温泉の定義は? 歴史はいつから?
温泉の定義は普通の水と異なる天然の特殊な水やガスが湧出する場合に温泉とされています。健康促進、美容効果など、究極の癒しとして昔から温泉が愛されていますが、そもそもいつの時代から温泉は誕生し、現代にまで受け継がれてきたのでしょうか。今回はそんな温泉の歴史をひもといていきます。
古代に遡ります! 神が見つけた温泉
日本には三古湯と呼ばれる温泉があることをご存知ですか? それは、愛媛県・道後温泉、兵庫県・有馬温泉、和歌山県・白浜温泉を指し、いずれの温泉も神にまつわる由緒がつたえられています。
日本最古の温泉「道後(どうご)温泉」
三古温泉のなかでも最も古いと思われているのが、「伊予国風土記(いよのくにふどき)」に記されている道後温泉です。記述によると、大穴持命(おおなむちのみこと)と宿奈毘古那命(すくなびこなのみこと)が伊予国にやってきた際に、宿奈毘古那命は急に体調をくずします。命を救うために大穴持命が身体の小さい宿奈毘古那命を「しばらく寝ちゃったな」と言って石の上に立って辺りを見回したとのこと。その時の石は「玉の石」と呼ばれ、現在も道後温泉におかれています。これが、日本の文献の中で最も古い時期と思われる温泉の記述です。
ちなみに、大国主には多くに神名があり、伊予国風土記で大穴持命は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」、宿奈毘古那命は「少彦名命(すくなびことのみこと)」と表記されています。
温泉を見つける神コンビ!?
大国主命と少彦名のコンビは出雲国で玉造(たまつくり)温泉を発見し、有馬を訪れた際には、傷ついた3羽のカラスが泉で傷を癒しているのを見て、温泉をまた発見。少彦名命は箱根元湯を発見したという話も伝わっています。そんなことから、大国主命と少彦名命のコンビは、温泉とかかわり深い神として崇められ、前述の温泉のほか、白浜温泉や大分県・別府温泉や栃木県・鬼怒川温泉の温泉神社の祭神として祀られています。
日本人の温泉好きは神ゆずり?
神話時代の後期に活躍した日本武尊(やまとたけるのみこと)も温泉を愛した神のひとりです。東征の戦の傷を温泉で癒したと伝えられ、日本人の温泉好きは神々にさかのぼることがわかるのです。そして、神に連なる景行(けいこう)天皇と后、仲哀(ちゅうあい)天皇と神功(じんぐう)皇后、聖徳太子は道後温泉を訪れ、舒明(じょめい)天皇や孝徳(こうとく)天皇は有馬温泉に行幸。斉明(さいめい)天皇は有馬温泉や白浜温泉で骨を休めと「古事記」や「日本書紀」に記されています。このようにして今日に伝えられている話が嘘なのか真なのか…。それは神のみぞ知るところです。
中世での温泉は空海や行基の布教によって広められた
開湯伝説でおなじみ?! 空海の温泉布教
現在伝わっている温泉の開湯伝説を見てみると、弘法大師空海の名前が多数あることがわかります。今から1200年前、唐に渡って密教を学んだ空海は、唐の発達した学問や文化も日本にもたらしました。帰国後の空海は日本各地へ布教に出かけ、ゆかりの温泉は「独鈷(とっこ)の湯」がある静岡県・修善寺(じゅぜんじ)温泉のほか、群馬県・法師温泉、和歌山県・龍神温泉、熊本県・杖立(つえたて)温泉など、北海道を除く日本全国に50ほどあります。
空海の開湯伝説の中で最も多いのは、持っていた杖を突いたところから湯が湧き出したというもの。これには、空海は唐で地下水を発見する技術を習得していたから、温泉を掘り当てることができたという説が。しかし、それを実証する根拠は残念ながらありません。
空海に次ぐ温泉の発見者、僧・行基
空海に次いで多くの温泉を発見したのは、奈良時代に貧民救済・治水・架橋などの社会事業に活躍した僧・行基です。その名を残す湯は、福島県・東山温泉、長野県・渋温泉、石川県・山代温泉など。総数では空海に及ばないものの、全国に広く分布しています。
温泉発見のもう一つの真相
空海、行基が仏教の普及のために諸国を行脚した先々にはたくさんの伝説が残されています。それが温泉発見につながって伝えられたとしても不思議なことではありません。中世には、僧侶は農村におもむいて農業や治水を指導する役割になっており、医学についての心得があるものも少なくありませんでした。おそらく、そのような名もなき僧侶たちの働きによって発見された温泉が有名な空海や行基などの名を借りて権威づけされ伝わっていったり、誰もが知る空海の名前を冠(かん)することで、布教につなげたとも考えられています。
近世では、戦国武将も温泉を愛した!
自分だけでなく領民にも入浴を奨励した武田信玄
武田信玄は長年のライバルだった上杉謙信との大勝負、川中島の合戦で勝利をおさめます。しかし自陣に戻った信玄の足には槍で刺された傷があり、左腕には矢を受けるなど満身創痍(まんしんそうい)。そのとき、信玄が傷の治療のために温泉に向かったことが、武田家の軍学書「甲陽軍鑑(こうようぐんかん)」に記されています。その湯は山梨県にある湯村温泉でした。
温泉で入浴しながら作戦会議?! 無類の温泉好き、豊臣秀吉
信玄に負けず劣らず温泉を愛していたのは、有馬温泉にたびたび訪れていた豊臣秀吉。主君である信長が本能寺の変で明智光秀に討たれた直後、姫路城に戻った秀吉は、何をするにもまず風呂に入ったと伝えられています。そして、光秀を討つための采配を振るう際にも、部下を風呂に呼び寄せて行ったといいます。主君の仇を討ち、天下を取ろうかという緊迫した場面でありながら、風呂で軍略を進めていたところなど、いかに秀吉が風呂好きであったかを如実に物語っています。
熱海でお忍び? 徳川家康も温泉にハマっていた
無類の温泉好き、豊臣秀吉から温泉の効能を教えられたのが、まだ江戸城主だったころの徳川家康でした。以来、温泉を好むようになった家康は、関ヶ原の合戦前年には5日間、江戸幕府を開いた翌年には1週間、熱海で過ごしたという記録があります。また、関ヶ原の合戦に向かうときには、お忍びで熱海へ行き、2〜3日過ごしたという話も伝わっています。そんな家康の贔屓もあってか、熱海の湯は江戸城に献上されるようになります。三代将軍家光の時代には箱根からも献上湯が届けられ、家綱や綱吉の時代にも引き継ぎ箱根の湯が運ばれていました。
温泉の泉質と効能をまとめてみました!
今回登場した温泉地の泉質と効能を簡単にご紹介します。泉質によって効能が違うので、自身の体調に合わせた温泉旅行プランなどたててみてはいかがでしょうか。
愛媛県・道後温泉
泉質…アルカリ性単純泉。
効能…美容作用、自律神経不安定症、不眠症 等。
兵庫県・有馬温泉
泉質…泉質は湧出場所に異なり、金泉(きんせん)、銀泉(ぎんせん)の大きく二つにわけて泉質が存在します。
効能…金泉(含鉄ナトリウム塩化物強塩高温泉)は冷え性、腰痛、筋・関節痛、各種アレルギー 等が効能で、銀泉(二酸化炭素泉と放射能泉)は高血圧症、末梢動脈閉鎖性疾患、食欲増進 等。
和歌山県・白浜温泉
泉質…食塩泉、二酸化炭素泉、重曹泉。
効能…胃腸病、神経痛、リウマチ 等。
大分県・別府温泉
泉質…単純温泉、二酸化炭素泉、炭素水素塩泉、塩化物泉。
効能…疲労回復、筋肉痛、慢性皮膚疾患 等。
栃木県・鬼怒川温泉
泉質…アルカリ性単純泉、単純泉。
効能…神経痛、筋肉痛、冷え性、疲労回復 等。
群馬県・法師温泉
泉質…硫酸塩素泉。
効能…胃腸病、やけど、動脈硬化 等。
和歌山県・龍神温泉
泉質…炭酸水素塩泉。
効能…慢性皮膚病、神経質、関節痛、慢性消化器病、切り傷 等。
熊本県・杖立(つえたて)温泉
泉質…弱食塩泉。
効能…美肌作用、皮膚病、運動麻痺、冷え性、疲労回復、健康増進 等。
福島県・東山温泉
泉質…硫酸塩素泉。
効能…リウマチ性疾患、運動器障害、慢性皮膚疾患、更年期障害、動脈硬化、高血圧症。
長野県・渋温泉
泉質…単純温泉、塩化物泉。
効能…疲労回復、ストレス解消、冷え性、切り傷 等。
石川県・山代温泉
泉質…硫酸塩泉、塩化物泉。
効能…腰痛、神経痛、胃腸機能の低下、自立神経症、睡眠障害、疲労回復 等。
※効能は全ての方に効果を保証するものではございません。
参考文献/「温泉百話」中村 昭著、「温泉と日本人」八岩 まどか著(青弓社)
※「和樂」2009年2月号を再編集しました。