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長崎市〝寺町〟にある「崇福寺」のふたつの国宝
江戸時代の長崎はオランダのみならず、中国との交易も盛んにおこなわれていました。中国人が長崎に定住するようになったのは、江戸時代になってから。長崎には日本初の中華街が形成され、定住した人たちは航海の安全を守護する道教の女神・媽祖(まそ)や、自らの祖先を祀るため、出身地ごとに寺を建立しました。そのうち、明(みん)時代の福州(現・福建省)から渡来した中国人が故郷の僧を招き、江戸時代初期に開山したのが「崇福寺(そうふくじ)」です。
崇福寺にとって重要な人物が、インゲン豆に名を残す福州出身の高僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)。隠元は崇福寺を黄檗宗(おうばくしゅう)の寺とし、本山として京都・宇治に萬福寺を創建。その弟子・即非如一(そくひにょいち)によって崇福寺の伽藍(がらん)は拡大され、寺は大いに発展しました。
国宝情報
崇福寺 第一峰門 そうふくじ だいいっぽうもん
延宝元(1673)年以前創建。当時は一の門だったので、「第一峰門」。壮麗なデザインながら威圧感はなく、国宝だけれど親しみやすいイメージ。
撮影/佐藤敏和 ※本記事は雑誌『和樂(2023年8・9月号)』の転載です。