火事と喧嘩は江戸の華、なんて言葉がありますが、江戸の町は本当に火事が多かったのだそう。
100万都市とも言われた江戸の繫栄は、そのまま火事のリスクに繋がり、徳川治世約270年間で、町は実に計49回の大火を含む1800回近くの火事に見舞われました。
そこで享保3年(1718)に生まれたのが、武家による組織ではない、民間の「町火消(まちびけし)」です。
まさに江戸っ子!町火消!
町火消は、火事を見つけると即座に現場に急行し、はしごをかけて屋根に上ると組の纏(まとい)を振り、どの組が一番に駆けつけて、現場の指揮をとるのかを示しました。屋根の上に仁王立ちになって颯爽と活躍する姿は、憧れの対象となったのだとか。
町火消は、頭取(とうどり)・頭(かしら)・纏持(まといもち)・梯子持(はしごもち)・平人(へいにん)・人足(にんそく)という階級に分けられ、組織だった行動を取っていました。
江戸には大名による大名火消(だいみょうびけし)、旗本による定火消(じょうびけし)もいましたが、町火消は彼らへの対抗意識が強く、しばしば小競り合いが起きていたそう。
死をも恐れぬ勇み肌の、粋でいなせな町火消は江戸の町のヒーローで、幕末には「江戸っ子」の代表の一つとされたのです。
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今でも正月に消防関係者が行う出初(でぞめ)式の行われるはしご乗りや木遣り唄に、町火消の心意気を垣間見ることができます。
カッコ悪い名前なんていらないYO!
時代劇などでかっこよく登場する「め組」の親分。「め組」のように、町火消は「いろは47組(のちに48組)」に分けられ、18世紀後半には1万人ほどいたといいます。各組でそれぞれ揃いの半纏(はんてん)を着て纏を振り、判別できるようにしていました。
しかし、いろはのすべての文字が組の名前になっていたわけではありません。
「へ(=屁)」「ら(=魔を意味する[マーラ])」「ひ(=火)」「ん(=終わりを意味する)」は音の響きがよくないとされ、「百」「千」「万」「本」に置き換えられました。
火消は誰がどんなことをしていた?
町火消は、ほとんど鳶職人が兼任しています。それは、当時の消火方法と深く関わっていました。
江戸の町では、延焼による被害拡大を防ぐために、火元より風下の建物を壊していく、という方法が取られていました。こうした作業は危険を伴い、慣れていない人が行うとその人自身も含めて怪我のリスクが大きくなるため、建築のスペシャリストである鳶職人が火消を担うようになっていったのです。
また、明和年間(1764~1772年)ごろには、木製の手押しポンプ式放水機「竜吐水(りゅうどすい)」も現れます。これは火災のごく初期段階のみに対応できるものでしたが、明治時代まで使用されました。
アイキャッチ画像:メトロポリタン美術館所蔵品より