諏訪大社の二重体制に見る「縄文」と「弥生」共生の姿
洩矢神に象徴される「縄文」文化と、タケミナカタに象徴される「弥生」文化共存の姿は、神道としてはちょっぴり風変わりとも言える諏訪大社の体制に見ることができます。諏訪大社は、全国に数万社あるとも言われる諏訪神社の総本社であり、信濃国一之宮を誇る日本最古の神社の一つでもあります。
諏訪大社は大きく上社と下社に分かれ、諏訪湖を挟んで南側に上社(前宮と本宮)が、北側に下社(春宮と秋宮)があります。これら4社を合わせて「諏訪大社」というわけですが、その祭の性格は上社と下社で全く違い、上社が「狩猟民的」であるのに対して、下社は「農耕民的」であると言われています。つまり、諏訪大社は一つの神社の体制の中に、相反する2つの文化を内包しているわけです。
諏訪大社上社前宮
また、「狩猟民族的」祭を行う上社には、明治時代まで、下社にはない独特な「二重神職体制」がありました。通常、神道では祭を取り仕切るのは神職の長(諏訪大社の場合「大祝《おおほうり》」と言います)の仕事ですが、諏訪大社上社の場合、大祝に次ぐ神官「神長官(じんちょうかん)」守矢氏が実質全ての神事を取り仕切ってきたというのです。
神話では、洩矢神はタケミナカタに祭政権を譲ったのち、今後その身をタケミナカタの祭政するために捧げると誓ったことになっています。この神話をなぞるかのように、諏訪大社上社では洩矢神(神長官守矢氏)とタケミナカタ(生き神=大祝)が「祀る側と祀られる側」として、代々共存してきたのです。