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2017.06.08

眼福!東京・等々力渓谷で、より道の旅しませんか?

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都会にある奇跡の自然と、名刹、名美術館

いつもどこかで新しい建物が建設され、街が変わりゆく東京。世田谷区に残る等々力渓谷(とどろきけいこく)は、希有な存在です。渓谷林(けいこくりん)と湧き水、そして谷の壁には地層が現れ、なんと横穴古墳や聖域までも。自然と歴史、文化が渾然一体(こんぜんいったい)となっています。また、西へゆけば秋の国宝公開に沸く五島美術館。東へゆけば九品仏を奉る淨眞寺。秋空の下、東急大井町線沿線を歩いてみましょう。東京の意外な一面が見えてきます。
dma-p152-版下世田谷等々力郵便局の風景印

高級住宅街に緑色の谷がのぞいている。それは東京の遠い横顔

多摩川の北側に位置する、東京・世田谷の小さな街。上野毛、等々力、尾山台、九品仏の駅で乗り降りする人の多くは生活者です。観光や買い物客が多い街の浮き足立つ気配はなく、時計の針が少しゆっくり動いているような。まずは東急大井町線を敷設した五島慶太が住んだ上野毛へ。

さて、ここにも富士見の地があります。冬の晴れた日には富士山を望む「富士見橋」。眼下を大井町線の電車が走り、二子玉川へ抜けていく様子はまるで都会のジオラマみたい。
スクリーンショット 2017-06-07 12.23.52富士見橋の下を東急大井町線がゆく。

すぐ先が「五島美術館」です。東京急行電鉄の会長だった五島慶太が、美術館の創設に先立ち、収蔵品の華と目したのは、「源氏物語絵巻」と「紫式部日記絵巻」で、いずれも国宝です。その絵巻の世界観は、建物にも反映されています。太い丸柱や、蔀戸(しとみど)を意匠化した格子、平安有職文様(へいあんゆうそくもんよう)の床などなど。建築家の吉田五十八が近代建築に込めた寝殿造のエッセンスを、探してみるのも面白いかもしれません。
スクリーンショット 2017-06-07 11.57.24世田谷の美の殿堂、「五島美術館」。

南側の庭へ出てみると素朴な雑木林。国分寺崖線(こくぶんじがいせん)といわれる斜面を歩いてみると、茂みのあちこちから、石仏が“こんにちは”。五島慶太が伊豆や長野の鉄道敷設を行った際に引き取ったものとか。慶太翁の庭歩きの楽しみを追体験するようです。

美術館の周辺はお屋敷街で、きれいな街並み。ご近所の蕎麦店「季寄 武蔵屋」で色白の蕎麦と昼酒でのんびり休憩を。
スクリーンショット 2017-06-07 11.59.40「季寄 武蔵屋」の「天せいろ 大海老」

鉄道王が愛した野仏の庭へ。大井町線は今も人と文化をつないで走る

上野毛駅前では青森の旬の食品が揃う店「十和田の食卓」へ。果物や野菜目当ての世田谷マダムも。
スクリーンショット 2017-06-07 12.05.40青森の野菜も買える「十和田の食卓」。

お隣の等々力駅へは、大井町線で向かいます。鉄道と平行して流れる谷沢川(やざわがわ)は、等々力駅近くで南下。多摩川へ注ぐ前のおよそ1㎞が等々力渓谷です。橋のたもとから10mほど階段を下りると、空気がしっとり。川の両岸は、行き交う人とゆずり合うように進む遊歩道です。東側の崖面には横穴古墳。入り口にガラスが張られ、中は暗くてよく見えませんが、古くから人の訪れる谷だったのでしょう。
スクリーンショット 2017-06-07 12.06.07等々力渓谷、谷沢川のせせらぎ。

武蔵野台地を川が浸食して形成され、ところどころで地層が顔をのぞかせます。地上に降った雨は、その地層の一部、武蔵野礫層(れきそう)から湧出。遊歩道沿いの草木をひたひたと潤す光景は、コンクリートの街と隣り合わせであることがうそのよう。

光る糸のごとく「不動の滝」が流れています。かつては水音が轟くほどだったことから、等々力の地名がおこったという説も。

石段を上がり「等々力不動尊」へ。本堂の南から、渓谷の林を望む景色も良好です。
スクリーンショット 2017-06-07 12.09.13「等々力不動尊」

等々力駅前には「豆富司 翠家」が。ほんのり青みがかった「桶寄せ豆富」は、舌触りよくお豆の甘みも。「まろやかでしょう。ひたし豆に使う大豆“あきたみどり”の特徴です」とご店主。スクリーンショット 2017-06-07 12.10.08「翠家」の「桶寄せ豆富」

珈琲、鯛焼き古美術鑑賞…。いつしか淨眞寺の空に鐘が鳴り

「和菓子処 八洲」では、甘辛の「やきだんご」がほっとするお味。野草を扱う店「早蕨」で盆栽を愛で、尾山台の商店街をぶらり。鯛焼きや珈琲に心を寄せて。歩を進めると、レトロなビルに「D」の看板。ロングライフデザインをテーマに、家具やインテリア雑貨などを扱うセレクトショップです。お茶屋さんが保存用に使う木製の「お茶箱」は、防虫・防湿効果に優れ、収納用品として人気とか。
スクリーンショット 2017-06-07 12.16.04左/「八洲」の「やきだんご」、右/「早蕨」の盆栽

散歩は終盤、九品仏駅へ。淨眞寺の参道を目前に、ガラス越しに並ぶ色絵の雄弁なこと。「古美術・伊万里 宝屋」の扉を吸い寄せられるように開くと……。江戸時代の絵師の筆致、限られた円のなかに展開する花鳥風月の絵物語の数々。ため息が出ます。「この富士山は宝永の噴火前のもの。山頂の形が違うでしょう」とご店主が見せてくれた藍九谷(あいくたに)は、霊山がお皿に白々と。こういう“富士見”もオツですね。
スクリーンショット 2017-06-07 12.19.12藍の色気が、「宝屋」で見えてきた。

さて鐘の音が鳴る前に淨眞寺のお参りを。釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)を安置するご本堂は西向き。道をはさんで立つ三仏堂は東向き。両者が対面する構図が面白い。本堂は穢土(此岸)、三仏堂は浄土(彼岸)を表すといいます。その三仏堂は上品、中品、下品の3つのお堂に分かれ、各3体ずつ、計9体の阿弥陀仏が。ゆえに「九品仏」。それは人生の所行に応じた極楽浄土への道が、上位も下位もあると諭すもの。
スクリーンショット 2017-06-07 12.16.53安寧を求めて「淨眞寺」。

茂みからは、ここにも命ありと秋の虫。かつて奥沢城趾(おくざわじょうし)だった当地は、4代将軍徳川家綱公から高僧の珂碩上人(かせきしょうにん)に下賜され、時を越えて見事な境内に。東京はまだまだ奥が深い、しみじみ感じる夕暮れです。

-2013年和樂11月号より-