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Culture
2020.06.03

戦国武将の健康意識は超絶ハイレベル!島津義弘・伊達政宗など医学に長けた人もいた

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世界を巻き込んだ手洗い動画「PPAP-2020」。
確か、前回は「ペン」と「アップル」の合体だったと、まだ記憶に新しい。はて、今度は何を……と思えば、とにかく「手を洗え」の連呼。新型コロナウイルスの猛威を防ぐためかと、納得した。

さて、「手を洗え」の連呼は、何も現代に始まったことではない。既に、戦国時代に「手洗い」を執拗に推奨していた人物が。あの、奥州の覇者、伊達政宗である。とにかく、政宗は清潔好き。「手洗い」を自分のみならず、家臣にも口を酸っぱく繰り返し、実践させていたという。

確かに、戦国武将にとって、怪我・病気は命取り。
三英傑の1人、徳川家康の天下取りは「健康」ゆえに実現できたコト。豊臣秀吉の死後、最大のライバル・前田利家は死去。彼らより10年以上も長生きしたからこその「棚ぼた的天下」なのだ。そんな家康だが、自他共に認める大の健康オタクで、自ら薬を調合していたことでも有名。しかし、じつは、家康だけではない。戦国時代には、他にも「意識高い系」武将がいたというのだ。

そこで今回は、健康への意識が高く、加えて「特技」を持っていた戦国武将をご紹介。その驚くべき技は、専門家も舌を巻くほど。武芸だけでなく、全ての道に通じていたことを実感して頂きたい。

島津義弘の「金創医術」はドクターX並み?

最初にご紹介するのは、享年85歳の島津義弘(しまずよしひろ)。九州の島津四兄弟の次男。朝鮮出兵の際には、明国から「鬼石曼子(グイーシーマンズ)」と恐れられた猛将である。

その戦いぶりは「鬼」と表現されるほどに苛烈。ひるむことなく突き進む。だが、一方で心根は非常に優しく、慈悲深かったとされている。戦いが終われば、その地に供養塔を建て、敵味方問わず鎮魂の儀式を行ったとか。信心深かったせいか、それとも博愛精神ゆえの行動か。

敵軍にそこまで慈悲深ければ、味方であればなおさら。身分や階級などを度外視して、家臣との団結を第一に考えていたという。そんな島津義弘が目をつけたモノがある。学問よりも深く知識を吸収したという「人を救う技術」である。当時の言葉でいえば「戦陣医術」。傷の手当など、外科医と同じような処置を施すことができる専門的な医術である。

当時の医療はというと、日本古来の迷信めいたモノから、ヨーロッパから入ってきた「南蛮医術」まで。幅広く、そして発展途中であった。例えば「病」の治療にはいくつかの方法が記録されている。疫病などには加持祈祷(かじきとう)を行い、神仏の力を借りて鎮める方法。他にも、数日間温泉に浸かって体を癒す「湯治(とうじ)」や、漢方薬での治療も行われていたという。

一方で、戦場での怪我、具体的には刀剣類、弓矢や鉄砲による傷には、現在でいうところの「外科」の処置が行われた。いわゆる、平安末期から誕生した「金創医術(きんそういじゅつ)」である。この「金創医術」は、多くの流派に分かれ独自に発展した。

ただ、流派といっても、手順はほぼ同じ。使用する薬などは異なるが、一連の流れがあるのだとか。まずは、気付薬で恐怖を和らげ落ち着かせ、止血する。次に、傷を消毒する。場合によっては縫合も。そうして化膿止めのような薬を内服する。

島津義弘は、この「金創医術」の奥義を極めていたという。驚くことに、そのレベルはほぼ軍医と同じ。傷洗いから鉄砲の弾抜きまで。一説には、腸の縫合まで行えたとか。

さらに、「金創医術」は助産師的な役割も担っていた。そのため、義弘は出産にあたっての知識も持ち合わせており、異常分娩にも対応ができたとも。恐るべし、島津義弘。ドクターXよりも幅広く、「産婦人科」から「外科」までこなすスーパー戦国武将。

もっとも、自分の手で斬りながら、自分の手で治す?ある意味、なんだか、ややこしい気がしないでもない。

島津義弘像

そんな島津義弘の博愛精神は、とどまるところを知らず。
戦場では、下級武士であっても分け隔てなく治療。なんなら、往診にも出向いていたとか。また、記録によれば眼科医などもわざわざ九州へ呼び寄せて、領国内に滞在させている。義弘も積極的にその知識を学んだはず。

それにしても、主君に傷の手当てをしてもらうだなんて。そりゃ、関ヶ原の戦いでは、「殿を生きて帰すゾ~」ってなるワケで。確かに、専門的な医術を身につけることも重要だが。島津義弘にとって、それは単なる手段に過ぎなかったのではないだろうか。家臣との一致団結を促すための手段。義弘の持つ特技は、さぞ役に立ったに違いない。

伊達政宗の秘技「推脈」で病を早期発見?

次にご紹介するのが、享年70歳の伊達政宗。もちろん、彼も「ザ・健康」意識高い系の筆頭格。

ただ、徳川家康や島津義弘らとは、その方向性において一線を画する。というのも、彼らは、薬や金創医術などの専門知識を貪欲に追い求めた。つまり、1つの分野に特化したワケである。これに対して、伊達政宗は「日常生活」に着目した。とにかく「毎日規則正しい生活を」。どこぞの厳格な修道院の訓示のようではあるが。このシンプルな信条を、政宗は日々心掛けたという。

『政宗公御名語集』には、以下のように記されている。

「起床後、みずから髪をたばね、手水をすませ煙草を数服すったのち、小袖を着、脇差をさし、表に出て閑所に入る。(-中略ー)ここで朝の献立をみて指示を与え、一日の用を整えた。したがってここで一時(二時間)も過ごすことがあった。次に行水を使い、表の寝所で着がえをし、居間で髪をゆう。(-中略ー)朝食は表座敷の上座の座所でとった。家臣らが相伴させられた」
(小林清治著『伊達政宗』より一部抜粋)

ここでいう「閑所(かんじょ)」とは、二畳敷のトイレ付個室。政宗はそこに棚を置いて、硯(すずり)や紙、書物などの道具を揃えたという。冬には火を入れ、夏には虫を防ぐ絹を張り、快適に過ごせるよう工夫していたのだとか。

朝食後も同じように、閑所、居間、閑所、夕食、就寝と、決まったスケジュールを粛々とこなす。このサイクルは年老いても変わらず、日中に横になることもなかったといわれている。こまめに手を洗い(手水)、体を洗い(行水)、常に「清潔を保つ」ことを心掛けていた政宗。現在の新型コロナ防止の自粛生活でも、何不自由なく暮らせそうな勢いだ。

伊達政宗像

さて、この「規則正しい生活」。一見なんでもなさそうに見えて、じつは予想以上に大きな効果があるのだとか。それは、ズバリ、体の違和感が早期に掴めるというコト。日々同じ生活をすることで、平常時の自分の体調が把握できる。だからこそ、些細な体調不良も見逃さないというワケだ。

加えて、政宗には隠れた特技があった。
「推脈(すいみゃく)」である。簡単にいえば「脈診」のコト。

日々、脈を取り続ければ、普段と異なる脈に気付くことができる。いわゆる「不整脈の発見」である。不整脈は多くの病気を引き起こす。例えば「脳梗塞(のうこうそく)」などはその典型例だろう。事前に察知できずに、倒れてしまう人が多い病気の1つである。しかし、政宗の特技である「推脈」を使えば、体の異変を早期の段階でキャッチすることもできる。

脈を取り、体の異常事態を把握。その後、即時に主治医を集めて会議を行う。病の特定や治療方針などを主治医と相談する。こうして、政宗は一連の処置をてきぱきと指示。その見立ては、医者も感心するほどに的確だったとか。ちなみに、家臣などの脈も取っていたというから、もう完全なる医療従事者である。

ただ、政宗は、非常に「残念な人」だった。ここまで健康への意識が高いはずなのに、まさかの大酒と煙草(たばこ)を愛していたというコト。いわば「灯台下暗し」である。不健康の代表格である「ダブル悪」を、政宗はとうとうやめることができなかった。これにより寿命を縮めた可能性も。

詰めが甘いというかなんというか。
けれど、こういう相反する矛盾こそが、じつに政宗らしいと思うのは、私だけだろうか。

戦国武将には、多くの守るべきモノがある。
一族、家臣、領国の民。それは、現代人とは比べものにならないほど。その両肩には、支えきれないほどの重量がかかっていたはず。どうすれば、守り抜けるのか。日々、そう考えたに違いない。

そして。
徳川家康のように、ある答えを導き出せた者だけが生き残ることができた。
何ら特別なことはない。ただ「健康であれ」というコト。
答えは、すぐそこにあったのだ。

参考文献
『病気日本史 普及版』 中島陽一郎著 雄山閣 2018年4月
『戦国武将の病が歴史を動かした』 若林利光著 PHP研究所 2017年5月
『伊達政宗』 小林清治著 吉川弘文館 1959年7月
『独眼竜の野望 伊達政宗の生きざま』 晋遊舎 2013年12月
『島津義弘―慈悲深き鬼 (戦国闘将伝)』 戦国歴史研究会著 PHP研究所 2008年6月

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書いた人

日本各地を移住するフリーライター。教育業界から一転、ライターの道へ。生まれ育った京都を飛び出し、北海道(札幌から車で4時間、冬は-20度)で優游涵泳の境地を楽しむ。その後は富山県、愛知県へと流れつき、馬車馬の如く執筆する日々。戦国史、社寺参詣、職人インタビューが得意。