建築様式から意匠までと見どころが多く、いつでも鑑賞できるのが建造物の魅力。熊本県人吉市の「青井阿蘇神社」の社殿群は、茅葺や意匠が見事な社殿を外からはもちろん、拝殿や幣殿にいたっては内部に立ち入っての見学も可能な国宝です。
人気の黒川温泉や雄大な景色の阿蘇山、熊本タウンといったにぎやかなエリアからはぐっと南。鹿児島県に隣接する山間の盆地に美しい自然景観をつくり出す球磨川、その河畔を中心とした町が人吉です。鎌倉時代から幕末まで700年に及ぶ相良氏による統治は、この土地に幸福な暮らしをもたらしました。しみじみ心地いい…そんな感情が沸き起こる旅へとご案内します。
早朝の神域へ。旅の朝は思いがけない出合いが
東西に30㎞、南北に15㎞。熊本県最南端の町・人吉は山に囲まれた盆地です。町の中心を流れる球磨川と、川沿いに点在する温泉宿、そして緑の稜線に日本の四季を知らせる水田の風景。だれもが「懐かしい」と感じる人吉は、領主と民衆が心をひとつにしてつくりあげた土地なのです。
国宝「青井阿蘇神社社殿」八寸勾配という急勾配の屋根をのせた二層式の楼門。江戸時代初期に造営された五棟一連の国宝社殿群はこの地を統治していた相良氏によるもので、人吉の人の心の拠りどころであり誇りでもある
そんな人吉の中心的存在が、9年前に現在の制度において熊本県初の国宝に指定された「青井阿蘇神社」。本殿から廊、幣殿、拝殿、楼門まで一直線に並んだ社殿群は江戸初期につくられ、五棟一連という稀少な構成が後世に残すべき文化遺産だとして国宝に指定されました。
「相良700年」が生んだ素朴かつ絢爛な社殿
社殿群の造営は、人吉球磨地方を統治してきた相良家の第20代当主、長毎の時代。慶長14(1609)年に着手され、本殿、廊、幣殿が翌年に、拝殿が2年後、楼門が慶長18(1613)年に完成しました。
茅葺の素朴さと華麗な桃山様式が融合した完成度の高さと、統一的意匠で国宝に
以来400年にわたって大切に守られてきたその社殿建築は、茅葺様式に桃山建築の華麗な装飾性を取り入れ、のちに人吉球磨地方の神社建築の手本となるような独自性の高い意匠を極めたもの。蓮池に架かる太鼓橋からその先に立つ高さ12mの楼門を眺めると、八寸という急勾配の茅葺屋根をのせた姿は、とんがり帽子を被った何かのキャラクターのようにも見えて微笑ましい。旅人にも親しげに門戸を開いているようで、この神社が「青井さん」の愛称で呼ばれているというのもうなずけます。
自分だけの「素敵」を見つける。予期せぬ出合いが旅の醍醐味
黒を基調とした漆塗りの社殿は細部の木組みに赤漆を用い、シックにドレスアップしたかのよう。楼門上部では喜怒哀楽を表した阿吽の鬼面が四方を守り、天井には雌雄の龍がダイナミックに描かれています。さらに儒教の教えを表した「二十四孝」の物語の一部が彫刻されていたり。
小壁に花鳥風月の彫刻が施された幣殿。神事や行事などがない場合は拝殿と幣殿の内部見学も可能
楼門だけでもこの見応えですが、先には内部に神楽殿と神供所を備えためずらしい形式のT字形拝殿、四方壁面に四季折々の花鳥風月を刻んだ幣殿、剣や梵鐘に巻き付いた龍の彫刻を施した廊…と、まるで博物館のよう。
「青井阿蘇神社」語り部、立石さん。神職ではないけれど祭事などさまざまな行事も担う。住民参加の神社ならでは
そのひとつひとつを人吉の歴史文化とともに楽しく解説してくれるのが、神社に控える語り部の立石芳利さん。ここを訪れるなら、立石さんの案内はマストだと断言!
のどかな風景と国宝「青井阿蘇神社」が人吉の旅のご馳走
禅宗様式と桃山様式が調和した楼門。厚さ約30㎝の茅葺屋根は八寸勾配と、全国的にも珍しい様式。扁額に「青井大明神」とあるのは、創建当時の名称の名残
「青井阿蘇神社」の創建は平安初期、都が平安京へ遷った数年後と伝わります。広大な原野の守り神として阿蘇神社に鎮座する十二神のうち三神の分霊が、大同元(806)年の重陽の日にここに鎮まったとか。
境内には、創建から1000年以上、58代にわたって大宮司を世襲した青井家の屋敷や所有文化財等を公開する「文化苑」も。神仏習合の遺品や歴史を物語る史料、屋敷内の見学や庭園散策も楽しめる
鎌倉時代になると、遠江国相良荘(現在の静岡)から派遣された相良氏が人吉球磨の統治をはじめます。それまで集落を治めていた豪族を次々と滅ぼした相良氏ですが、土地に根付く文化や風習、建造物などはそのまま継承するという寛容さをみせ、穏やかに領主交代を成し遂げました。相良氏の民を守る精神が、土地の平和的なのどかさにつながっているように感じます。
国宝を堪能した後は温泉へ
人吉の国宝「青井阿蘇神社」をたっぷりと堪能した後は、明治創業の湯治場から変身した宿へ。ゆっくりと湯につかり、旅で疲れた体を癒します。後編はこちらから!