縄文人のマストハブアイテム、黒曜石とは?
黒曜石とは、火山から噴き出すマグマが急速に冷却されることでできる、天然のガラスです。抜群の切れ味を持ち、しかも加工が容易な黒曜石は、古くは旧石器時代から人々の生活を支えてきました。縄文人は、時には石鏃(せきぞく・石でできた矢尻のこと)として、時には調理具(包丁など)として、あるいは裁縫道具(穴を開けるキリ)として、またある時は工具(石を割るノミ)として、生活のあらゆるシーンで黒曜石を活用しました。縄文時代に暮らすなら、一つは持っておきたいマストハブアイテム、それが黒曜石なのです。
左は、取材にご協力いただいた学芸員の村田弘之(むらた・ひろゆき)さん。館内には、星糞峠からそのままの形で移設してきた黒曜石採掘跡の実物が展示されています。
「ストーンロード」が張り巡らされた黒曜石狂時代
信州が生んだ偉大な考古学者、藤森栄一は、縄文時代前期〜中期を指して、縄文人が「黒曜石に狂っていた時代」、「黒曜石狂時代」と称しています。この時代の遺跡をたどっていくと、日本中に黒曜石を巡るネットワーク「ストーンロード」が張り巡らされていたことがわかるからです。
黒曜石は、火山さえあればどこでも採れるというわけではありません。有用な黒曜石の採れる産地となると全国でも数箇所に限られ、それら限られた原産地から全国へと供給していました。この黒曜石を巡るストーンロードはどうやら当時全国を網の目状に覆っていたようで、巨大な原石を保管する「元締め」のような集落や、加工済の製品を大量に保管する「中継所」としての集落が各所に存在していたと見られています。縄文遺跡を掘り起こすと、原産地から遠く離れた場所でもザクザクと黒曜石が出土するのです。そう、まるで全ての縄文人が黒曜石収集に夢中になっていたかのように、です。黒曜石が日本列島の経済を支えていた、まさに「黒曜石狂時代」です。
黒曜石を採掘する縄文人。(黒耀石体験ミュージアム)