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2020.04.27

こんなに美しいのにコロナの影響で急遽閉館なんて。名モダン建築ホテル「東京さぬき倶楽部 」

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かつて東京には、受験や就職、出張などで地方から上京する時に宿泊でき、同郷人の集まりの場でもあった都道府県人会館がいくつもありました。地域の人々のつながりが深く、お互いに助け合う気持ちがあったからこそ、県人会という活動も盛んだったのでしょう。しかし、時代とともに存在意義は薄くなり、現在東京に残る都道府県人会館は「東京さぬき倶楽部」「富山県赤坂会館」「島根イン青山」の3館のみです。

そして、2020年(令和2年)4月末に東京都港区三田にある「東京さぬき倶楽部」が閉館することになりました。地域一帯の再開発計画に加え、建物も老朽化しており、同年8月末の閉館を予定していましたが、コロナウィルスの影響によって前倒しとなってしまいました。建築家の大江宏による堂々とした建物に加え、都心の一等地・麻布に位置しながら都会のオアシスのような庭が広がる、現在の東京には貴重な空間でした。

再開発の波にのまれる三田小山町

東京さぬき倶楽部は地下鉄麻布十番駅から3分ほどの、旧地名では「三田小山町」と呼ばれる場所にあります。昭和初期からの木造家屋が立ち並ぶ下町風情の残る一帯は、再開発計画が進行し、令和6年には高層ビル街として生まれ変わる予定です。


周辺の中でもひときわ風格のある建物は、2007年(平成19年)に廃業した銭湯「小山湯」。なんと1921年(大正10年)に築造されたもの。格子模様が美しい吹きガラスの連窓は、当時の木造銭湯としては、かなりモダンなものだったのではないでしょうか。近くを流れる古川の両岸の麻布新広尾町は、永井荷風が1914年ごろ(大正3)に執筆した『日和下駄』で“貧民窟”と例えられた場所。その後、数年を掛けて少しずつ周囲が整備されていった時に、この銭湯がつくられたのだと想像されます。

東京讃岐会館としてオープン

東京さぬき倶楽部の前身である「東京讃岐会館」は1972年(昭和47年)にオープン。香川県民の東京での宿泊や、県民の活動・交流・情報発信の場として県勢発展に貢献してきました。東京讃岐会館の表札が残る門扉には蔦が絡まり、華族のお屋敷のような雰囲気です。建物は国立能楽堂を手掛けた大江宏(1913~1989)による設計。大江宏と香川県との縁は1965年(昭和40年)に竣工した香川県文化会館の設計から。当時、香川県知事だった金子正則は、香川県の建築文化向上を図った立て役者です。高度経済成長期の真っ只中で「経済の成長も大切だが、そこに文化もなければ人の真の幸せはない」と提唱し、「香川県の建築及び都市開発のデザイン・ポリシー」により第8回毎日芸術賞特別賞を受賞。「デザイン知事」と呼ばれ、丹下健三の設計による香川県庁舎東館など数々のモダン建築を香川県にもたらしました。

大江宏設計のモダニズム建築

入り口から見て右手の低層のエントランス棟と左手の高層12階建ての宿泊棟が寄り添う構成。エントランス棟のリズミカルなコンクリートシェルの天井は、大江が讃岐会館より10数年前に設計した法政大学55年館(既に取り壊し)の屋根にも用いられていました。これに対して、宿泊棟は直線的でそっけないくらいの無機質さを感じるのですが、内部に入ると印象はがらりと変わります。

エントランスの奥に広がる吹き抜けのラウンジはさまざまな素材がしっくりと組み合わされた美しい空間。アルミ板を組み合わせて照明を柔らかく拡散させた天井、瀬戸内海の青色をイメージして作られた壁面の陶板タイル。香川の大地を思わせる煉瓦の壁。窓際の低くなった天井にはあらかじめ特殊な型枠で成形されたコンクリートを用い、照明が模様のように埋め込まれていました。

ジョージ・ナカシマのラウンジチェア

ゆったり大きな椅子とテーブルは日系二世としてアメリカに生まれたジョージ・ナカシマの作品。アメリカで育ったナカシマと香川を結びつけたのも、やはり、当時の知事である金子正則です。現在ナカシマの作品を制作しているのはアメリカ・ペンシルヴァニア州の工房と、香川の桜製作所のみ。桜製作所にはジョージ・ナカシマ記念館が併設されています。ナカシマの家具は素材の美しさを限界まで生かすデザインが特徴。ラウンジに置かれた椅子は、座面が低く、少し後ろに傾斜しているために背もたれに体を預けられて自然とくつろげる姿勢に。大江宏自らデザインしたエントランスホールの吹き抜けに下がるシャンデリアは、近未来映画を思い出させる構築的な美しさ。建物が取り壊される時に、少しでも残せるものがあればと願わずにはいられません。

香川なら朝食はやはり

宿泊用の客室は全80室。シングル・ダブルルームのほか、家族で利用できるように和室も用意されていました。シングルルームは必要最低限のコンパクトさですが、机と一体につくられたラジオ付き木製ヘッドボードのレトロモダンなデザインが堪りません。ルームキーには昔ながらのアクリルバーのキーホルダー。トイレと風呂は共同という簡素な作りですが、その分宿泊代は安く、長期に宿泊する受験生などは重宝したのだと思います。


朝食は洋食・和食のほかに、香川ならではの“うどん”が選べるのがユニーク。香川では朝から開店しているうどん屋があり、朝食で食べることも多いのだとか。香川県のめん工場から直送される麺はもちもちとした食感。カツオとイリコの澄んだ出汁が朝のお腹にやさしく染みわたるのでした。

明治時代に建てられた木造建築も

庭の大木の桜は残念ながらかなり散っていましたが、新緑の萌える木々が広がる庭は風情があり、ここが都心の一等地にあるとは思えない静けさを感じます。毎年夏になると中庭ではビアガーデンが催されていました。

さらに敷地の奥には、別館の木造の和食レストランと茶室があります。別館1号館は1887年(明治20年)築の木造建築であり、当時の住宅建築の趣を色濃く残したもの。別館2号館は明治~昭和時代の官僚であった藤田四郎の本邸の一部を移転した1900年(明治33年)ごろの建物で、「紅梅屋敷」と呼ばれていたものです。どちらも和食レストランとして使われていましたが、残念ながら取材時にはコロナウィルスの対策から閉店していました。

2020年(令和2年)4月末閉館

東京さぬき倶楽部は2020年(令和2年)東京オリンピックのゲストをもてなした後の閉館を予定していましたが、コロナウィルスの影響から予定が早まり、4月末にひっそりと閉館することになりました。老朽化や耐震構造の問題などで致し方ないとはいえ、日本の名建築がまた一つなくなってしまうのは本当に惜しい限りです。

書いた人

1969年生まれ。一級建築士。建築をはじめ、さまざまなジャンルの取材をしています。魅力ある建築とおいしい食べ物を探す嗅覚には自信あり。建物も食も、つくった人の息づかいが感じられるようなものに出会うと心がときめきます。