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2021.01.07

『私』を生きる。宝塚OG 元月組娘役・叶羽時さんに聞く「自分の人生の愛し方」

この記事を書いた人

舞台の上から非日常を提供してくれる、宝塚歌劇団。そこに立つ団員たちの在籍年数は10年前後。その後、彼女たちはどのような人生を歩んでいくのでしょうか? 今回は起業された元月組娘役・叶羽時さん(2019年12月退団)にお話を伺います。時さんは「女性を演じることを追及した私だからこそ、『自分の人生を愛する女性を増やしたい』」と、対面とオンラインでセミナーを行っています。
宝塚への思いや退団後の心境、今後の抱負などを語っていただきました。

起業セミナーでの出会い

まずは、時さんと私の出会いを。

叶羽時さん 兵庫県出身
2010~2019年まで、宝塚歌劇団月組娘役として活躍。2020年1月、起業
名前の「時」は本名。両親が「時を刻む人」という意味で付けました。そして、「叶羽」は「夢を叶えてはばたく」という意味。

2020年3月、起業セミナーに参加した私。同じ会場にいたのが時さん。「きれいな方だなー」と横目で見ながら受講しました(話はきちんと聞いてましたよ)。
セミナー終了後、名刺交換をして宝塚OGと聞いてビックリ。 私の人生で、そんな方と出会うなんて想定外だから。
このときは少し話しただけでしたが、素敵な笑顔に魅了されました。
しばらくして、時さんのブログを見かけるようになり、フォロワーになって読むようになりました。
宝塚に入る前も入った後も、壁にぶつかりつつ、本当の「私」を見つけて、清々しい気持ちで退団。そして、新しい道に進んでいく姿に惹かれ、お話を伺いたいと思ったのでした。

起業セミナーでご一緒したとき。 右から2番目が時さん。左端で目をつぶった残念なのが私。 株式会社マインドプラス、提供

宝塚を目指した理由は?

お待たせしました。それでは、時さんへのインタビューをお読みください。

歌って踊ることが大好きな幼少期

――宝塚に入るまでについてお聞きします。まずは幼少期のことを教えてください。
時:物事ついたときから、テレビを見ながら踊っていました。安室奈美恵さんやSPEEDを完コピして。保育園でも披露すると、私が好きなことをやっているだけなのに、周りの人が喜んでくれたのが、すごくうれしかったです。

――それでタップダンスを習われたのですか。
時:そうです。でも、初めての習い事がタップダンス、というのは意外ですよね。当時、母自身が習っていたので、私も一緒に習いました。
タップダンスを皮切りに、ジャスダンスやバレエ、ピアノを習いました。発表会に出るのが大好きなので、楽しく通いました。

――当時、宝塚に興味はなかったそうですね。
時:母は、宝塚のビデオを見せたり観劇に連れて行ったりしました。でも当時の私は、お化粧する女の人が怖くて、興味が持てませんでした。

保育園時代の時さん タップダンスの発表会の衣装を着ています。本人提供

小学6年生で決意。「宝塚に私は入る! 」

――小学6年生で、宝塚入団を決意をされますね。
時:宝塚音楽学校附属「宝塚コドモアテネ」という、現役の音楽学校の先生からバレエや声楽、日舞を学べる日曜学校に、母の勧めで通います。
私は自宅から通える距離だったのですが、宝塚入団を目指し、北海道や沖縄県から通っている子も。それに影響されて、「宝塚は見ておかないと」と思い、夏休みに月組の公演を見に行きました。
芝居の中で、娘役の方が泣き崩れるシーンがあったのですが、それを見て激しく感動しました。そして感情移入し、気が付いたら涙が。「私も宝塚に入って、表現して人を感動させたい」そう強く思いました。そのときから「楽しいレッスン」が「本気のレッスン」に変わりました。

宝塚合格を目指して一直線の中学時代

――中学時代のことを、教えてください。
時:放課後は、宝塚合格のためのレッスンに励む日々。受験校にも通いました。「夢は宝塚」と1つのことを突き詰めるタイプだったので、周囲から浮いた存在に。嫌な経験をしたこともありました。でも「放課後の自分が本当の自分」「学校だけが、すべてじゃない」と考えていたし、何より好きなことを極められて幸せだったので、あまり気にしませんでした。
生きがいって、こういうことかと思いました。

――宝塚音楽学校を受験。一発で合格されましたね。
時:宝塚音楽学校は中学3年生から高校3年生まで、4回受験資格があります。私は小学校の卒業文集に「中3で宝塚を受験して、一発で合格します」と書き、全てをかけました。
もうこれ以上できないというほど稽古して、合格したときは本当にうれしかったです。

宝塚音楽学校と通信制高校の両立

――入学後、自身の成績を知りショックを受けたそうですね。
時:合格者40人中私は36番目。模擬試験ではいつもトップの成績だったので、ショックでした。
元々私は少しずつ地盤を固めて、進んでいくタイプ。「コツコツの最速」と自分で言っていますが、時間をかけて努力するしかない、と気持ちを切り替えました。
すると、成績は少しずつ上がっていき、卒業時には15番になりました。順位よりも、「自分に信じられるもの」が見つかったことがうれしかったです。

――音楽学校入学と並行して通信制高校に通われた理由を、教えてください。
時:私の入学の数年前から、音楽学校が大阪府の通信制高校と提携していました。音楽学校を卒業しても、書類上は「中卒」。両親の勧めもありましたが、辞めた後の人生の方が長いことを私自身も分かっていたので。
両立は大変でした。音楽学校は2年ですが高校は3年かかるので、劇団員になっても高校生。でも、無事に卒業して「高卒」の資格を取りました。

人生を変える言葉との出会い

華やかな舞台の裏で、苦悩

――初舞台直後から、少人数でのダンスコンサートに抜擢されたり、入団2年目から5年目までショーの1場面でヒロインパートを任されたりと、順調にキャリアを重ねていきますが。
時:入団後も習得には時間がかかり、共演者や先生方に何度も叱られました。「コツコツの最速」は通用しないと、自信を失って。「表現して人を喜ばせること」が苦痛になってきます。だから、役をいただいても、不安でいっぱいでした。

――他にも不安要素があったそうですね。
小学生のときに、脊椎側彎症が分かって以来、在団中はずっと悩まされていました。娘役は背中の空いたドレスを着るので目立つんです。母が補正下着を作って、フォローしてくれました。
また役がつくとSNSの誹謗中傷もあり、これも辛かった。

人生を変えたひと言に出会う

――入団5年目に、ヒロイン級の大役を任されます。そのときに、衝撃的な言葉を言われたそうですが。
時:後輩から追い上げられる立場になり、ますますしんどくなっていました。
そんなときに、私を抜擢してくださった演出家の先生に、衝撃的な言葉を言われました。

芝居って、要はお前の人生をどう生きるかや

「本名の私が人生をどう生きるか。それが、芝居」その言葉は心に響きました。でも、当時の私には、自分の人生を生きる方法が分かりません。本をたくさん読んだり、占いにも行ったりしましたが、「これ」というものはない。でも、この答えは絶対に見つけたかった。

――自分の生き方について、徹底的に向き合われたのですね。
時:自分の感情や思考は目に見えないもの。それを分かりやすく形にするため、ノートに書き出しました。なぜそう思ったかを自問自答していくうちに、過去の辛かった経験が今の自分を支えていたことや、短所と思っていたことが長所だったことに気付きました。
こうして内面にフォーカスしていくことで、「答えは自分の中にある」「私は自分の生き方が好き。だから何があっても大丈夫」と思えるようになりました。
そして、過去や現在、これから迎える未来の自分の人生すべてが好きになりました。

宝塚歌劇団在団中の時さん 2015年月組新人公演「1789-バスティーユの恋人たち-」 オランプ役 本人提供

――演出家の先生の言葉が、真に理解できるようになったのですね。
時:それからです。自身の芸が上達したのは。1作品通してのヒロインを任されたり、ソロで踊り歌う場面をもらえるようになったり。新聞や誌面のインタビューも載せてもらったり、憧れのテレビ出演もかなったり。
でも何よりうれしかったのは、「表現する喜び」を取り戻せたことです。

この先生には、後に退団を伝えたときに、こんな質問をしました。

時:先生にとって人生とは?
先生:できるだけ、おもしろく生きる。それだけや。

――いかにも関西のノリですが、「おもしろく」は人生は豊かにしてくれると、私も思います。

退団、次の舞台へ

――こういった安定して立場から、退団を決意されたのはどうしてですか。
時:入団して8年が過ぎた2018年の終わり。下級生2人が自主稽古をしているのを見ていたときのこと。
私が安定した立場に居続けることで、下級生が頭打ちになっているのでは、と思いました。一方、私自身は宝塚にいても、上がることも下がることもないと。
そして1年後の2019年末に退団しよう、と決意しました。

――退団を決意されてから、周囲の反応はどうでしたか。
時:不思議なもので、離れようとしたらヒロイン級の役に抜擢。そうすると周囲が、「まだできる」と思って。劇場側に退団の意志を伝えたら(注:退団は全て本人の意志)、保留にされました。2か月後に再度伝えて、受け入れられました。

――退団後は、何をしようと思われましたか。
時:上京して芸能事務所に所属という道を、まず考えました。退団後は、宝塚のお世話にはなりたくなかったんです。毎月誰かが退団し、宝塚OGは更新されていきます。そうすると、「叶羽時」の存在はどんどん薄くなります。1人で生きられることは何か考えました。

――「起業」を決意しましたね。
時:芸能界は無理だなと思いました。そこで行きついたのは起業。2019年11月のことでした。12月の卒業公演を控えた超多忙な時期。オンラインで起業家講座などを受けました。

――卒業公演はどうでしたか。
時:これが驚くほど冷静でした。「タカラジェンヌ最後の日」をじっくり味わうことができました。何の後悔もなく、幸せな満ち足りた気持ちでした。
宝塚を通して、私は人生と向き合うことができたのです。

卒業公演の日、父親の運転する自動車に乗ってファンにお別れ。本人提供

自分の人生を愛する女性を増やす

――退団から1か月、2020年1月に起業されましたね。
時:起業家講座と一緒に美容家講座も受けたので、最初はヘアメイクを教えていました。
というのも、「宝塚辞めて何するの?」とよく聞かれ、「女性のために、人生を幸せに生きる方法を伝えています」と言うと、不思議そうな顔をされました。
対して、「ヘアメイクの講座をしています」と言うと「ステキ」「宝塚出身のキャリア、活かしているね」と別対応。
タカラジェンヌは、ヘアメイクは全て自分で行うので、高度なスキルを持っています。それを知りたい方はたくさんいて、告知すればすぐ満席。うれしかった。
でも、ヘアメイクを施しながら、「外見を美しくするには、自分がどう生きるか考えることも大切ですよ」と言うから、生徒さんも違和感を覚えたと思います。
他人の評価に振り回されて、自分の思いを押し込めていたことにようやく気付き、自分のしたいことは何か改めて考えました。

――起業して大変だったこと、良かったことを教えてください。
私の業務は無形ビジネスなので、言語化するのが大変でした。セミナーの名称も何回も変えました。ようやくたどり着いたのが「自分の人生を愛する女性を増やすこと」でした。
でも、セルフマネージメントは楽しいです。自分で自由に決められるので。起業セミナーのつながりで、相談する人もいるので心強いです。

――今後の抱負について教えてください。
時:退団して1年、ようやく土台ができました。「『私』を生きる」をキャッチコピーにしたので、これを唯一無二のものとして広めていきたいです。女性のために、女性の人生のために。

――セカンドキャリアやキャリアアップを考えている方にメッセージをお願いします。
時:「好きを仕事に」と最近よく言われます。それも大事ですが、人に伝える情熱を持ち続けられるか、それに時間や労力を削っても惜しくないかを基準に考えてほしいです。そうしたら、大きな失敗は少ないと思います。

現在は、女性のためのサロン「ステキLa.La」を主宰。対面とオンラインで講座を行っています。本人提供

おわりに

私事ですが、2020年は感情の浮き沈みが激しい1年でした。時さんとのやり取りの中で、初めて人に伝えた言葉もあり、自身の悩みや大切にしている思いに、改めて気づき、心の中が整理されました。
貴重なお話、ありがとうございました。

最後に、時さんの宝塚への思いを記します。

時:宝塚OGであることは、大切にしていきたい。だけど、これからは宝塚に執着しない生き方を選びます。大好きな世界だから。

※アイキャッチ画像 宝塚卒業公演であいさつをする、叶羽時さん。本人提供

「私」を生きると決めた女性のための場所 叶羽時オフィシャルサイト

協力
株式会社マインドプラス

書いた人

大学で日本史を専攻し、自治体史編纂の仕事に関わる。博物館や美術館巡りが好きな歴史オタク。最近の趣味は、フルコンタクトの意味も知らずに入会した極真空手。面白さにハマり、青あざを作りながら黒帯を目指す。もう一つの顔は、サウナが苦手でホットヨガができない「流行り」に乗れないヨガ講師。

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