日本文化の入り口マガジン和樂web
10月20日(水)
お詫びとお願いと部屋とワイシャツと私(マナやん)
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
10月20日(水)

お詫びとお願いと部屋とワイシャツと私(マナやん)

読み物
Culture
2021.05.11

本田宗一郎とポップ吉村、両巨頭の共通点は「4ストロークマニア」だ!

この記事を書いた人

この記事を読んでいる読者の皆様は、一度スマホを手放して道路を見渡していただきたい。

道を走る四輪車や二輪車。これらの殆どが、「4ストローク車」のはずだ。

ガソリン車である以上はそれを爆発・燃焼させてエンジンを動かさなければならないのだが、ガソリンエンジンには2ストロークと4ストロークの2種類が存在する。

現在は環境規制の強化により、街を走るクルマの殆どが4ストローク車になった。ところが、特に排気量の小さな二輪車の場合は、より大馬力を出せる2ストローク車にしたほうが手っ取り早い。現に数十年前の二輪車は、その大半が2ストローク車だった。

つまり、日本の二輪車は「2ストロークから4ストロークへ」という内容の大革命を経験しているのだ。それは二輪車の歴史に名を遺した大巨頭の功績と表現することもできる。

4ストロークと2ストロークの違い

まずはガソリンエンジンの4ストロークと2ストロークの違いについて、筆者なりに解説していこう。

ガソリンエンジンとは、外気とガソリンの混合気をシリンダー内に入れて一度圧縮し、それを爆発させることによりピストンを動かす。用済みの混合気は排気ガスとしてシリンダーからエキゾーストパイプ、最終的にはマフラーの外へ出させる。その排気ガスと入れ替えに新しい混合気がシリンダー内へ……という具合の繰り返しである。

4ストロークエンジンの場合、吸気・圧縮をピストン1往復即ち2ストロークで行い、爆発・排気をやはり2ストロークで行う。この両過程を足せば合計4ストロークだ。一方、2ストロークエンジンは吸気・圧縮を1ストロークで、爆発・排気を1ストロークで済ませてしまう。この設計は、4ストロークより倍近くのトルクを発生させる。同じ排気量でもより力強いエンジンになる、ということだ。

敢えて4ストロークを選択

かつての日本の道路は、未舗装が当然だった。

雨が降れば泥まみれ、タイヤがぬかるみに埋もれてしまい脱出するのに一苦労……ということが日常茶飯事である。そのような貧弱な道路インフラの国で二輪車を作るとしたら、2ストロークでなければならなかった。

が、本田宗一郎はそうは考えなかった。

以下は現在に至る名車、スーパーカブの開発エピソードである。

エンジンを担当したのは、星野代司である。役員会の席で本田は、新エンジンの開発は星野に担当させる、と指名していたのだ。

(中略)

「スーパーカブのエンジンは、ベンリイJ型の次で、私が設計した4ストロークの2作目でした。50ccの4ストロークエンジンなんて、世界でどこも量産なんかしてない。50ccなら2ストロークと決まっていましたからね。本田さんは、藤澤さんとヨーロッパへ行かれた時、ホテルで朝、新聞配達のクルマがみんな2ストロークなので、『カン高い音がうるさいのなんの。あんなのは、やっぱり世の中に出すべきじゃないんだ、ああいうクルマこそ、4ストロークでなきゃいかん』と、おっしゃってたそうです。私への命令はもちろん4ストローク。それからは、もう毎日毎日、設計室においでになる。こっちが夢中で基礎計算をやっていた時、ふっと振り向くと、いつの間にか後ろに本田さんが立っておられて、肩越しにじっとのぞき込んでたなんてことも再々ありました」

(ホンダ公式サイト『語り継ぎたいこと』)

宗一郎の2ストローク嫌いは、二輪業界ではよく知られた話だ。

2ストロークには大きな欠点もある。4ストロークに比べて騒音が大きく、燃費も悪い。何しろ、暴飲暴食をしながら身体を動かしているようなものなのだ。ガソリンと共に微量のエンジンオイルを消費するため、油断すればオイル切れを起こしてエンジンが焼き付いてしまう。だからこそ、2ストローク車には4ストローク車にはないオイル警告灯というものが設置されている。たとえば、筆者の所有するスズキSV400Sは、400cc4ストロークの市販車では最も大きなトルクを発揮するモデルとして知られている。が、これはあくまでも「4ストロークに限った場合の話」だ。SV400Sのトルクを遥かに凌駕する、ホンダNS400Rという2ストローク車が存在する。このように、単純な走行性能で見れば4ストロークは2ストロークに敵わない。

ところで、ホンダNS400Rという記述を見て「本田宗一郎は2ストローク嫌いのはずなのに、ホンダは2ストローク車を発売していたのか?」と疑問に思われる読者もいるかもしれない。このあたりは80年代当時のレーサーレプリカブームと、それに伴う熾烈な新車種開発戦争が絡むことで、真正面から解説したら1本の記事では足りなくなってしまう。故に割愛させていただきたい。

2ストロークに辛辣だったポップ吉村

2ストローク嫌いの宗一郎は、スーパーカブのエンジンを4ストロークにすることで「空前絶後のロングセラー商品」を生み出してしまった。

そしてもうひとり、当時主流だった2ストロークマシンを批判的に見ていた巨人が存在した。我らのバイク改造オヤジ、ポップ吉村こと吉村秀雄である。

もともとは航空機関士だったポップは、航空機用エンジンと同じ4ストロークを専門にチューンすることでヨシムラの身代を大きくした。ポップの2ストロークに対する評価は、非常に厳しい。

二サイクル(筆者注・2ストローク)車というのは、わたしの知るかぎりにおいて、非常に燃費がわるい。ガスを馬のように食う。それでいて酷使に耐えられず、ちょっと無理をさせると焼き付いてパンクする。

(『ポップ吉村のバイク・スピリッツ』吉村秀雄 徳間書店)

上記はポップの自伝『ポップ吉村のバイク・スピリッツ』に書かれている一文だが、この本には60年代の二輪レースでは2ストローク車が上位を占めていたこともはっきり記述されている。それでもポップは2ストロークに鞍替えせず、頑固一徹に4ストロークを改造し続けたのだ。

環境規制と4ストロークエンジン

アメリカのエドマンド・マスキーは、民主党所属の上院議員だった。

マスキーは環境保護活動の先駆けのような政治家である。彼が提出した大気浄化法改正法は、世界のモーターメーカーに衝撃を与えた。ガソリンエンジンの排気ガスに含まれる環境汚染物質を大幅に削減する、という内容だったからだ。

走行性能に優れた2ストロークエンジンは、環境性能においては4ストロークに太刀打ちすらできない。だからこそ、2ストローク専門メーカーだったスズキは4ストローク車の開発に踏み切らざるを得なくなった。4ストロークのプロフェッショナルだったポップがスズキからGS1000というマシンを受け取り、それをチューンして第1回鈴鹿8時間耐久レースで優勝したのはちょうどこの時代である。

本田宗一郎とポップ吉村。このふたりがいなければ、日本製二輪車の「4ストローク移行」はもっと遅れていた可能性すらある。

まさに「先見の明」と言うほかない。

ポップの苦言

「2ストロークは漢のエンジン」とよく言われるが、バイクのプロフェッショナルほど2ストロークではなく4ストロークの優しい操作性(“易しい”ではない)、マイルドなエンジン特性を支持していたようだ。

ここでまた、『ポップ吉村のバイク・スピリッツ』から引用したい。

一般市販車の性能をレーサー(レース専用車)のレベルまであげる必要はない。一般のユーザーは命がいちばん大切なのだから、命を失わせることのないようなマイルドなオートバイこそが、一般車の条件なのである。

(中略)

交通手段を目的としたオートバイに必要な研究はより速く走ることではなく、耐久性であり燃費の良さである。安全性である。そうした基本的な研究開発をなおざりにして、一般ユーザーでは手に負えないような“じゃじゃ馬”を市場にばらまく。

(『ポップ吉村のバイク・スピリッツ』吉村秀雄 徳間書店)

やたらと厳しい書き方だが、この本の初版は1983年6月であることを考慮していただきたい。この時代はレーサーレプリカブームの真っ只中で、異様な高馬力の2ストローク車も市販されていた。が、ポップはそれを良しとしていなかったのだ。

「交通手段を目的としたオートバイに必要な研究はより速く走ることではなく、耐久性であり燃費の良さである。安全性である」というポップの言葉を実現できるのは、4ストローク車しかない。ポップは遥か数十年先の光景を見ていたのだ。なお、今回参考文献にした『ポップ吉村のバイク・スピリッツ』だが、現在は絶版になっていて中古価格も高くなっている。しかし、加熱し過ぎた新車開発競争への苦言や高校生をバイクに乗せようとしない教育者への批判など、まさに令和のバイク事情を予言したかのような文章が載せられている。ライダーでなくとも、ぜひ読んでおきたい1冊だ。

【参考】
語り継ぎたいこと ホンダ公式サイト
『スーパーカブは、なぜ売れる(中部博 集英社インターナショナル)』
『ポップ吉村のバイク・スピリッツ(吉村秀雄 徳間書店)』
『ポップ吉村物語(原達郎)』

書いた人

ノンフィクションライター、グラップリング選手、刀剣評論家。各メディアでテクノロジー、ガジェット、ライフハック、ナイフ評論、スタートアップビジネス等の記事を手がける。