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2020.07.09

蘇る、あの日の思い出。戦後日本の景色を撮影し続けたオリンパス「PEN」を、今だからこそ見直す

この記事を書いた人

筆者にとって、衝撃的なニュースが舞い込んだ。

オリンパスがカメラ事業を売却するという話題だ。ひとつの時代が終焉を迎えた、ということだ。

カメラとは、高級品であり贅沢品だった。何年も地道に貯金をしてようやく買える代物、それがカメラである。しかしオリンパスは、革新的なアイディアでカメラの価格破壊に成功した。

庶民でも買えるようになったカメラは、戦後日本の過ぎ去り日を撮影し続けた。60~70年代の日本人は、オリンパスのコンパクトカメラと共に歩んだと言っても過言ではない。

そして、偉大なカメラは我々現代人の生活をも変えてしまった。

驚異的な安価の「PEN」

1959(昭和34)年10月、ひとつの製品が巷で話題になった。

オリンパスが開発した『PEN』というコンパクトカメラである。

小型かつシャープな写りのテッサータイプレンズを搭載したPENは、35mmフィルムの1コマを縦半分に割って撮影するハーフサイズ機。36枚撮りのフィルムで72枚撮影できることが特徴だ。そんなPENに、何と6800円という価格がつけられていた。

安過ぎる! テッサーはコストのかかるレンズじゃなかったのか?

当時の消費者が驚愕するのも当然だ。1959年の大卒初任給は1万2000円も出れば御の字、1万5000円は大企業勤めの証である。巨人軍の長嶋茂雄の年俸は360万円、同じ巨人軍の二軍選手だった馬場正平(のちのジャイアント馬場)は月5万円の給料をもらっていた。そんな物価レベルの時代だから、安くても2万数千円はするカメラはポンと買える代物ではない。

この前年、日清食品はチキンラーメンを発売した。価格は35円。当初、この価格設定は卸売業者の間で「高い!」と言われていた。そうした金銭感覚で考えないと、PENの革新性は理解できないだろう。

このカメラは、オリンパスの新米技術者の熱望が具現化した製品でもあった。

「安価=粗悪」ではない!

米谷美久がオリンパスに入社したのは1956(昭和31)年。最初の2年を工場での実習に費やしたのち、米谷は設計部署に帰ってきた。

彼はあるひとつの問題を胸の内に抱えていた。それはカメラというものがあまりに高過ぎるという問題だ。

1958(昭和33)年の日本の白黒テレビ普及率は、ようやく2割に届いたところ。テレビ、冷蔵庫、洗濯機のいわゆる「三種の神器」は主婦にとっての憧れだった。まずはそれを買い揃えなければならないのだから、何万円もするカメラなど夢のまた夢。

ならば、カメラ自体を安くしてしまおう。が、だからといって粗悪なものを作るわけにはいかない。

日清食品のチキンラーメンの35円には当初批判があったことは先述したが、カメラフィルムは尚更高価だ。だから米谷はフルサイズの倍の枚数を撮影できるハーフサイズカメラを設計することにした。しかし、一画面が小さくなるとその分だけが画質が悪くなる。だからこそレンズに手を抜くことはできない。米谷はレンズ設計部門に頼み込み、のちに「Dズイコー」と呼ばれるテッサータイプのレンズの開発を実現させた。

PENの安価の秘訣は、フィルムの巻き上げ機構やシャッターボタン等、画質に影響しない部分を簡略化した点である。それは即ち、カメラ特有の複雑な操作を必要としないという意味も成した。

カメラの「民主化」

ここからは、あまりカメラに詳しくない読者にこそ読んでいただきたい。

あなたの目の前に一眼レフカメラがある。上級クラスの立派な機種だ。では、このカメラで以下に書く設定の写真を撮っていただきたい。

晴天の野外風景で、ISOは100。シャッタースピードはあなたに任せる代わりに、絞りはF16よりも小さくしてできるだけシャープな写りの写真を撮っていただきたい。するとシャッタースピードは、太陽と雲の動きにもよるが恐らく1/60以下になるだろうか。

ある程度カメラに詳しくなければ、これらの指示はまったくちんぷんかんぷんではないか。

PENの大ヒットを見届けた米谷は、「次は女性でもいい写真が撮れるカメラを作ろう」と考えた。女性がPENを操作する場面に出くわしたことがきっかけだったという。当時のカメラ購入者の98%は男性で、女性カメラマンの数自体も少なかった。が、PENの登場によりカメラを買う女性が増えたのだ。

「いい写真が撮れる」ということは、ミスショットを防ぐ機能を持つということだ。特に光量不足で画面が真っ暗になってしまうことは、カメラ初心者にありがちな現象だ。そこで開発陣は、暗い場所ではシャッターボタンを自動ロックする新機構を開発した。明瞭な写真が撮れない場所ではシャッターそのものが切れない、という仕組みにしてしまったのだ。

この機構を搭載したのが『PEN EE』である。ボタンひとつで誰でも美しい写真が撮れる。このPEN EEは、カメラという製品の「民主化」を達成した。

あの日の想い出が蘇る

PEN EEは、筆者も所有している。

これは1962(昭和37)年発売のPEN EES。光量に応じてシャッタースピードが2段階に切り替わる機能を有している。

写真も撮っている。以下の画像は、確か8年ほど前にインドネシアのジョグジャカルタで撮影したものだ。この当時、筆者はジョグジャカルタに文字通り沈没していた。ハーフサイズだから、画像は縦長になる。縦にスクロールするWeb記事には、いささか不向きかもしれない。だが、現像した写真を間近で見てみるとレンズの質の良さに脱帽してしまう。「PENなんてオモチャだ!」という男性カメラマンの声が発売当時にはあったようだが、PENはオモチャではない。いや、オリンパスがPENをオモチャにしなかったのだ。

21世紀の今、カメラは誰でも操作できるものになった。高齢者から子供まで、あらゆる人がスマホのカメラでその場の景色を撮影している。その未来に至る道を作ったのは、オリンパスのPENだったのだ。

PENがなければスマートフォン内蔵のカメラもなく、そもそも「一般人が写真を撮ってそれを公開する」という概念も成立し得なかった。そういう意味で、PENは現代人の生活に大きく食い込んでいる。そう、今でも——。

書いた人

ノンフィクションライター、グラップリング選手、刀剣評論家。各メディアでテクノロジー、ガジェット、ライフハック、ナイフ評論、スタートアップビジネス等の記事を手がける。