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2019.12.30

滋賀の名建築、油日神社を観光。白洲正子の「かくれ里」にも登場した穴場スポットの見どころは?

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戦国時代、甲賀武士(忍者)たちの集う神聖な場所がありました。冷たい風に紅葉の舞う12月、訪れたのは1000年来の歴史ある滋賀県甲賀市の「油日神社(あぶらひじんじゃ)」です。

甲賀武士たちの拠り所として機能した油日神社

新名神高速道路を甲賀土山ICで下りると、霊峰「油日岳」の麓、人気の少ない田んぼと林が続きます。小さな丘をのぼりくだりして十数分、ようやくぽつぽつと瓦屋根が見えてきました。やがて道の脇に石灯籠が現れ、その先に油日神社の鳥居が飛び込んできました。

油日神社。主祭神「油日大神」は万有始動の根元神として、諸事繁栄発展の大本を司られる大神さま。鈴鹿山脈南端、油日神社東方に聳える油日岳を神体山とし、山頂には今も岳神社が祀られている。

創立年は不明ですが、六国史『日本三代実録』の元慶元年12月3日の項に「授近江國正六位上油日神從五位下」という記述が見られ、西暦877年以前には神社としての形態を持っていたことがわかる、歴史ある神社です。

奥に見えるのが油日岳。

油日神社は中世になるとこのあたり一帯の甲賀武士(忍者)たちの崇敬を集めました。現在の本殿造営のための奉加を記した明応4年(1495年)の『油日御造営御奉加之人数』には、190にのぼる武士や寺庵から多くの寄進がみえています。

やがて戦国時代になると、甲賀の上の郡を中心とした武士は、地域の支配・運営のため組織を構成しますが、油日神社はその拠り所となり「甲賀の総社」遠くは「江州に無穏大社」と呼ばれ信仰圏は広く郡域に及んだのです。

山の中の厳島!美しき回廊付き楼門

国の史跡にも指定された境内。その威厳から、緊張感が漂います。
一直線に並ぶのは、南北に本殿・拝殿・楼門(ろうもん)です。

油日神社は拝殿(天正年間建立)を除き、織田信長入洛以前の建物がそろって温存されている非常に珍しい神社。それにしても、戦国時代、近在の建造物の多くが消失した中、なぜ無事だったのでしょうか…?

これは半年ばかりの短い期間ですが、奈良一乗院から脱出した15代足利義昭将軍を、神社の近くに居をかまえた甲賀武士・和田惟政がかくまっていたことがあり、彼が織田信長と連携を保っていたため、被害を免れたのではないかと考えられています。

室町時代の貴重な建築であることから、時代劇や大河ドラマのロケ地として使われることも。

さらに注目すべきは、楼門の左右に延びる廻廊です。

中世の神社建築で楼門に床のある廻廊が取り付いている例は、滋賀県内では他に見られない珍しいもの。境内は大雨が降り続くと地面が水にあふれ、まるで「山の中の厳島」のような風景になるんだとか。その様子も一度は見てみたいものです。

楼門(国指定重要文化財)永禄9年(1566年)建立。門の規模は三間一戸(さんげんいっこ)。屋根は入母屋造(いりもやづくり)で桧皮葺(ひわだぶき)

白洲正子が絶賛した面と人形

神社の境内にある甲賀歴史民俗資料館では、社宝の「懸仏・甲賀武士寄進の棟札」などが展示され、当時軍神として崇められた聖徳太子への甲賀武士の信仰を伝える貴重な資料となっています(※資料館は要予約・有料)。

また、この資料館は白洲正子さんが著書『かくれ里』で絶賛した「福太夫神の面」と「ずずい子」が展示されており、これを目当てに訪れる人も多いと聞きます。力強く生き生きとした表現に、たしかに目を奪われます。

1000年来の時を超えて歴史に思いを馳せられる油日神社。豊かな伝承と多くの文化財を鑑賞できる、かくれ里の名建築です。滋賀県へご旅行の際は、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょう。

油日神社 基本情報

住所:〒520-3413 滋賀県甲賀市甲賀町油日1042
アクセス:
【車】
新名神 甲賀土山ICから約15分
新名神 甲南ICから約20分
名阪 上柘植ICから約10分
【電車】
JR草津線 油日駅下車徒歩30分

公式サイト:http://www.aburahijinjya.jp/