吉屋信子の長谷を歩く
JR鎌倉駅から江ノ島電鉄(江ノ電)で3駅。長谷駅に降りると、潮の匂いがしてきます。海が近いのです。レストランや雑貨などの店が増えてきたこのあたりは、鎌倉末期にできた長谷寺の門前町。懐かしい土産物店や鎌倉彫の店、文士たちが好きだったという鰻の『つるや』なども健在です。今では大仏や長谷寺参詣の人だけでなく、商店街を歩く人、鎌倉らしいランチ目当ての人が増えています。
由比ヶ浜。
表通りから一歩山側に入ると長谷の住宅街。旧加賀藩前田侯爵の別邸だった鎌倉文学館や、鎌倉市長谷子ども会館に代表される洋館も点在し、甘縄神明社のそばには作家の川端康成が住んでいました。
大正時代を代表する少女小説家のひとり、吉屋信子が長谷に移り住んだのは、昭和36(1961)年、65歳のときでした。終の棲家として、「奈良の尼寺のような家を」と建築家・吉田五十八(いそや)に設計を依頼した家は、平屋で漆喰壁、飾り気のない簡素なつくり。書斎は裏山に面してつくられています。大きな窓があり、季節を身近に感じながら執筆できるようになっていました。
左/鎌倉市長谷子ども会館。右/小説家・吉屋信子。
長谷といえば大仏と長谷寺が有名ですが、吉屋信子邸からは歩いて12分から15分のところにあります。与謝野晶子に美男と歌われた大仏を訪ねるのもよし、長谷寺の見晴らし台への階段を登るのもよしの散歩道。長谷寺からは由比ヶ浜の海を見下ろすことができます。近くには花の寺として知られる光則寺もあり、6月にはアジサイや花ショウブが見られます。
吉屋信子は、長谷の家で生涯のパートナーであり、秘書をつとめた女性・門馬千代と暮らしました。少女小説で世に出た小説家は、やがて女性を主人公にした『徳川の夫人たち』『女人平家』などの歴史小説へとテーマを移していき、女性の目からの日本史を書き続けます。没後、吉屋邸は「女性のために役立ててほしい」という遺志によって、鎌倉市に寄贈され、在りし日の面影をしのぶことができます。
円覚寺の托鉢僧。