禁断の車中恋愛は現代に限ったことではありません。古くは平安時代にもあったことが『和泉式部日記(いずみしきぶにっき)』に書かれているのです。
『和泉式部日記』とは?
『和泉式部日記』は、和泉式部と呼ばれた平安中期の女流歌人が書いた日記です。そこには当時の恋人・帥宮(そちのみや、敦道<あつみち>親王とも)との出会いから、帥宮の正妻が怒って家を出ていく様子までが描かれています。
和泉式部は恋多き女として有名で、正妻より身分も低かったことなどから世間のスキャンダルに! そのあたりについては、以下の記事に詳しく書かれています。
まるでかぐや姫のような生き方をした平安の美女・和泉式部とは。モテモテだった人物像に迫る!
そんな帥宮との恋愛を描いた『和泉式部日記』には、車内で交渉をもったと思われる記述があるのです。
車内の逢瀬の記述
平安時代の車は「牛車(ぎっしゃ)」といって、車体を牛に運ばせるものが一般的でした。
牛車での逢瀬は、このように書かれています。
人しづまりてぞおはしまして、御車にたてまつりて、よろづのことをのたまはせ契る。
訳:人々が寝静まってから男が来て、車に乗った。そして愛をささやきながら体を重ねた。
もう少し事の顛末を詳しく紹介しましょう。まず、帥宮が車で和泉式部を迎えに行き、帥宮のいとこの家に車をとめました。帥宮は車に和泉式部を残して邸に入ってしまいます。そして夜更けになると車に乗り込み、事に及んだのです。
さらに詳しくその時の様子が書かれています。
心得ぬ宿直のをのこどもぞめぐり歩く。例の右近の尉、この童とぞ近くさぶらふ。
訳:事情を知らない警備の男たちが周りを歩いている。いつものように、右近の尉(うこんのじょう)と、童(わらわ)が車の近くに仕えている。
いとこの家の駐車場で……というだけでだいぶスリリングですが、周りには何も知らない警備の男たちがウロウロ。「見つかっちゃうかも……」というスリルを楽しんでいたのかもしれませんね。
参考文献:日本古典文学全集『和泉式部日記』小学館
▼和樂webおすすめ書籍
日本文化POP&ROCK