師走の古都の昼下がり。川のほとりにたたずめば、白いちょうちょがひらひらと……。彼らの出番は春先と決まっているのに、目の前を飛び交う物件はなんだ。とうとうやって来た“お迎え”の前ぶれか!?
「ちょうちょは春」の思い込みをくつがえしたのは京野菜を手がける石割照久(いしわり・てるひさ)さんの広々とした畑でした。名だたる料亭や高級飲食店をうならせるという石割さんの野菜づくりにはどんな秘密があるのでしょう。
はくさい、だいこん、かぶなどの畝(うね)が彩(いろど)るグラデーション
他府県が原産地だった京野菜のルーツ
――リストランテ ディボ・ディバの西沢昭信さんのご紹介でお邪魔しました。
石: 聞いてます。ええ意味で、うるさい人ですわ。素材に関しては絶対に妥協せえへん。せやから、こっちも気を抜けん。お互いに真剣勝負や。
――どういうご縁ですか。
石: 京都市が企画した京野菜の講習会で出会いました。市から頼まれてたまたま出した九条ねぎを「香りが違う!」と感動してくれはったんです。「ほんなら、これどぉ?」という感じで別の野菜出すと、また喜ばれる。そういう反応をすぐに返してくださる貴重な存在です。
プロの料理人、西沢昭信さん(左)とは講習会で意気投合して以来の付き合い
――それにしても、広い畑ですね。
石: こっから見えるとこ全部です。見えへんけど、橋の下の向こうにもあります。見えてるとこだけでざっと7反、約7000平方メートルですわ。ルッコラなんかを栽培するビニールハウスも別の場所に建ててます。
桂川に沿って広がる石割さんの畑の右半分を堤防から望む
――そもそも、京野菜ってなんですか。そう呼ぶ決まりはあるんですか。
石: 逆に、京野菜と言うとどんなイメージがあります?
――語感的にはなんとなく、雅(みやび)な印象。具体的な名前だと九条ねぎとか、聖護院だいこんとか、賀茂なすとかですかね。あ、みんな地名が付いている。
石: そうなんです。とりあえず、京都でつくられていて、江戸時代以前からある伝統的な野菜をうちでは京野菜と呼んでます。ベタですけど。でも、それぞれの祖先は京都以外の土地から入ってきてるんです。聖護院だいこんは尾張、聖護院かぶは近江、鹿ヶ谷かぼちゃは東北という具合。
――なるほど。朝廷や寺社仏閣に献上される形で京に上ってきたんですかね。
石: 恐らくそうでしょうな。献上品の一つに特産の野菜が入っていた。西沢さんにも喜ばれてる九条ねぎは伏見稲荷大社が建立される時に大阪から入ってきたものです。氏子がたくさん住んでいた九条で栽培されたのが始まりです。
しっかりと根を張る九条ねぎ。しかし、収穫時にはスッと抜けるほど土が柔らか
120%の目標を立てて100%に落とし込む
――石割さんは2018年に京都・食文推進会議から「京都和食文化賞」を贈られています。野菜づくりで常に心がけていることは。
石: 自分たちが食べられないものはつくらないし、出荷しない。これに尽きます。お客様の口に入るものだからです。市場に入ってしまえば業者には畑でどうやってつくられているかは分からない。だから我々に責任があるんです。
――どんな風に責任を果たしているんですか。
石: 基本的に有機肥料で育てます。農薬はほぼゼロ。30年以上、このスタイルを貫いています。
――農薬を使わないと収穫に響くでしょう。
石: 響く響く。せやから、120%の目標を立てて生産して100%に落とし込む。その加減が難しい。歩留まりを落とさないように、農薬を使わないだけでなくて、肥料の配合や土づくり、いらなくなった葉っぱの捨て方、除草法など細かなことにも気を配っています。
畝にほどこされている肥料の一部。門外不出の配合が野菜の絶妙な味わいの源
プロの料理人に応えるオーダーメイド野菜
――そうやって育てられた石割さんの野菜はどういうルートで市場に出るのですか。
石: 生産する野菜は契約している飲食店や百貨店、専門店だけに卸します。80%はプロの料理人の要望に応えるオーダーメイド野菜です。これくらいの大きさでとか、これくらいの甘さでとか、サイズも味も極力相手の好みに沿うように段取りします。肥料の配合や調整、世話の仕方など、いろんなノウハウがあるんですが、まあ、企業秘密ですわ。
――手がかりだけでも教えてください。
石: かなわんなぁ。大ざっぱに言うと、味の濃いもの、薄いものをつくり分けるのはたやすい。決め手になるのは肥料と土壌。京都は基本的に薄味なので、インパクトのあるものは好まれない。逆に、洋食系にはガツンとくるものが受ける。せやから、お客様本位をいつも大切にしています。西沢さんとことの付き合いのベースもそこにあります。
石割さんが自ら届けたレストランテ ディボ・ディバ用のみずみずしい野菜
敵に回さず、対話で自然と折り合いつける
――肥料と共に決め手になるのは土壌だということですが、そこのところ詳しく。
石: 突っ込むね。地理と歴史の話、いっぺんにしますが、この畑は平安時代から始まります。先祖が石だらけの土地を割って開いたから石割?と言われています。私で10代目。このあたりは桂、宇治、木津の三川が合流する地点に近いんです。合流点に近いということは氾濫しやすいということです。実際、それを繰り返して土壌が肥えてきた。ところが、時々、たちの悪い氾濫が起きる。実際、2012年の洪水の時は表土が流されて畑と、そうでないとこの境界がなくなった。ぐっしゃぐしゃです。精魂込めた土壌のバランスも崩れてしまった。バランスが崩れると味も変わります。凹みます。
――農業が自然との闘いであることがよく分かります。
石: でも、20年もいろんな経験を重ねてくると、だんだん“敵”が見えてくる。経験則で、天候が読めるようになるんです。例えば、今年は秋が短くて冬が早めに来ると読めば、それに応じて種をまいたり、肥料を加減したりする。折々の山の姿や生き物の動きも役立ちます。カモがやってきたら1~2週間後に冷え込むだろうと見当をつける。要するに、自然と対話するということですね。
かぶは小さな赤子を抱くように持つ
――そうやって苦労して育てた野菜だけに、やはり、可愛いでしょう。
石: そうですね。わが子のようなものやから、ぞんざいには扱えません。例えば、このかぶにも持ち方があるんです。必ず実のほうを顔に寄せて、葉は下向きにする。小さな赤子を抱く要領です。ついた泥は葉っぱで拭うと、きれいに取れます。拭った葉っぱは畝(うね)に返します。やがて、土に戻るからです。畝にはもみ殻だけでなく、肥料も一緒に入れてある。これもノウハウ。
石割さんに抱かれるかぶはまるで本当の赤ん坊。自然に笑みがこぼれる
――ここは九条ねぎのエリアですが、なかなか壮観ですね。思っていたより、しっかりしているという印象です。こう、すっくと立っている。
石: これでもまだ60%の仕上がり。食べごろはバナナの太さ。収穫期になると、甘くて、なんとも言えんとろみが出ます。ほんと、これがねぎ? という感じ。
ねぎの色に合わせたコーディネートで育ち具合を確かめる
――西沢さんの店のメニューはこうして大切に育てられた野菜しか使っていませんね。
石: その代わり、注文はいっぱい来ますよ。容赦なく、おいしくないと言われますから。でも、そういう厳しい声や要望を聞きたくて直接、自分で届けるんです。業者任せだと絶対に都合の悪い話は聞こえません。
――西沢さんのようなプロの料理人のほか、一部の百貨店でも、石割さんの野菜は買えますね。というか、そこでしか買えない。
石: 東京方面だと、伊勢丹さんか紀伊国屋さん。量を出せへんので、現在は百貨店、専門店、それぞれ一店舗限定です。
野菜の顔色をうかがいながら肥料をやる
――この広々とした畑を何人で世話しているのですか。
石: 3人です。私と嫁さんと修業中の子。この子には、次を継いでもらうために自分のしてきたことを全部教えています。息子も時々手伝ってくれますが、基本的には3人。それこそ、口伝で教えます。なんで、この時、こうするか。根拠を示して、いちいち教えます。今風にいうとエビデンスですか。言われただけでは理解できないので、理屈と共に実地指導で教えます。
後継者が石割さんから手ほどきを受ける畑は実践的な「道場」でもある
――なんか、芸事の世界に通じるものがありますね。
石: 好きにせえ、ではあかんのです。任すと再現できないからです。例えば、うちが入手している肥料が最高のパフォーマンスを発揮するためにはタイミングと量が決め手になります。気が向いた時にやろか、ではあかん。きょうの昼過ぎがベストタイミングだとします。それを絶対に逃がしてはあかん。元も子もない。せやから、野菜の顔色をうかがわなあかんのです。
――思ったよりも、繊細な作業なんですね。
石: 種まいて、それなりの世話をすれば、野菜はなんぼでもつくれます。量はできる。しかし、味の深みが出ない。うちのように、オーダーメイドを売り物にしているところではなおさらです。つくればええというもんじゃない。そこが難しいんです。
栽培される野菜のほとんどは出荷先の要望に合わせたオーダーメイド品
30年前は第一線の営業マンだった10代目
――10代目として先祖から受け継いだ農地を守る前はFA(ファクトリーオートメーション)企業の営業マンをしていらっしゃっとか。
石: 30年前の話です。いわゆる農家の長男ですから、親父の後を継ぐのは宿命だと思っていました。だから、必ず戻るという条件でFA企業に入りました。外の世界の経験を農園経営に役立てたいと思ったからです。
――外の世界の経験はどう生きていますか。
石: 一種のマーケティングです。料理人であれ、小売店であれ、皆さん、それぞれ欲しいものがあるでしょ。その要望に耳を傾けて、注文通りの野菜を提供する。そういうビジネス感覚です。ものが安くなるのは、みんなが同じものをつくるからです。肝心なのは需要と供給のバランス。経済のイロハのイです。
――一般消費者には石割さんの野菜のどこを見てほしいですか。
石: 見た目では分かりませんね。まずは食べてもらわんと。手っ取り早いのはディボ・ディバに行くこと。まあ、自由やけど。例えば、だいこん。心構えとしては、取ってるときはかたいけど、火を入れたら、箸でスッと切れるくらい柔らかくなって「なにこれ!」と言われるくらいの品物をつくりたい。後で「あのだいこんないの?」と指名されるようになったらしめたものです。実際、紀伊国屋さんでは、うちのラベル見て「あの人のが欲しい」と言われたそうです。そういう品種をたくさんつくりたいですね。
石割さんの畑で収穫された京野菜の数々
ちょうちょもカラスもヌートリアも
――あれ? ちょうちょですよね。
石: おもしろいでしょ。12月ですよ。うちの畑、どこでもいます。理由は簡単。農薬まいてないからです。モグラもカラスも覗きに来ます。特にカラス。「畑ならよそにもあるやん」て言うても来ます。狙い撃ちです。時々、桂川からヌートリアが上がってきて物色しています。
――自然との折り合いは天候だけでなく、生き物ともつけねばなりませんね。
石: まあ、人間も自然の一部と考えれば仕方ないかなと。せいぜい、ちょうちょやカラスに好かれる仕事を続けていきたいですわ。