駄菓子の定番と言えば、おでんとこのさくら棒である。
駄菓子屋にもさくら棒が!
静岡では駄菓子屋でおでんが売られていることは、全国でも知られるようになった。もっとも、最近では駄菓子屋などすっかり見かけなくなったが。
そして、駄菓子屋のもうひとつの目玉がさくら棒である。大抵はフランスパンのような大きさのまま袋に入れられている。これで野球かスポーツチャンバラができるのではと思ってしまうような大きさだ。
静岡市内の祭りでも、さくら棒は必ず見かける。「さくら棒屋台」というものが存在するのだ。県外から来た人は、皆一様に驚愕する。
ただ、筆者の両親に限って言えばさくら棒はあまり好きではないようだ。父も母も、現代的なスナック菓子をつまんでいる。「近代駄菓子が伝統駄菓子を追いやる」という問題は、静岡に限ったことではないはずだ。
癖のない甘さ
さて、今回は記事を書くにあたり敷島産業の『こつぶさくら棒』を購入。近所のスーパーマーケットで手に入れた。
小売店で売られているものは、さすがにフランスパン型ではない。包装できるよう細かく切られている。
麩菓子だから、バリバリと噛み砕く感じではなく口に入れたらいつの間にか飲み込んでいる、という表現が正しいか。袋の中のさくら棒が、あっという間になくなっていく。大人数で1袋を食べるとしたら、短時間のうちに中身が枯渇してしまう恐れがある。現代人の舌には若干物足りない、とも思えてしまう。
それは近代駄菓子が敢えて癖の強い風味にしてあるからだ。これ以上ない甘さを加えているのもあれば、辛さを増しているのもある。賛否両論が発生するほどの強い癖を持たせなければ話題にすらならない、というのはマーケティングの基礎知識でもある。
そういう意味で、さくら棒のような無難な甘さの駄菓子はかなり不利な立場に置かれるだろう。
Amazonでいつでも取り寄せ
もちろんそれは、商品自体の敗北を意味しない。
近代駄菓子の「味の過激化」に霹靂している人は一定数いるはずで、その人たちにとってはさくら棒の風味はむしろ新鮮なものかもしれない。
幸い、現代にはインターネットというものがある。Amazonにもさくら棒が出品されている。北海道から沖縄まで、さくら棒が食べたいと思えばいつでも食べられるインフラが整っているのだ。
現代には、地方の伝統菓子を見直すための環境がある。それをフル活用しない手はない。GAFAは日本の地方振興や文化人類学に大きく貢献している、という表現は少し言い過ぎか。しかしAmazonやGoogleがなければ、北海道民が静岡の伝統駄菓子などに触れることは決してないはずだ。
筆者は、人類の未来に対してかなり楽観視している。「地球温暖化が進んで20年後には人類が絶滅する」というハナシもあるが、それを信じている人でもインターネットは絶対に手放さない。世界中の人々が簡単に交流できるようになり、人類の歴史はここからが本当の始まりなのではと筆者は感じている。
21世紀も20年が経とうとしている今だからこそ、伝統的なモノやコトにアクセスすることができる。そのような素晴らしい時代に、我々は生きているのだ。