祗園祭の見どころは、なんといっても「山鉾巡行」
今年、「長刀鉾」になんと若冲作品が!
7月17日の前祭(さきまつり)、24日の後祭で巡行する祇園祭の山鉾(やまぼこ)はそれぞれ、世界各国の染織品をはじめ、長く受け継がれてきた歴史の各時代を代表する国内の作者による絵や工芸品など、非常に重要な美術品で彩られ、実に華麗な世界をつくり上げています。
たとえば、山鉾の周囲を飾る水引や前懸(まえがけ)、胴懸(どうがけ)、見送りなどに用いられる布は、中国やインド、ペルシャ、ベルギーなどでつくれられた段通やタペストリーで、屋根裏には円山応挙(まるやまおうきょ)の洒脱な絵があったり、角金具や房飾りにも繊細巧緻な細工が施されていたり、まさに絢爛豪華そのもの。
写真/この長刀鉾の後ろの見送りの部分に、今年から若冲の作品が掲げられることに。
それらの山鉾の中でも、巡行ではつねに先頭を務めてきた「長刀鉾(なぎなたぼこ)」の飾り幕が、なんと今年、生誕300年で大人気を博している伊藤若冲の絵を基にした織物に新調されました。
ベースとなっている作品は、宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵する『旭日鳳凰図(きょくじつほうおうず)』。かの有名な『動植綵絵(どうしょくさいえ)』を思わせる巧みな筆さばきと彩色で描かれた、雌雄の鳳凰が翼を広げる姿が印象的な作品です。
それが、約3.5×1.8mの絹糸と金糸の約800色のつづれ織りで再現されているのですから、若冲ファンには決して見逃せないはず!
新調された飾り幕は長刀鉾の後部を飾る見送りに用いられることになっていて、7月13日から16日まで長刀鉾保存会の会所に展示され、17日の巡行で初めて鉾に飾られることになっています。
長刀鉾に飾られる若冲の絵がどんな作品なのかはニュースサイトをご参考に!
祗園祭とはどのような行事・神事なのか……
祗園祭は7月16日の宵山、翌17日の山鉾巡行があまりにも有名ですが、実は京都の7月は一か月にわたって祗園祭の行事が行われ、祗園祭に席巻されると言っても過言ではありません。
祇園祭の始まりは貞観11(869)年、京の都に蔓延(まんえん)した疫病を追い払うため、神泉苑(しんせんえん)に66本の矛を立てて祗園の神を祭り、災厄除去を祈ったことに由来するといわれます。
当時、頻発した疫病をはじめ、洪水や落雷などの天災にいたるまでの災厄は、恨みを抱いたまま亡くなった人々の怨霊の仕業(しわざ)だと考えられていました。その怨霊を鎮めるために、田楽(でんがく)や猿楽(さるがく)などの歌舞芸能が尽くされていたのです。
現在の山鉾巡行の形態は南北朝時代に整い始め、室町時代には特色ある山鉾が多数つくられます。しかし、応仁元(1467)年から11年間に及んだ応仁の乱によって祗園祭は中断を余儀なくされました。
写真/祗園さんの名で京の人々に親しまれている八坂神社。祇園祭は八坂神社の大切な祭礼だ。
応仁の乱による荒廃から都が立ち直る原動力となったのは、昔から都を災厄から守ってきた祇園祭。明応9(1500)年に山鉾が復活したことによって、都に華やかさが戻ってきます。
その後、海外貿易が盛んになり、町衆が財力をつけるとともに、山鉾の装飾も次第に華やかさを増していき、江戸時代には数度に渡って火災に見舞われて多くの山鉾が焼失したものの、その都度、町衆の心意気によって山鉾は復興。より豪華なものへと生まれ変わり、現在まで連綿と受け疲れています。
1000年以上の歴史をもつ祗園祭。その根本にあるのは祗園の神への信仰です。それを物語るのが、祗園祭の期間によく目にする茅(ち)の輪守りや「蘇民将来子孫者也(そみんしょうらいのしそんのものなり)」と書かれた護符。これは『備後国風土記(びんごのくにふどき)』にある伝説に由来します。
祗園の祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)が南海を旅した時のこと、蘇民将来と巨旦将来(こたんしょうらい)というふたりの兄弟に宿を求めます。しかし、裕福な巨旦将来は拒み、蘇民将来は貧しかったにもかかわらず手厚くもてなしました。
素戔嗚尊はその礼に、蘇民将来とその家族には茅の輪を腰につけさせて厄病除けを行い、「後の世に厄病あらば、蘇民将来の子孫といい、茅の輪を腰につけていれば免れさせる」と言ったといいます。
祗園祭のときに軒先に粽(ちまき)を飾ったり、榊(さかき)の小枝に護符をつけて腰にさすのはそのため。夏越祭(なごしさい)で大きな茅の輪をくぐって厄除けをするのも、蘇民将来の故事にならって行われるものです。
写真/7月14日~17日の宵山期間には、四条通に立つ長刀鉾をはじめ、各鉾町に鉾が立ち、お囃子が奏でられ、中心街はお祭り気分一色になる。15日、16日は四条通が歩行者天国になり、屛風祭を見学したり、露店を冷やかしたりして、祭の風情を存分に味わうことができる。
現在では、祗園祭というと7月16日の宵山や17日の(前祭)山鉾巡行、昨年復活した24日の(後祭)山鉾巡行がとくに有名です。この、古都ならではの風流に満ちた行事を目当てに、京の街にはたくさんの人が集まります。
山鉾巡行の前日の宵山では、各鉾町の会所では山鉾に飾る懸装品(けんそうひん)が展示されます。また、鉾町の町家でも客迎えのしつらえが行われ、屛風、段通(だんつう)、軸など、様々な美術工芸品が飾られます。
それがいつのころからか屛風祭と呼ばれ、宵山の見もののひとつになりました。普段は紅殻格子(べんがらごうし)の奥を見ることができない町家も、この数日に限っては通りに面した格子や戸障子が取り払われ、道行く人々に開放されます。
客迎えのしつらえは単に秘蔵の美術品の展示だけでなく、家々の主人の教養や美意識を表現する場。比較的古い街並みが残っている新町通を中心に、20軒ほどが行っている屛風祭は、日ごろ目にすることができない京町家の晴れの姿や、祗園祭の風流を体感する絶好の機会です。
写真/鉾はまるで、動く美術館!
そして祗園祭で最高の盛り上がりを見せるのが17日の山鉾巡行。前述のように絢爛豪華な山鉾は、神道のみならず、仏教や旧約聖書、中国の故事にまつわるものまで様々な神が集合し、祗園の神を迎える形になっているのも興味深いところです。
山鉾巡行が終了した後は、八坂神社の神輿(みこし)3基が氏子(うじこ)地域を渡御、17日は四条寺町の御旅所(おたびしょ)に渡り(神幸祭)、そこで7日間を過ごし、24日に再び八坂神社に戻ります(還幸祭)。3基の神輿は八坂神社の祭神である素戔嗚尊、その妻の櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、その子の八柱御子神(やはしらのみこがみ)。祭神は年に一度、洛中を遊行(ゆぎょう)し、人々の無病息災を祈るのです。
このように、あらゆるものを包括し、調和させているのが祗園祭の大きな特徴です。そこには、京の町衆の見識の高さや洗練されたセンスを垣間見ることができます。神事と風流が見事にからみ合い、華やかに繰り広げられる祗園祭の一か月間は、京都の粋と言っても過言ではありません。
スケジュールをはじめとした祗園祭の詳しいことは、特別サイトでお確かめください。