皿そばのルーツは、江戸時代に遡る
出石は、但馬(たじま)の小京都と呼ばれるだけあって情緒に溢れています。通りにはレトロな看板のお店もあり、時間がゆっくりと流れているような……。自然にも恵まれていて、運が良いとコウノトリ※1と出合えることもあるようです。
出石町とそばとの繋がりは、江戸時代中期に、出石藩松平氏と信州上田藩の仙石氏が国替えになったことが始まりです。仙石氏がそば職人も伴っていたことから、技法が伝えられて出石そばが誕生しました。
幕末には屋台で出す時に、持ち運びが便利な天塩皿(でしょうざら)に盛って提供するアイデアが誕生。これが、1人前のそばを小皿5枚に分けて出す独特のスタイルに繋がったとされています。

アレンジして食べられる絶品そばの味
シンボル的な時計台として親しまれる辰鼓楼(しんころう)※2から大手前通りを北の方角へ進み、右へ曲がると徒歩約5分で『そば庄』へ。

目の前に並べられた皿そばは、つやつやとしていて、食欲をそそります。徳利のそばつゆ、薬味の刻みネギ、大根おろし、ワサビ、とろろ、そして鶏卵。さてどうやって食べようと思案していると、「どうぞ好きに召し上がっていただいて、いいんですよ。そばを楽しんでくださいね」とお店の方に声を掛けていただきました。
まずそばつゆにそばを入れて、すする。喉ごしが良くて、これは何皿でも食べられそう。薬味やとろろを入れて、風味を変えられるのも楽しいです。追加もokなので、小皿を積み上げる強者も多い様子。そういえば、タクシーの運転手は何皿も食べるとおっしゃっていたなあ。

共に盛り上げる出石そばの輪
都会では、40軒ものそば店が集まる光景を見ることはありません。その点、出石町ではお店を選んだり、はしごをして楽しんだりといった、ぜいたくなひとときが過ごせます。

名店として地元の人や観光客に愛されている『そば庄』は、現在3代目の川原一郎さんが切り盛りしています。創業者で曾祖父の庄太郎さんは、元々は農業をされていましたが、町最初の通年営業のお店としてスタート。当時の出石には2軒のそば店があったものの、どちらも秋に収穫したそばを使用して、売り切れたら終わりの季節限定だったそうです。その後、2代目として引き継いだ父の千尋さんは、「出石皿そば協同組合」で発起人代表を務め、出石そばの発展に尽力されています。また一郎さんも、プロ向けのそば職人育成塾「出石蕎学館(いずしそばがくかん)」を2年前に開講し、より多くの人に技術を広めたいと力を注いでいます。
ライバルではなくて、共に協力する仲間を増やしたいと活動する姿から、そば処として出石町全体が賑わっているのがわかったような気がしました。
基本情報
そば庄
豊岡市出石町鉄砲27ー13
公式ウェブサイト
https://www.sobasho.com/

