似顔絵(カリカチュア)の世界では知る人ぞ知る業界No.1の描き手へと成長し、今後はプロのアーティストとして世界的な活躍が期待される田村大さん。インタビュー前半では、そんな田村さんがInstagramで発表されている独自の作品世界や、アーティストになるまでの長い下積み時代についてじっくり伺ってきました。
続くインタビュー後半では、修行時代を終えてイラストレーターとして活躍をし始めた田村さんが、実績を積み重ねて活躍の場を一気に広げていくまでを、じっくりとお聞きしました。それでは、続きをお楽しみください。
研鑽を怠らず、チャンス見逃さず全力で理想のキャリアへ邁進
―専門学校では、かなり苦労しながらもみっちりデザインの修行に打ち込まれたのですね。ところで、その後の進路はどうされたのですか?
田村:専門学校を卒業して就職したのは、高校のバスケ部でお世話になっていたバスケメーカーでした。バスケットボールの競技経験者でありながら、デザイナーもできる人はなかなかいないから貴重だと評価して頂きました。そのバスケメーカーに就職後は、ユニホームデザインやロゴ作成、Tシャツの絵を描いたり、広告のデザインを手掛けたりしていました。
-もういちどキャリアに転機が訪れたのはいつごろなんですか?
田村:会社がスポンサーをしている実業団のチームが優勝した時でした。その実業団に所属するメンバー全員の似顔絵が入った優勝Tシャツを作ろうということになったんです。その似顔絵を制作する仕事が僕に回ってきて、その時にもしかしたら僕は人を描くのが好きなのかもしれないと気づけたんです。
-なるほど!これが後の快進撃につながる原点だったわけですね。
田村:そうなんです。そこで、僕は思い立ったらすぐに行動に移す性格なので、早速ネットで検索してみると、「カリカチュア」という言葉が引っかかって、似顔絵を描くことを仕事にしている人達がいることをそこで初めて知りました。さらに調べていくと、似顔絵を学べる専門会社があるらしいとわかったので、じゃあ自分の能力伸ばすために入ってみようと思って、仕事をしながら勉強をはじめました。
―えっ?!また勉強を。
田村:はい。デザイナーをやりながら、その会社のプロ養成コースに通いました。
-専門学校のときと同じですね?!
田村:大変でした(笑)2ヶ月の短期コースだったんですが、課題がものすごく出るので、土日も返上して仕事と勉強をなんとか両立させました。ちょうどこの頃まで趣味でバスケットボールをやっていたんですけど、年齢とともにパフォーマンスが落ちていくのが目に見えて体感できていたので、バスケもすっぱり辞めました。バスケをすることは大好きなのですが、週1回2時間の趣味のために週5で嫌な仕事をやって、たった2時間のために5日間も我慢するのは嫌だったので、だったらここが勝負だと。趣味に使う2時間を削ってでも、週5で好きな仕事を充実させるために能力伸ばすことに賭けてやろうって決めて。それで歯を食いしばって課題をやろうって覚悟を決められたんですね。
-凄い。冷静に自分を振り返ってみて、ここが勝負どころと踏んでカリカチュアに打ち込まれたのですね。
田村:はい。でも、自分なりには相当頑張りましたが、養成講座の修了時につけられた順位が「準優勝」だったんで、くやしくて(笑)それが良かったのか、もっともっとこの道で極めたいと思って、すぐに会社を辞めてその似顔絵の専門会社に入社することにしました。成績優秀者は学校終了後、そのまま採用されて社員になれるシステムだったので。