1983年12月、アメリカのモータージャーナリストたちは「Ninja」の登場に沸いた。
「カタナもサーベルもNinjaには通用しません」
そのような触れ込みで発表されたカワサキGPZ900Rは、最高出力こそ控え目だが走行性能は明らかに突出していた。0-400m加速で11秒台を切り、最高時速は250km/hに届こうとするレベルだ。これは当時の市販車最速記録である。
にもかかわらず、コンパクトな車体と空力特性を追求したフルカウルはまさに忍者のような運動性能をGPZ900Rに付与した。時はメイド・イン・ジャパンの製品が世界を席巻していた80年代半ば。今につながるNinja伝説は、この瞬間から始まったのだ。
異国で戦う「Ninja」
2021年の日本の公道には、カウルに「Ninja」と書かれたバイクが何台も走っている。
250ccクラスからリッターマシンまで、カワサキのNinjaシリーズは多様なラインナップを誇っている。その元祖は1983年にマスコミ発表され、翌年に販売開始されたGPZ900Rである。「Ninja」とは、GPZ900Rのペットネームだったのだ。
この当時、GPZ900Rは専ら日本国外向けの製品だった。もちろん日本のライダーがGPZ900Rを逆輸入したということもあるが、そうなると当然送料と関税分の価格上乗せが発生する。
日本では長らく「ナナハン自主規制」というものが存在した。各二輪メーカーが自己判断で750ccを超える国内向け車種を開発しなかったのだ。しかしこれは、メーカーに対して警察や各省庁の指示が入っていたというのが定説である。ここから先は水面下の話だから断言はできないが、あれだけ新製品開発に積極的だった日本の二輪メーカーが100%自己判断で「750cc超のモデルを作らない」というのは、やはり考えづらい。いずれにせよ、販売初年度のGPZ900Rは祖国から遠く離れた国で戦うことを余儀なくされた忍者である。
ギザギザのロゴ
アメリカ人にとっての「忍者」は、スパイというより戦闘員に近い。
偶然だが、日本でも有名なアメコミ『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』の出版開始はGPZ900Rの発売年と同じ1984年。この作品に出てくるキャラは、忍術をマスターした亀だ。アメリカ人の想像する忍者とは、常人離れしたスピードを駆使して戦うスーパーヒーローなのだ。
Ninjaというペットネームについて、日本の本社とアメリカ現地法人との間で議論があったらしい。折衷案として、北米向け製品にだけNinjaの名を与えることにした。その際、日本側がロゴを考えてそれをファックスで北米に送った。
この時代のファックスはまだ低性能で、文字の周囲が粗だらけになってしまった。全体的にギザギザしたロゴだ。ところが、北米側のスタッフはこのロゴを気に入り、そのままの状態でGPZ900Rのカウルにプリントされた……というのは有名な話である。
日米貿易摩擦の最中に
そんなGPZ900Rは、アメリカ人を虜にした。
上述の最高速度と加速性能、中低速域でも力強いトルク、盤石の安定性。ペットネームは単なる宣伝目的でつけられたものでは決してない。アメリカ人の考える忍者が、そのままバイクになってしまったのだ。
1986年公開の映画『トップガン』は、GPZ900Rの存在を日本人にも印象付ける作品になった。主演を務めたトム・クルーズが、GPZ900Rに跨っていたためだ。
80年代のハリウッド映画と日本製品は、切っても切り離せない関係である。作品をつぶさに観察すると、意外なところにメイド・イン・ジャパンが登場したりする。1985年から始まった『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズは最たる例だ。クルマ、腕時計、ストップウォッチ、ビデオカメラは日本のメーカーで、さらには主人公までもが「いいものはみんな日本製だよ」と言い出すほどだった。
アメリカの若者を魅了することで、GPZ900Rは日米貿易摩擦時代を象徴する製品のひとつになるべくしてなったのだ。
世界を席巻するカワサキ忍軍
カワサキ忍軍は現在、日本国内でも大発展を遂げている。
並列4気筒エンジンのモンスター250ccマシンNinja ZX-25R、驚異的な軽量化を成功させた現行Ninja 400等、ジャーナリストたちが特筆するような製品を輩出し続けている。
バイクに興味ない人も、一度車道をじっくり観察していただきたい。今日もNinjaが颯爽と道を駆け抜けているはずだ。
【参考】
モトレジェンド Vol.3(三栄書房)