アイヌ語を知るということは、アイヌの心に触れるということ。そしてそれは、アイヌ語と祖先を共有するとも言われる日本語の心に気づくということでもあります。文化の多様性が注目される今だからこそ、知っておきたいお隣の言語、アイヌ語の世界をご紹介します!
イランカラプテ! 北海道の玄関口、新千歳空港に着くと見かけるこのアイヌ語、意味をご存知ですか? 「イランカラプテ」とは、本来フォーマルな場面で用いられる、丁寧なあいさつの言葉です。分解すると「イ」=それ(あなた)、「ラム」=心、「カラプ」=触れる、「テ」=〜させる、直訳すると「あなたの心に触れさせてね」となるそうです。(※諸説あります)こんな素敵な表現をあいさつとして用いるアイヌ民族とは、一体どんな民族なのでしょうか。
日本列島にはその昔、共通言語があった?!
日本列島はその昔、「縄文文化」なる共通の文化に覆われていました。それに伴い、縄文時代には北海道から沖縄まで、方言の違いこそあれ、基本的には同じ言語を話していただろうという学者もいます。その後弥生時代に入って外国から人々が移住してくると、本州の言語はその影響を受けて大きく変容していきます。もしこの学説が正しければ、日本語とアイヌ語は、祖先を共有しながらも実に2000年以上もの間別々の道を歩んできたことになります。アイヌ語と日本語が、お隣の言語であるにもかかわらず、英語と日本語ほどかけ離れて聞こえるのも無理はありませんね。
「アイヌ風俗絵巻」(函館市中央図書館)文字を持たなかったアイヌ民族は古来より、口承文芸や歌や踊りによる口伝で民族に伝わる歴史や神話、物語を伝承してきました。図では、髷を結った和人がアイヌに混じってユカラ(英雄譚)を聞いているようです。
しかし、語源を共有しているのではないか、と言われる言葉も少なからず残っています。たとえばアイヌ語で「神」を指す「カムイ」という言葉がありますが、これは日本語でも古くは「かむさび(神らしく振る舞うこと)」などと言ったように、「カム」という音でした。アイヌ語を聞いて、なんとなくホッとするのは、そんな古代の記憶が反応するからなのかもしれません。
日本語を母語とする人にとってアイヌ語とは、英語や中国語ほどかけ離れていないばかりか、もしかしたらその昔、同じ言語からスタートしたかもしれない、とても身近な言語なのです。
「アイヌ風俗絵巻」(函館市中央図書館)この絵巻の作者、西川北洋が添えた注には、アイヌ民族は何かあれば必ず首長の家に集まり、なんでも相談の上で決める、とあります。図は、熊狩りについての相談の様子。
意外と身近! 北海道の地名はだいたいアイヌ語?!
現在、両言語のつながりをもっとも簡単に見出すことができるのは、日本の地名です。北海道をはじめとする日本の地名には、アイヌ語を語源とするものが数多く存在します。たとえば「札幌」は、「乾燥した広大な大地」を指すアイヌ語「サッ・ポロ・ペッ」が語源。他にも知床(シリ・エトク=陸の突端)、稚内(ワッカ・ナイ=水の豊富な沢)、十勝(トカプ=よく晴れる場所)、また青森県の三内、岩手県の遠野など、数え挙げればキリがないほど、アイヌ語にルーツを持つ日本の地名は多いのです。
昆布採り。「アイヌ風俗絵巻」(函館市中央図書館)
また、アイヌ語がそのまま日本語に溶け込んだ単語もたくさんあります。「昆布」「鮭」「ラッコ」「トナカイ」「シシャモ」などがそれにあたります。逆に、「サケ(酒)」「クスリ(薬)」「メノコ(女の子)」など、日本語からアイヌ語になった例もあります。私たちは日常生活でアイヌ語に触れているのです。
チェプケリ(鮭皮の靴)(札幌市アイヌ文化交流センター)アイヌ語は、北の大地ならではの特産物の名前に多く取り入れられています。鮭の皮でできた靴は、丈夫で長持ち。ギザギザとした背びれ部分を靴底にして、すべらない工夫をしたといいます。
アイヌの世界観があらわれる?! 直訳するとわかるステキな表現3選
実は意外なほど、私達の日常生活に深く入り込んでいたアイヌ語の世界。こうして見てみると、俄然親近感が湧いてくるような気がしませんか?とはいえ、言語というのは、その民族の文化や世界観に基づいて発達していくものです。仮に日本語とアイヌ語が、ある共通の言語から出発したものであったとしても、言語の発達過程は当然文化によって変わります。森羅万象をカムイ(神)として文化に内包してきたアイヌ民族の言語には、その霊性感覚を特徴づける魅力的な表現がたくさんあります。日本語に直訳しながら、いくつかまとめて見ていきましょう!
|キムンカムイ(意味:熊)レプンカムイ(意味:シャチ)
分解すると・・・キムン(山)レプン(海)カムイ(神)
直訳すると・・・山の神、海の神
手始めに、山の神を指すキムンカムイと、海の神を指すレプンカムイ。狩猟民族であったアイヌ民族にとって、山の生物の中でもっとも強い熊、海の生き物の中でもっとも強いシャチは、格の高い神の化身です。有名なアイヌの祭、「イオマンテ」では、熊の亡骸に立派な装飾を施し、酒や食物でおおいに振る舞った後、たくさんのお土産を持たせてその魂を神の世界に送ります。
イオマンテ(熊祭り)。「アイヌ風俗絵巻」(函館市中央図書館)
ちなみに日本語の「熊」の語源は、「隈」であるとも言われます。「隈」とは、奥まった場所のこと。そして山奥の社殿を「奥宮」と言うように、古来神は鬱蒼とした山奥におられる、と考えられてきました。その「隈」に鎮座するから「熊」というわけです。また日本語では山犬を「大神(狼)」と言いますが、これもアイヌ語と似た発想といえるかもしれません。
|シサムウタラ(意味:アイヌ以外の交易相手、和人)
分解すると・・・シ(私)サム(側)ウタラ(仲間)
直訳すると・・・私の側の仲間
その昔、アイヌ民族と日本人(和人)は交易によって様々なものを交換しました。日本からは米や酒、大陸から伝わった宝などが贈られ、アイヌからは毛皮や北の大地で採れた特産物などが贈られました。その際驚きなのは、遠い昔には、アイヌは金銭で「商品」を売買することを嫌ったらしいということです。アイヌにとって、自然の恵みはカムイからの贈り物。誰かからのいただきものを商品として売ってしまうことはできませんから、交易相手はあくまでその贈り物をシェアする「仲間」だったのです。(※諸説あります)アイヌは金銭を受け取ってもそれをお金として使用せず、首飾りや煙草入れの装飾として使ったといいます。
タマサイ(首飾り)(市立函館博物館)
|ラマンテ(意味:猟・漁をする)
分解すると・・・ラム(心)アン(在る)テ(〜させる)
直訳すると・・・心を在らしめる(※諸説あります)
狩猟をすることは、心を在らしめること。これこそ、気高い狩猟民族であった、アイヌの世界観をよく表している表現です。アイヌの世界観によると動物とは、カムイが人間の世界に身体という仮の姿をとって訪れたもの。狩猟や漁労によって動物の肉を解体するというのは、すなわち、身体という衣装を脱がしてその魂を出現させ、神の世界に送り返す行為に他なりません。日常生活を通して、動物たちと親や兄弟のように密接な関係を築いた当時のアイヌ民族にとって、その命を奪うという行為は、現代の私たちには想像もできないほど厳粛かつ神聖な行いでなければならなかったのです。
熊の子飼「アイヌ風俗絵巻」(函館市中央図書館)注には、アイヌは親熊を狩猟したのち、その子供の熊を連れ帰り、「之れをメノコ(女性)が実に愛して自分の生児の如くして飼育する」と書かれています。
「ヒンナ」は「おいしい」ではない?! 感謝を表す表現3選
近年、アイヌ語に興味を持つ方が増えています。アイヌ語で「ありがとう」はイヤィラィケレ、「おいしい」はヒンナ、と覚えた方も多いのではないでしょうか。しかしどうやら、「ヒンナ」は味の感想を述べる言葉ではなく、感謝の言葉のようなのです。どの言語でもそうですが、アイヌ語でもまた、状況によって感謝の表現は変わってきます。
|イヤィラィケレ(感謝いたします)
まず、もっとも知られている「ありがとう」の表現、イヤィラィケレ。実はこの言葉、正式かつとても丁寧な表現なのだそうです。日本語にしたら、「ありがとうございます」や「感謝いたします」くらいに相当するのかもしれません。
|ヒオーイオイ(ありがとう、さんきゅー!)
イヤィラィケレより、カジュアルに感謝を示したい時はこれ、ヒオーイオイ! リズム感たっぷりで、発音するだけで楽しい気持ちになります。主に女性が用いる表現とされていますが、気にせずどんどん使いましょう! ヒオーイオイ!
|ヒンナ(ありがとう、感謝感謝!)
「おいしい」と訳されるこの言葉、実は食事に限らず、ものをもらった時などちょっとしたことでも使えるそうです。日本語だと、食べ物に感謝する意味で、食べる前に「(お命を)いただきます」と言いますが、ニュアンスとしてはこちらのほうが近いのかもしれません。
魚の投げ突き。「アイヌ風俗絵巻」(函館市中央図書館)食べることは、すなわち他を殺し自分を生かすことに他なりません。そういった、人が生きていく上での抜き差しならない現実を、アイヌは自然と結びついた生活の中で実感していたのかもしれません。
アイヌ語のおまじない:アイヌは近世まで呪術を使えた?!
アイヌ語の特徴として、おまじないの言葉の豊富さが挙げられます。たとえば「スワッアトスレ」という言葉、これは、失くしたものを見つけるおまじないを指します。他にも暗闇で水を汲む時、水の神を呼ぶまじない、地震や荒波を鎮めるまじないなど、アイヌ語には、まじないの言葉がたくさんあります。
伝統的に、大自然を相手に生活を営んだアイヌ民族は、濃密な呪術的世界に生きていました。占いをし、予言をし、おまじないをして、自らや大切な人を危険から遠ざけようとしたのです。「ウケウェホムシュ」という口から霧を発生させる悪魔払いの呪術は、なんと近世まで使える人がいたと言われています。
アイヌ文様の例。(札幌市アイヌ文化交流センター)それぞれのモチーフは火や水など自然物の抽象化だと言われています。
アイヌ語に学ぶ、忘れちゃいけない大切なこと
アイヌ民族の独特な世界観を、言語の中に内包するようにして発達してきたアイヌ語は、非常に魅力的です。アイヌ語に触れると、現代人がついつい忘れてしまいがちなこと、たとえば人間も自然の大きな輪の一部であるということや、人間社会が自然の恩恵によって初めて成り立つものであるというごくごく当たり前のことを、謙虚な気持ちを持って思い出すことができます。
葡萄とコクワ取り。「アイヌ風俗絵巻」(函館市中央図書館)
また、「お隣の言葉」として影響を受けあいながら、長い歴史を共に歩んできた日本語にとって、アイヌ語はもっとも身近な言語の一つでもあります。近年、アイヌ語の母語話者が激減している一方で、北海道ではバスの車内アナウンスにアイヌ語を取り入れたり、学校教育にアイヌ語を組み込んだり、「生きた言語」としての復活運動も大変さかんに行われています。将来、学校教育の「国語」の一つとして、私たちがアイヌ語を学ぶ日がくるかもしれません。
アイヌ語に思いを馳せて見えてくるもの、それは古代、この列島で生きた全ての人が見ていた世界であると同時に、この列島の実に多様性に富んだ文化のあり方なのです。
文/笛木あみ
監修/宇佐照代
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