日本文化の入り口マガジン和樂web
12月5日(日)
慶良間見しが、まつげ見らん(沖縄のことわざ)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
12月3日(金)

慶良間見しが、まつげ見らん(沖縄のことわざ)

読み物
Travel
2020.04.24

初代館長がホルマリン漬け!?「つやま自然のふしぎ館」は岡山県観光に加えたいスポット!

この記事を書いた人

もし、熊に喰われてしまったらどうなるのか。
 
吉村昭(よしむらあきら)のノンフィクション小説『羆嵐(くまあらし)』で描かれている大正4(1915)年に北海道で村がヒグマに襲われて7人が喰われた三毛別羆事件(さんけべつくまじけん)をはじめ、人が熊に襲われて食べられてしまった事件は過去に何度も起きている。熊によって畑が荒らされたり人が襲われたりすることを指す「熊害(ゆうがい)」という言葉があるくらいだから、ホントに熊は恐ろしい。
 
なんて、まあ、恐ろしさはわかるんだけど喰われてしまうなんて、なかなか想像力が働かない。でも、ある時見てしまったのだ、退治された人喰い熊を解剖したところ腹がからゴロリと出てきたものの写真をね。

白黒だからまだショックは抑えられるけれども本気で熊が怖くなる

「ひえええ、熊こわい〜」

思わず後ずさりして、ふっと後ろを向いたボクはまた叫んだ。だって自分よりも大きなトラが迫ってきていたのだから。

B’zも鉄道も楽しい津山市だけど

こうやって原稿を書いているわけだから、ボクはどうにか生きている。幸いにも冒険譚ではなく博物館での出来事だったからである。

学術か興味本位の見世物小屋か、その一線ギリギリのところに存在している博物館。それが、岡山県津山市にある「つやま自然のふしぎ館」なのだ。

「珍獣」なんて博物館ではあまり使われない言葉だ

岡山県北部の旧美作国の中心地・津山市。
ボクの生まれ育った岡山市からは汽車(電車ではなく気動車なので、地元の人はこう呼ぶ)で78分。かつては急行も走っていたが、いまでは廃止されてしまい一部の快速を除けば、1時間に1本ほどの間隔で運行されている鈍行(各駅停車なんてかしこまった言い方はしない)しかない、のんびりした旅路である。

いきなりお迎えしてくれるセントバーナードの目つきが悪い

近年、過疎化に悩み観光都市として再生を図っている津山市は、けっこう人の訪れる街になっている。街の一番の見どころはロックバンド・B’zの稲葉浩志ゆかりのスポット。次いで、JR津山駅に隣接する車両基地を使った津山まなびの鉄道館。たいてい、津山を訪れる観光客は、このどちらかを見学して名物のB級グルメ・津山ホルモンうどんを食べて帰っていく。

とんでもないところで弁当を食べた遠足の思い出

でも、久しぶりに津山駅を降りたボクは、そんな人気スポットよりも「つやま自然のふしぎ館」へ行きたくてたまらなかった。

この博物館との最初の出合いは思い出深い。

最初に訪れたのは、小学校5年生の時の遠足である。確かバスで移動して博物館見学の後に近くにある鶴山公園(津山城)で、お弁当を食べる予定になっていた。

ところが、当日はものすごい大雨。お城の見学は中止になり先生たちがどういう交渉をしたのか、博物館の中で敷物をしいて弁当を食べることになったのだ。

背景の絵が手書きなので無駄に迫力がある

「なんだか、えらく怖いところで弁当を食べたな」

そんな記憶の糸を辿った先にあったのが「つやま自然のふしぎ館」であった。つまり、20数年ぶりの再訪である。

そこは、入口からして遠い昔の記憶よりも衝撃的なスポットであった。入口に展示されているのはセントバーナードの剥製だ。単に置かれているだけでなく、触ってもいい旨が記されている。剥製の醸し出す独特の雰囲気に、子供だったらこの時点で泣き出しそう。なぜ、小学校の遠足にここを選んだのかは、今でも謎である。

なぜ恐竜たちは戦わなきゃいけないの

入場料を払って中へと足を踏み入れると、さらにほかでは味わったことのない空気を感じる。なにしろ、壁に描かれた恐竜の絵は恐竜同士が戦っているのだ。

とりあえず恐竜は対決するもの。昭和の頃は確かにそうだった

恐竜はいつの時代でも子供が大好きなジャンル。今でも書店には最新の研究を踏まえた子供向けの本がいくつも並んでいる。たまに、興味を持ってパラパラとめくるのだが「あれっ」と思ってしまう。なにか迫力が足りないのだ。

物足りなさを感じるのは、ボクが大人になったからではない。かつて、そうした本には教育的にはどうだかよくわからないけどワクワクするコーナーがあった。例えば、ティラノサウルスとライオンとどっちが強いかというコーナーだ。

力の面ではティラノサウルスにライオンが叶わないのは一目瞭然。でも、ライオンは群れで狩りをする生き物。群れで飛びかかればいかに強いティラノサウルスでも五分の勝負になってしまうのではないか……と、まあ、そんなことが記されていたわけだ。

怪獣映画にインスパイアされたような、独特の迫力がある手書きの絵を用いて。

今ではなんでもCGで描かれる時代。そうしたインパクト重視の子供向けの本もいつの間にか姿を消してしまった。

でも、どうだろう。

この博物館は、そんな消え去った昭和的な要素に満ちているではないか。

献身かやり過ぎか……館長自ら展示物に

入口から続く第1室「化石の世界」から、ギシギシと音がする年季の入った廊下を進んでいくと、この博物館のベースとなっている展示に出合う。それは、第2室「人体の神秘」だ。

ここのメインの展示は初代館長である。

この博物館は、1963年に旧「津山基督教図書館高等学校夜間部」の校舎を移築して開館したものだ。開館にあたって集められたのは、化石や鉱石類、昆虫や動物の標本など約2万点。

なお「つやま自然のふしぎ館」は愛称で正確には「津山科学教育博物館」という。初代館長の森本慶三(もりもとけいぞう)は、明治8(1875)年に津山市に生まれた。生家は呉服や金融を営む裕福な家で、跡取りとして育てられる一方で創設間もない東京帝国大学に進学し農学を学んでいる。当時としては、お金も頭脳も持ったスーパーエリートである。

そんな森本が若き日に出合ったのが、内村鑑三(うちむらかんぞう)が、キリスト教を説いた『求安録』(現在は岩波文庫で刊行)。

内村に教えを請い自らもキリスト教を信仰するようになった森本は、一度は稼業を継ぐも廃業。大正15(1926)年に津山基督教図書館を私財で創立。以降、昭和39(1964)年に没するまで伝道と地域の文化向上に生涯を支えたのである。

薄暗い廊下が続く館内はかなり不気味。常に肝試し感がある

開館からわずか1年あまりで亡くなってしまった森本が遺言として託したのが、自分の身体であった。「人体構造をより深く知って欲しい」と願った森本は、自ら展示物となることを望んだのだ。

こうして、展示室には「神は天地の主宰」「人は万物の霊長」という言葉と共に森本の骨格。そして、ホルマリン漬けになった臓器が並べられているのである。

ホルマリン漬け自体あまり見ないもの。それも人体のなんて

そう、この博物館全体に漂う独特の空気というのは、単なる雰囲気ではない。どこからか徐々に漏れ出しているのか、ホルマリンの独特の臭いが染みついているのである。その臭いが設備の整った現代的な博物館ではありえない感覚を与えてくれるのだ。

貴重なはずの剥製で遊びすぎてる展示手法

ここを抜けて、ギシギシと鳴る階段を昇れば昆虫や動物の展示される2階だ。狭い廊下の向こうにはアジアやアフリカ、北米大陸など部屋ごとに地域をわけて、剥製が展示されている。

やたらと見学者に襲いかかりがちな剥製たちである

なぜか、見学者に向かって飛びかかるかのような顔をして設置されている動物の剥製。

悪趣味な見世物感があるけれども、これは極めて貴重な展示物だ。現在では、多くの動物の剥製は過去に製作されたものも含めてワシントン条約で規制されている。新たに動物を捕獲して剥製にしたり、海外から輸入することはできない。千金万金を積んでも、ここまでの種類の剥製を集めることはできないのだ。


運営側がやたらとユーモラスなのはなぜなのか

そんな剥製を惜しげもなく展示しているだけで博物館としては貴重。
なのに、いちいち展示がおかしい。なぜか、ホッキョクグマとゾウアザラシが対決するポーズで展示されていたりするのである。しかも、ホッキョクグマの足元にはペンギンがトコトコと歩いているのだ。

一見、ユーモラスな様子だが油断はできない。ふと、別の方向に顔を向けるとワニがこっちに向かって大きく口を開けているポーズで展示されていたりするからだ。

次はナイトミュージアムに来よう

高尚な博物館の目的とは裏腹に、どこか怪しげな見世物小屋的雰囲気に満ちた展示。こんな展示が行われるとは、初代館長の森本はとても愉快な人物だったのだろうか。

運営側も、この博物館が一種の珍スポットということはわかっているのか昨年は懐中電灯を片手に館内を回るナイトミュージアムも開催されたという。

とにかくどこから襲いかかられるかわからないので注意だ

よくもまあ、こんな博物館で楽しく弁当を食べたものだ。少年時代の懐かしさと共に、また何度も訪れたいと思った。

つやま自然のふしぎ館
所在地:岡山県津山市山下98-1
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:
3月、7月、9月/毎週月曜日
6月、11月~2月/毎週月・火曜日
※その他の月および祝日は開館
年末年始(12月29日~1月2日)
公式サイト:
http://www.fushigikan.jp/

高校生の頃に立ち寄った記憶のある大判焼き屋。とっくに無くなっているかと思ったら代替わりしたらしく続いていた。なんとも懐かしい

 

書いた人

編集プロダクションで修業を積み十余年。ルポルタージュやノンフィクションを書いたり、うんちく系記事もちょこちょこ。気になる話題があったらとりあえず現地に行く。昔は馬賊になりたいなんて夢があったけど、ルポライターにはなれたのでまだまだ倒れるまで夢を追いかけたいと思う、今日この頃。