斬れる刀が重宝されるのは不思議ではありませんが、斬れなかったことで称賛された名刀があります。
「薬研藤四郎(やげんとうしろう)」、この短刀に秘められた、ちょっと切なくて不思議なエピソードをご紹介します!
薬研藤四郎とは?
薬研藤四郎は、鎌倉中期~末期ごろに山城(現在の京都府)で活躍した名工・粟田口藤四郎吉光(あわたぐちとうしろうよしみつ)によって作られた短刀です。
本能寺の変で焼けた後、江戸時代に行方不明になってしまい、現在は残っていないとされます。
記録によると、長さは8寸3分(約25.15センチ)で、まっすぐな刃文の「直刃(すぐは)」だったといいます。
伝来にはいくつかの異なる説が存在しています。室町時代の守護大名・畠山政長(はたけやままさなが)から足利将軍家、松永久秀、織田信長へ受け継がれて本能寺の変で焼失したとする説、信長から秀吉、秀頼、家康に伝わったとする説、政長以前に足利義満が所持していたとする説などですが、いずれにしてもそうそうたる顔ぶれですね。
2020年10月現在、薬研藤四郎の現存は確認されていませんが、現代刀匠によって再現されたものが複数存在しています。
名付けの由来
明応2(1493)年、戦国時代の始まりの1つと言われる「明応の政変(めいおうのせいへん)」で籠城していた畠山政長が、敗北を悟って自害しようとします。
しかし政長が何度試みても、この藤四郎吉光の短刀は腹に刺さりません。怒った政長が短刀を投げ捨てたところ、あれだけ斬れなかった短刀は硬い薬研(やげん:漢方薬の材料をすりつぶしたり粉砕したりする道具。アイキャッチ画像参照)を裏表ともに貫き通してしまったのでした。
政長はこの後、家来が差し出した刀で自害しましたが、このことから「藤四郎吉光の短刀はよく斬れるが、主人の腹は斬らない」という言い伝えが生まれたといいます。
同じ刀工の有名作
粟田口藤四郎吉光は、この刀工の刀を持っていることがステータスとも言われたほどの名工です。古くから作品群が最上級に位置付けられていたため、特別な名前が付けられた作品が多数あります。
藤四郎吉光の作風についてはこちら。
・小さいけれどパワフルボディ!?虎の群れを追い払った上杉謙信の愛刀・五虎退
(順不同、すべてを網羅はしていません)
・平野藤四郎(ひらのとうしろう)
・一期一振(いちごひとふり)
・秋田藤四郎(あきたとうしろう)
・厚藤四郎(あつとうしろう、あつしとうしろう)
・鯰尾藤四郎(なまずおとうしろう)
・博多藤四郎(はかたとうしろう)
・前田藤四郎(まえだとうしろう)
・庖丁藤四郎(ほうちょうとうしろう)
・五虎退(ごこたい)
・後藤藤四郎(ごとうとうしろう)
・白山吉光(はくさんよしみつ)
・信濃藤四郎(しなのとうしろう)
・真田藤四郎(さなだとうしろう)
・骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)※ただし、藤四郎吉光の作ではないとも言われる
・乱藤四郎(みだれとうしろう)
・芝吉光(しばよしみつ)
・蜘蛛切藤四郎(くもきりとうしろう)
・親子藤四郎(おやことうしろう)
・こぶ屋藤四郎(こぶやとうしろう)
・三本寺吉光(さんぼんじよしみつ) /山本寺吉光(さんぽんじよしみつ)
・増田藤四郎(ますだとうしろう)
・岡山藤四郎(おかやまとうしろう)
・岩切長束藤四郎(いわきりながつかとうしろう) /岩切藤四郎(いわきりとうしろう)
・新身藤四郎(あらみとうしろう)
・朝倉藤四郎(あさくらとうしろう)
・朱銘藤四郎(しゅめいとうしろう)
・樋口藤四郎(ひぐちとうしろう)
・毛利藤四郎(もうりとうしろう)
・清水藤四郎(しみずとうしろう)
・鍋島藤四郎(なべしまとうしろう)
・鍋通藤四郎(なべどおしとうしろう)/鍋藤四郎(なべとうしろう)
・飯塚藤四郎(いいづかとうしろう)/足利藤四郎(あしかがとうしろう)
・北野藤四郎(きたのとうしろう)※所在不明
・大森藤四郎(おおもりとうしろう)※所在不明
・烏丸藤四郎(からすまとうしろう)※所在不明
・牛王吉光(ごおうよしみつ)※所在不明か
・阿部藤四郎(あべとうしろう)※所在不明か
・塩河藤四郎(しおかわとうしろう)※焼失
・鎬藤四郎(しのぎとうしろう)※焼失
・米沢藤四郎(よねざわとうしろう)※焼失
・豊後藤四郎(ぶんごとうしろう)※焼失
・車屋藤四郎(くるまやとうしろう)※焼失
・長岡藤四郎(ながおかとうしろう)※焼失
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