大河ドラマ「麒麟がくる」で本能寺の変がどのように描かれるか、大河ファンは興味津々。明智光秀が謀反をおこした理由のひとつとして度々ドラマにも描かれているのが、光秀が準備を命じられた家康をもてなすための料理が織田信長の機嫌を損ね、皆の前でブチ切れされたことへの「怨恨説」です。
足蹴にされるほどのお献立っていったいどんな内容だったの?本当にそんなにダメ出しされるものだったの?いったいどこがいけなかったの?
当時の饗応膳と、再現された饗応膳で検証してみました。
信長から饗応役に命じられた光秀
わかりやすく言うと、社長(織田信長)が大切なお取引先(徳川家康)を接待するにあたり、お店選びを任されたのが有能な部下(明智光秀)です。命じられた部下は、「ぐ〇なび」やら「タ〇ログ」などで、お店選び(饗応膳の内容を考える)をする必要があったわけです。
現代的なイメージがわいたところで、内容を細かく見ていきましょう。
家康が信長を訪ねて安土を訪れる
信長は、織田と武田の戦いで貢献した家康に駿府を与え、家康は天正10年5月15日、そのお礼に安土を訪れます。この時、饗応役を仰せつかったのがこの約2週間後に本能寺の変で信長を討つ明智光秀です。光秀は文化や伝統に通じ、教養も高かったといわれています。信長も光秀のことは高く評価していて、その前年に京都で行われた信長の馬揃え(パレードのようなもの)も光秀を責任者として任命しています。
安土を訪ねた家康のために用意された饗応膳は、15日の昼から17日まで続きました。安土城天主 信長の館に当時の饗応膳の内容が「信長の家康饗応膳 復現レプリカ」として展示されています。
光秀が用意した本膳料理
光秀の用意した饗応膳は“本膳料理”という室町時代に武家が客をもてなすための料理として成立したもので、今の日本料理の原型と言えます。館内では「十五日おちつき膳」と「晩御膳」が展示されています。到着した日のランチ(十五日おちつき膳)は「本膳」「二膳」「三膳」「与膳」「五膳」「御菓子」からなる、格の高い豪華なもの。
光秀は各地から集めた山海の珍味を使った料理で家康をもてなしました。
本膳:たこ、鯛の焼物、菜汁、なます、香の物、ふなのすし、御飯
二膳:うるか(アユの内臓・卵を塩漬けにしたもの)、うちまる(ウナギの丸焼き)、ホヤ冷や汁、ふとに、かいあわび、はむ(はも)、こいの汁
三膳:やきとり(キジ)、つる汁・やまのいも、かざめ(ワタリガニ)、にし、すずき汁
与膳:巻きするめ、鴫つぼ、鮒汁、しいたけ
五膳:まながつお刺身、生姜酢、ごぼう、鴨の汁、削り昆布
御菓子:ようひもち(羊皮餅)、まめあめ、美濃柿、花に昆布、から花(実在しない花で、飾りに添えた)
現代においてもこれほどの食材を集めるのは、料亭やホテルのように普段からの仕入ルートがないとなかなか大変です。光秀の力の入れようが窺えます。
現代風においしく再現してみた
耳慣れない料理もありますので、イメージを掴むために現代風に再現したものをご紹介しましょう。
これは安土城がある近江八幡市の休暇村近江八幡で『安土饗応膳』として再現されたものです。先ほどの昔のメニューを見るよりも、こうして視覚で訴えられるほうが非常に理解しやすいですね。高級食材が含まれ、旅館や料亭で出されるような豪華な内容です(すき焼きは当時の饗応膳には含まれず)。これは地元の有志が饗応膳を後世に残すための復刻プロジェクトを結成し現代風に再現したもので、休暇村近江八幡で宿泊プランの夕食や予約制で提供されているお料理です。
今では美味しくいただけますが、最初は忠実に再現しすぎて現代人の口には合わないものだったそうです(笑)
当時は蒲焼の技術がなかったので丸焼きにしていたウナギですが、現代風では蒲焼にされています。やきとりも、キジ(ひばり・すずめ説あり)ではなく鶏が使われていて、私たちが現在食べているのと違和感なく作られています。
饗応膳のどこに問題があったのか
魚が腐っていた説
見る限りとても豪華で何の問題もなさそうなのですが、信長のお怒りポイントはどこにあったのでしょうか。特に家康の好物の鯛は合計7度もメニューに登場したようです。ドラマなどでは、魚から腐臭がしたとして信長から饗応役を解任される場面もよく描かれていますが、ここまでこだわった料理を用意しながら、魚が腐っていたなどという初歩的なミスは実際には考えにくいように思われます。
鮒ずし説
こちらもよく耳にする鮒ずし説。鮒ずしは、琵琶湖でとれるニゴロブナを塩漬けにし、ご飯を重ねて自然発酵させたものです。独特の強い香りがあるので、好き嫌いが激しく分かれます。ですが信長も家康もこれより前から鮒ずしを食べていたのではないかといわれています。それ以前に、鮒すしを知らない人にいきなり出すということはないように思われ、この説もいささか説得力にかけます。
豪華な膳の演出
光秀は膳の準備にも心を砕いています。
当時のおもてなしは料理が一度に並べられるので、配膳される際の華やかさが強調されました。さらに膳の演出として様々な飾りをします。
献立に「をけ金」「きそく(亀足)金」「かわたて(甲立)」などと書かれていますが、料理をより華やかにし、膳の雰囲気を豪華に演出するものです。「をけ金」とは料理を盛りつける皿の下の台を金や銀で塗り、絵をほどこしたものです。
それから「きそく(亀足)」とは料理にさされた串のことをいい、これも金色にほどこされ膳を華やかにします。「かわたて(甲立)」は金箔の紙を皿に敷いたもので、盛りつけた料理がこぼれることを防ぎ、また料理を引き立てるデザインとして機能しています。また、「から花」は造花で、膳のアクセントとして、まさに料理に花をそえます。こうした飾りは中世の様式を踏襲した「本膳料理」の特徴でもあります。
がんばりすぎた結果…
信長の館の饗応膳のレプリカの説明には
「支度が行き過ぎである」と叱責され
という記述があり、信長のブチ切れポイントは、将軍の御成(臣下が貴人をもてなす食事)のようで支度が行き過ぎている、ということが理由だったようなのです。
頑張った結果この評価は……ショック!どうやら光秀は張り切りすぎたようです。知識がありすぎたがゆえにMAXのおもてなしをしてしまったのではないでしょうか。
本能寺の変を語る上で度々話題にあがる疑問。魚は腐っていたのか?鮒ずしが信長の怒りに触れたのか?
信長がキレた理由は腐った魚でも鮒ずしの臭いでもなく、信長と家康の上下関係に相応しくない、場合によっては配下の武将に誤解を与えるような豪華すぎる饗応膳を用意したことだと考えられます。
ここからは私の個人的な見解ですが、信長の館での饗応膳のレプリカと説明書からは一般的に語られているような信長の光秀に対する理不尽な仕打ちというよりも、「光秀なら説明せずとも自分の意を汲み取って万事うまく取り計らうであろう」という信長の光秀に対する信頼が感じ取れました。
皆さんはどうお感じになるでしょうか。ぜひ一度、豪華な饗応膳のレプリカをご覧になりながら想像してみてください。
安土城天主 信長の館
住所:滋賀県近江八幡市安土町桑実寺800
時間:9:00~17:00(最終入館16:30)
料金:大人610円、学生:350円、小人170円
アクセス:JR琵琶湖線安土駅下車、徒歩約25分(レンタサイクルで約10分)
休暇村近江八幡
住所:滋賀県近江八幡市沖島町宮ヶ浜
大河ドラマ「麒麟がくる」近江八幡市推進協議会 協力
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