大佛次郎の雪ノ下を歩く
鎌倉駅から鶴岡八幡宮に向かう若宮大路や、それに平行する小町通りはいつも大にぎわい。ところが、表通りから一歩中へ入ると、車が通れないほど細い路地があって、散歩にはうってつけ。文士が考え事をしながらでも歩けるような路地が残っているのも、鎌倉の魅力のひとつです。
鎌倉文士の中心的な存在だった大佛次郎(おさらぎじろう)は、小町通りとは若宮大路を挟んで反対側の、雪ノ下に住んでいました。路地をたどれば、鎌倉駅から歩いて5分ほどのところです。
鎌倉の路地を歩く。どこへ出るのかわからないのも楽しい。
大佛は大正昭和にかけて『鞍馬天狗(くらまてんぐ)』『赤穂浪士(あこうろうし)』などの時代小説で大人気を博し、『天皇の世紀』では幕末から明治維新への近代日本の群像を描きました。横浜生まれの大佛は、大正10(1921)年に鎌倉に住むようになり、いっとき長谷(はせ)の大仏裏の谷戸(やと)にいたことから、このペンネームをつけたといいます。その後、雪ノ下に転居して、昭和48(1973)年に亡くなるまで住みました。
写真提供/野尻芳英
昭和20(1945)年には、自宅と細い路地を隔てて建っていた茅葺きの家を買って、客をもてなす茶邸としましたが、ここには、里見弴(さとみとん)、久米正雄(くめまさお)などの作家が集まって宴会をし、編集者との打ち合わせに使われました。一室には炉が切られていて、夫人のお点前でお茶を楽しんでいる写真も残っています。現在は週末と祝日だけ開く「大佛茶廊」となっていて、作家の孫である野尻芳英(のじりよしふさ)さんが選んだコーヒーや抹茶で訪ねる人をなごませています。
玄関から入ると、庭に面して客間が二間ある。
鶴岡八幡宮の裏山・御谷(おやつ)が開発されそうになったときに、地元住民と一緒になって景観と自然を守る運動を起こした大佛は、鎌倉風致保存会の初代理事になり、イギリスのナショナル・トラスト運動を日本に紹介しました。また、猫好きでも知られ、「猫は僕の趣味ではない。いつの間にか生活になくてはならない優しい伴侶になっているのだ」(『猫のいる日々』徳間文庫)と言っているほど。常に10匹以上の猫と暮らし、生涯かかわった猫は500匹にもなりました。
猫の絵が入った看板が目印の大佛茶廊。
路地が好きだった大佛次郎の散歩の道すじを想像しながら歩けば、悠々と歩く猫が先導してくれるかもしれません。
-2013年和樂6月号より-