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2021.01.17

江戸時代、全国に薬を広めた富山の薬売りって?配置薬のトップ企業「廣貫堂」で学ぶ富山売薬の歴史

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急な熱や風邪を引いた時に何度も助けてもらった常備薬。祖母の部屋には、廣貫堂(こうかんどう)の文字が入った大きなくすり箱があったのも、なんだか懐かしい思い出です。

ところで、配置薬のトップ企業「廣貫堂」ってどんな会社なんだろう。そんな疑問を解決すべく、「熊膽圓」「赤玉はら薬」「六神丸」でおなじみの株式会社廣貫堂へ取材へ行ってきました。

富山を代表する医薬品メーカー「廣貫堂」へ

別名「薬都」と言われる富山県。JR富山駅前には、そのルーツとも言える薬売りの銅像がある
JR富山駅で下車し、富山の街を散策しながら歩くこと約25分。富山を代表する製薬会社、株式会社廣貫堂の本社工場が見えてきます。

越中富山の薬売りの歴史文化を伝える「広貫堂資料館(こうかんどうしりょうかん)」
大きくて立派な本社工場と同じ敷地に、白壁の美しい「広貫堂資料館(こうかんどうしりょうかん)」があります。今回、出迎えてくれたのは、株式会社廣貫堂リテール事業部の井上仁子(いのうえじんこ)さん(以下、井上さん)。明るい笑顔と抜群のトーク力に魅了されながら、富山売薬の歴史から廣貫堂の成り立ちまで詳しくお話いただきました。

どんな病気にも効く万能薬!?越中富山藩が推し進めた「反魂丹」とは

「富山売薬を語るうえで欠かせないのが「反魂丹(はんごんたん)」というお薬です。富山というとなぜ薬売りが有名なのか、そして富山の地でどうして医薬品産業が発展したのか、実はこの薬に隠されているんですよ。」と井上さん。

江戸城腹痛事件を再現したジオラマ。突然激しい腹痛に見舞われた三春藩の藩主に「反魂丹」を差し出す前田正甫公の様子が描かれている
「反魂丹」と言われる丸い形の薬は、江戸時代、どんな病気にも効く万能薬として売られていた薬です。この薬を日本全国に広めたのが、富山藩二代藩主である前田正甫(まえだまさとし)公でした。

「医薬の研究に熱心だった前田正甫公は、自ら薬の調製を行い、領民救済にあたったと伝えられています。腹痛に効くとされた「反魂丹」の製法は、備前岡山藩の医師である万代常閑(まんだいじょうかん)から学び、常備薬としていました。そして、この薬が名を馳せることなったのが、江戸城腹痛事件です。」

(以下、廣貫堂公式サイト引用:http://www.koukandou.co.jp/ayumi//

江戸城内で、突然激しい腹痛に見舞われた三春藩(現在の福島県)の藩主に、富山藩二代藩主・前田正甫公が常備していた反魂丹を与えたところ、たちまち痛みはおさまりました。この事件をきっかけに、諸藩の大名の知るところとなり、富山のくすりが評判を呼ぶようになります。済世救民の志が強かった正甫公は、薬御用達商人松井屋源右衛門に製薬を命じ、反魂丹をはじめとする富山のくすりを他の藩へ販売します。

「富山で売薬産業が栄えたのは、「反魂丹」の製法を伝授してくれた備前岡山藩の医師である万代さん、そしてその効果を身をもって伝えた福島の三春藩主のおかげ。富山県民は、岡山と福島には足を向けて寝られませんよ」と井上さん。越中富山藩の主要事業として発展した「反魂丹」、現在では食べ過ぎ飲み過ぎによる消化不良に効く胃腸薬として販売されています。

販売手法で大成功!配置薬ビジネスのルーツに迫る


井上さんいわく「富山の薬が全国に知れ渡る中、富山藩では薬売りと言われる配置員の育成や保護を強化させていきます。富山の薬売りといっても、誰でも売薬ができたわけではありません。藩の管轄の基で商いをおこなっていたので、質の高い薬を全国へ届け、顧客の信頼を獲得したのです。」

六代藩主である利與(としとも)公の時代には、現代で言う厚生労働省の役割を持つ、「反魂丹役所」を設立し、製薬の指導や配置員の身分証明、懸場帳と呼ばれる顧客管理帳の整備を行い、藩として売薬業を発展させていきます。

懸場帳といわれる顧客のベータベース。配置員が預けた薬の種類や数の他、家族構成や健康状態など細かく記載されている
さらに薬売りたちは、「先用後利(せんようこうり)」と呼ばれる、先に薬を預け、後から利用した分だけの代金をもらい、新しい薬を補充する販売手法を行います。これは、「用を先にし利を後に」という正甫公の理念が反映されたビジネスモデルだそう。薬の効果とこのビジネスが相まって、富山の配置薬は全国に販路を広げていきます。
売薬産業を軸に、薬の容器として使われたガラスや紙の印刷業など周囲の産業も富山で発展していく
また、効果的な薬を高額な金額で販売せず、妥当な金額で販売したため、富山の薬売りは、顧客から信用と信頼を獲得したと教えていただきました。配置薬の文化は、江戸時代から始まり、富山の薬売りがルーツだったとは驚きでした。

西洋化による時代の荒波を越えた富山の売薬産業

お土産に人気のレトロパッケージのおくすり。大正、昭和の時代に手書きのデザインで印刷会社が作ったデザインを使用。文字が読めない人が多かった時代、何に効く薬か誰でもわかるようとに絵が描かれている
そして江戸時代から現在まで約300年ほどの歴史を持つ富山の売薬産業も、西洋化を推し進める明治時代に危機を迎えます。日本独自に進化した生薬由来の和漢薬は「無効無害」とされ売薬業を規制が始まります。さらに廃藩置県により、反魂丹役所がなくなり、売薬業は拠り所を失ったそうです。その際に、売薬業者たちが結束し生まれたのが「売薬結社廣貫堂」。これが廣貫堂の起源となっています。
「和漢薬や売薬業が規制を受ける中でも売薬業者は諦めることなく、人材の育成や売薬の近代化に努めました。その中で生まれた、薬業教育、配置員養成を目的とした薬学校は、現在、国立富山大学薬学部として受け継がれています。そして明治時代の荒波を越え、大正時代には、政府により和漢薬は「無効無害」から「有効無害」と認められ、現在でも日本人の健康を支えているんですよ。」と井上さん。
配置員が顧客の子供へお土産として渡す「紙風船」。その他、江戸から明治の時代には「売薬版画」と呼ばれる色鮮やかな紙絵をお土産品として配布していた
「配置薬の利用者も時代とともに減っているのが現状です。そういった中で、富山売薬をルーツとする私達、廣貫堂は、その歴史文化や正甫公の素晴らしい精神を次の世代にを伝えていく役割も大きいのです。」と井上さんは話します。

日本人にとっては、当たり前のような配置薬の意識には、領民の救済の願う藩主の優しい想いと顧客のために日本中を回った配置員の情熱が背景にありました。そして、その精神は現在にも伝授され、富山県は「薬都」と呼ばれるほど、多くの優秀な製薬企業が存在しています。

取材後には、廣貫堂がプロデュースしている富山駅前の薬膳カフェ「癒楽甘 春々堂 CiC店」で一息。井上さんおすすめの薬膳粥をいただきました。富山売薬の歴史を学び、食べる薬膳料理もまた格別でした!
日本のみならず、世界へと誇れる富山の売薬産業。その歴史文化を学びに「広貫堂資料館」を訪れてみてください。

広貫堂資料館の概要

広貫堂資料館:http://www.koukandou.co.jp/shiryoukan/index.html
住所:富山市梅沢町2-9-1
入場料:無料
開館時間:9時~17時
休館:年末年始
お問い合わせ:076-424-2310

書いた人

岡山県生まれ。後世に残したい旅館やホテル、ディープな温泉を取材。温泉旅行と絵を描くことが趣味。粉もんが大好物です。