縄文人は蛇がお好き?! 関東〜中部まで一大文化圏を築いた八ヶ岳の土器がすごい!
そもそも、「縄文土器」と一口に言っても、地域や時代によってその造形は様々。たとえば有名な「火焔型土器」は、中期中葉の新潟周辺で500年間だけ作られたスタイルで、他の時代や地域で見ることはできません。八ヶ岳の土器は、一般的に「勝坂式土器」と呼ばれています。このスタイルの土器は、長野県各所はもちろん、山梨県、群馬県、また遠く埼玉、東京、神奈川にも広がり、一大文化圏の体をなしています。勝坂式土器の特徴は、ひとえに「豪壮かつ雄大」な造形にあります。ではさっそく、その素晴らしき謎すぎる造形をご覧頂きましょう。
蛇体把手土器(じゃたいとってどき)
勝坂式土器に特徴的なスタイルの一つに、「人や動物の顔を土器に模す」というものがあります。中でも、蛇のような装飾が施された「蛇体把手土器」は、まさに尖石遺跡のあたりで生み出され、各地に広がっていったと見られている、この地域のシンボル的土器です。
「蛇体把手土器」(全て尖石縄文考古館蔵)
土器の表面をよく見てみると、白い粒々した砂が混ざっているのがわかります。これは八ヶ岳付近を原産とするデイサイトと呼ばれる岩を砕いたもので、土器の乾燥を早めるために混ぜたとも、土器を焼く際の爆発を防ぐために混ぜたとも言われています。ここで驚きなのは、八ヶ岳から離れた松本や甲府盆地で作られた蛇体把手土器にも、八ヶ岳のデイサイトが使われているということ。つまり、遠方の八ヶ岳でしか手に入らないものをわざわざ運んできて混ぜていた、あるいは八ヶ岳の麓で粘土にデイサイトを混ぜてその粘土を運んできたということです。蛇体把手土器の発祥地である八ヶ岳に敬意を払ってのことか、「蛇体把手土器には必ず八ヶ岳のデイサイトを」という認識があったのかもしれません。
抽象文土器(ちゅうしょうもんどき)
「蛇体把手土器」から少し時期を遡ると、苦し紛れに「抽象文土器」と呼ばれている、謎の文様の施された土器が出てきます。こちらもやはり、八ヶ岳文化圏に特徴的な土器の一つで、ここを発生源に遠く東京都や神奈川県にまで広がっています。
「抽象文土器」(全て尖石縄文考古館蔵)
このイルカのような、ワニのような文様、一体何を表しているのでしょうか。
「抽象文」拡大。研究者の間でも長いこと議論がなされているようで、イルカ、ワニの他、サンショウウオ、魚、ナメクジ、あるいは縄文人の神話に出てくる伝説上の生き物(龍や鳳凰のような)ではないか、などの意見もあるんだとか。
ここで山科さんが、その謎を解くヒントとなる土器をみせてくれました。
「抽象文土器」(尖石縄文考古館蔵)
こちらの土器は、先に示した抽象文土器が作られるようになる少し前の時期に作られていた、抽象文土器の原型と見られる土器です。ここで用いられているモチーフは、やはり蛇。ということは、やはりあの謎の抽象文のモチーフも、元々は蛇だったんでしょうか・・・?