「旅人さん、少し飲みすぎなのでは? 今夜はこれくらいにしておきましょう」
「いやいや憶良さん、この世に酒ほど貴重なものはありませんな。私は今夜楽しく酒が飲めれば、次に生まれ変わるときは虫になっても、鳥になってもかまわないと思っているんです」
「いけませんよ旅人さん。奥さんが亡くなって寂しいのはわかりますが、いつか都に戻れる日まで、やけを起こしてはいけません」
1,300年前、お酒大好きなエリート歌人・大伴旅人(おおとものたびと)と、当代きっての知識人・山上憶良(やまのうえのおくら)は、赴任先の九州でお酒を酌み交わしながら、そんな会話をしていたかもしれません。
今も昔も、お酒を飲むことは大きな楽しみ。奈良時代の日本人は、既に宴席でお酒を楽しんでいました。当時の人びとはどんな気持ちで、どんな味のお酒を飲んでいたのでしょうか。『万葉集』の歌をヒントに、万葉人の「飲み会」の様子を覗いてみましょう。
60代で左遷、愛妻の死。酒を飲まずにいられなかった大伴旅人の本心
なかなかに人とあらずは酒壺になりにてしかも酒に染みなむ(大伴旅人)
中途半端に人間でいるくらいなら、いっそ酒壺になってしまいたいなあ。そうしたら、身体に酒が染み込んでくるだろうから。
『万葉集』に収められた大伴旅人の歌です。大伴旅人は、奈良時代のスーパーエリート。「令和」の元号の由来になった「梅花の宴」という宴会を主催した人物として知られています。
古今東西、お酒好きな有名人は枚挙にいとまがありませんが、「いっそ酒壺になりたい」などと言った人物は、後にも先にも旅人くらいではないでしょうか。
『万葉集』巻三にはこのほかにも、旅人がお酒への愛を詠んだ歌が13首も残っています。
あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る
ああ見苦しい!利口そうなふりをして、お酒を飲まない人の顔をよく見たら、猿にそっくりじゃないですか。
いくら自分がお酒好きだからと言って、飲まない人が「猿に似ている」だなんて、あんまりな言い草です。現代の飲み会で、お酒が飲めない人にこんな歌を詠みかけたら「アルハラ」と言われてしまいそう。
この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我はなりなむ
この世で(酒を飲んで)楽しく過ごせたなら、私はもう、生まれ変わったら虫にでも鳥にでもなってしまおう。
旅人ならではのユーモアたっぷりな歌ですが、それにしても、「お酒が楽しく飲めれば虫や鳥になってもいい」というのは、いくらなんでも投げやりすぎるというか、「そこまで言わなくてもいいのに」と思いませんか?
この歌を詠んだとき、大伴旅人は60代。大宰府の長官として、都から九州に赴任していました。実はこの人事、当時勢いを増していた藤原氏の策略だと言われています。つまり、旅人は権力争いに負けて、地方に左遷されたわけです(旅人の大宰府長官赴任の理由については諸説あります)。
しかも、「貴方の行く場所ならどこへなりともご一緒します」と九州まで着いてきてくれた最愛の奥さんが、赴任直後に亡くなってしまいます。旅人は長年連れ添った妻の死を深く悲しみ、2年半後に大宰府での任期を終えて都へ戻るときにも、こんな歌を詠んでいます。
都なる荒れたる家にひとり寝ば旅にまさりて苦しかるべし
都の荒れた家に帰ってひとりで眠ったならば、苦しい旅の眠りよりも、一層つらく寂しく感じられるだろう
旅人にとって大宰府で過ごした時間は、公私ともに寂しく、つらい日々だったのです。酒壺や、虫や鳥になってしまいたいというちょっと行き過ぎた表現も、酒にまつわるユーモアにかこつけて、旅人の寂しい心の内を表していると思われます。虚しさを紛らわすために、つい飲みすぎた夜もあったでしょう。仕事が思うようにいかないとき、恋しい人に会えないとき、お酒を飲んでそのつらさからひととき逃れようとする人の心理は、今も1,300年前も同じなのかもしれません。
令和の語源「梅花の宴」でふるまわれたのはどんなお酒?
大伴旅人といえば、元号「令和」のもとになった「梅花の宴」で一躍注目を集めました。この宴席も、実は旅人が大宰府に赴任していた時代に、旅人の自宅で開かれたもの。『万葉集』には、この宴席で詠まれた32首の歌が収められています。その冒頭に置かれた序文「初春の令月、気淑(うるわ)しく風和らぐ」の言葉から令和の文字が採られました。
お正月、旅人は自宅に31人もの客を集めて宴会を催しました。もちろんとっておきのお酒がふるまわれたでしょう。参加者は皆、それぞれに「梅」を詠み込んだおめでたい歌を披露していますが、中には「梅を見ると奈良の都を思い出す」「妻が懐かしい」と思わず本音をもらす人もいました。旅人をはじめ、はるばる都から赴任してきた人びとにとっては、華やかな宴会で都の雰囲気を懐かしみ、寂しさをなぐさめあうひとときでもあったのではないでしょうか。この賑やかな宴席がよほど楽しかったのか、旅人は歌会が終わった後も、思い出を歌にしています。
梅の花夢に語らくみやびたる花と我思ふ酒に浮かべこそ
梅の花が夢の中で語りかけてきました。「私はみやびな花だと自分でも思います。お酒の器に浮かべてくださいな」
梅の花が夢に出てきて話しかけてくるとはまるで童話のようですが、下の句に登場するのはやはりお酒!
こんなにも旅人が愛した当時のお酒は、一体どんな味だったのでしょうか。今の日本酒のようなものを思い浮かべるかもしれませんが、当時のお酒は、現在とは少し違ったものでした。
奈良時代のお酒は、おもに「しおり(醞)方式」で造られていました。まず、米と米麹、水を原料にして濁酒(にごりざけ)を造ります。このお酒に、また蒸した米と米麹を加えて、熟成させては絞る、という工程を繰り返しながらお酒を造っていきます。とろりとした舌触りの、今よりもかなり甘いお酒だったようです。
高貴な人は、濁酒をさらに絹でろ過して、清酒(すみざけ)として飲んでいました。手間のかかる、とても高価なお酒です。日本書紀には、天皇の御所の近くに氷を貯蔵する「氷室」があったことが記録されています。冬の間に氷を貯蔵しておき、夏になったら取り出して、お酒に入れて飲んでいたようです。天皇や皇族は、千年以上前から「夏の夜の冷たい1杯」を楽しんでいたのですね。
山上憶良「貧窮問答歌」に登場する庶民のお酒
一方、庶民はどんなお酒を飲んでいたのでしょうか。教科書でもおなじみ、山上憶良の「貧窮問答歌」を見てみましょう。
風交じり 雨降る夜の 雨交じり 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒(かすゆざけ) うちすすろひて・・・
風に交じって雨が降る夜、雨に交じって雪が降る夜は、どうしようもないほど寒くてたまらないので、焼き固めた堅い塩をちびちび食べては、湯に溶いた酒粕をすすりすすり・・・
この後、食べる物もない貧しい家族の描写が続くのですが、ここでは割愛します。「糟湯酒」はお酒を造るときにできる酒粕をお湯に溶かしたもの。今でいう薄い甘酒のようなお酒です。
山上憶良も、おそらく糟湯酒を飲んだことがあったと思われますが、憶良が日常的に塩を舐めながら糟湯酒をすする食生活を送っていたいたかというと、おそらくそうではありません。憶良は遣唐使に加わり、大伴旅人が大宰府長官だったのと同じ頃に、筑前の国司としてやはり大宰府に派遣されていたエリート官僚。「梅花の宴」参加者にも名を連ねています。
旅人のように名門一族の出身ではなかった憶良は、出世も遅く、苦学して国司にまで上り詰めた人物です。正義感が強く、貧しい人々への思い入れもひとしおでした。『万葉集』の中では異質とも言える「貧困」をテーマにした歌も、庶民の実情を権力ある人たちに知らせる目的で詠まれたようです。
旅人と憶良。九州で芽生えた熱い友情
ともに都から九州に赴任していた大伴旅人と憶良は、上司と部下の関係。2人が贈り合った歌が、『万葉集』にも残っています。
世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり(大伴旅人)
この世は空しいものだと思い知った今、いよいよますます悲しい思いがするのです。
愛する妻を亡くし、都からも知人の訃報が次々に届く。この世は空しいものだと嘆く旅人に、憶良はこんな歌で答えます。
妹が見し楝(おうち)の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに(山上憶良)
愛しい妻が目にした楝(センダン)の花は散ってしまうだろう。私が流している涙も、まだ乾かないというのに。
憶良が、妻を亡くした旅人に成り代わって詠んだ一首です。旅人の悲しみに寄り添おうとする憶良の、あたたかい気持ちが伝わってきます。当時を代表する歌人であり、知識人でもあった旅人と憶良は、互いに刺激しあい、大宰府時代に素晴らしい歌をたくさん残しました。2人でお酒を酌み交わして、都から遠く離れた自分たちの境遇を、しみじみと語り合ったこともあったのではないでしょうか。
ダメといわれると、余計に飲みたくなる
お酒が大好きだった万葉人は、大伴旅人だけではありません。ついお酒を飲みすぎた人が暴れたり、政権批判をして問題を起こすことは当時からあったようで、奈良時代には繰り返し禁酒令が出されています。
酒杯(さかづき)に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後は散りぬともよし(大伴坂上郎女)
酒杯に梅の花を浮かべて、仲のいい友達同士でお酒を飲んだ後は、梅の花は散ってしまってもいいわ。
お酒の器に梅の花を浮かべる。どこかで見覚えのある表現ですね。それもそのはず、この歌を詠んだ大伴坂上郎女は、大伴旅人の妹です。お兄さんが詠んだ梅花と酒の歌のイメージから連想して、詠まれた歌かもしれません。この歌は贈答の形をとっていて、大伴坂上郎女と一緒にお酒を飲んでいた人が詠んだ返歌が残っています。
官(つかさ)にも許したまへり今夜のみ飲まむ酒かも散りこすなゆめ(作者未詳)
お上も許してくださっている。今夜だけではなくまた飲めるのだから、梅の花よ、どうか散らないでおくれ。
この歌からもわかる通り、禁酒令が出ていても、友達同士が会うときなどは、許可をもらえばお酒を飲むことが許されたようです。
価(あたい)なき宝といふとも一坏(ひとつき)の濁れる酒にあにまさめやも(大伴旅人)
値をつけられないほど珍しい宝物と言っても、一杯の濁り酒にどうして勝ることがあるだろうか。
奈良時代の日本人にとって、お酒は神様に捧げる尊いものであり、コミュニケーションを円滑にしてくれる貴重な宝物でした。今夜お酒を飲むときには、酒を愛した万葉人の雅な宴に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。いつものお酒が、少し違った味わいに感じられるかもしれません。
参考文献
一島英治『万葉集にみる酒の文化』(裳華房)
中西進『古代史で楽しむ万葉集』(角川ソフィア文庫)
『万葉集(一)』『万葉集(二)』(岩波文庫)
※トップ画像は『酒販論』(国立国会図書館デジタルコレクションより)