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2021.12.26

なぜ楽器メーカーがオートバイ?ヤマハの第1号バイク「YA-1」が日本製二輪車の歴史を動かした!

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映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(以下BTTF)は、1985年の高校生マーティ・マクフライが1955年11月5日にタイムスリップするという話である。

この1955年11月5日、太平洋の向こうの日本では『全日本オートバイ耐久ロードレース』が開催されていた。群馬県浅間山の麓で開催されたことから、「浅間火山レース」とも呼ばれている。

この催しが、BTTFにも登場した「アメリカを席巻した日本製品」にもつながっていることはあまり知られていない。そして浅間山麓の過酷なコースを制したのは、それまで「静岡県の楽器製造企業」としてしか知られていなかったヤマハのマシンだった。

楽器メーカーのオートバイ

「ヤマハ」の社名は、創業者の山葉寅楠という人物に由来する。

山葉は浜松在住のオルガン修理師だったが、やがてオルガンの構造を模倣して自前の製品を作るようになる。プロトタイプのオルガンを作り、それを東京の音楽取調掛(現・東京藝術大学)に持ち込んで調律を見てもらう。しかし東京と浜松が鉄道1本でつながっていなかったため、山葉は天秤棒にオルガンをぶら下げて箱根を徒歩で越える……ということを実行した。恐るべき健脚の持ち主だったのだ。

そんな山葉が立ち上げたのが『日本楽器製造株式会社』、現代のヤマハである。

さて、オルガンにしろピアノにしろそれは言い換えれば「木工製品」である。木材を加工して製品を作るメーカーが、なぜバイクという「金属の塊」を製造するようになったのか?

そのきっかけは太平洋戦争だ。

1953年11月7日、川上は日本楽器の幹部社員に極秘指令を下した。それは「オートバイのエンジンを試作せよ」というものだった。

それまで、日本楽器にオートバイ用エンジン製造の実績はなかったが、技術的な礎はあった。日本楽器は戦時中、航空機の木製/金属製のプロペラを製造。その試験用エンジンも製作していた。また、ピアノフレームの鋳造技術も有していた。ピアノのフレームは、20トン近くにもなる弦の張力を受け止める剛性と、適度に振動することで音質を高める弾性を備えていなければならない。剛性と、弾性。相反する要素をひとつの鋳物に持たせるノウハウを、日本楽器は蓄えていた。

鋳造歴史物語 Vol.1 黎明 ヤマハ発動機

つまり、戦時中に培った技術と工作機械を無駄にしないために楽器以外のものを作ろう……という発想である。しかしそれは、文章で書くほど簡単なものでもない。50年代半ばの日本には、実に200近くものバイクメーカーが存在した。たとえば、現代ではタイヤの供給メーカーとして知られているブリヂストンは、50年代にはバイクそのものも製造していた。主要メーカーが4社しかない現代とは、業界の勢力図がまったく異なっていたのだ。

しかもヤマハは、この業界では後発企業である。技術があるからといって、ヤマハの足場は決して有利な立ち位置ではなかった。そんな中、ヤマハは自社製品1号となる『ヤマハYA-1』を1955年2月11日に出荷。排気量125cc、最高出力5.6馬力の2ストロークエンジン車である。価格は13万8000円。同年に読売ジャイアンツに入団した投手の馬場正平(後のプロレスラー・ジャイアント馬場)は支度金20万円、初任給1万2,000円を球団からもらっている。前年、南海ホークスにテスト生として入団した野村克也は支度金0、初任給7,000円の条件にサインした。つまりこの時代のバイクは、2軍の野球選手ではポンと購入できないほどの高級品だったのだ。なお、1万円紙幣はまだ登場していない。

「なぜ楽器メーカーがオートバイ?」という声は、当時からあった。ただ黙ってるだけでは、新興メーカーの製品など売れるはずもない。現にYA-1の当初の売り上げは芳しくなかったという。

日本初の「プライマリーキックスターター」

YA-1は、ドイツのDKW125というバイクをベースにしつつも革新的な機構を加えていた。日本車で初めて「プライマリーキックスターター」を採用したのは、YA-1である。

バイクという乗り物は今でこそセルモーターでエンジンを始動させる仕組みだが、少し昔までは足で踏み込むキックペダルが装着されているものも少なくなかった。ヤマハSR400は、ファイナルエディションを迎えてもなおキックペダルのみの始動方法である。そしてこのキックスターターは、50年代までセカンダリーキック方式だった。

セカンダリーキックスターターは、エンジンをかける際にギアをニュートラルにしていなければならない。もしも路上でエンストした場合、ギアを1速まで落としてからニュートラルへ持っていくというプロセスを経てようやくキックにこぎつける。しかしプライマリーキックスターターなら、ギアが何速だろうとクラッチを切ればエンジンを始動させられる。

その上でYA-1は、4速ギアを搭載していた。舗装路より未舗装路のほうが多かった時代、バイクのギアといえばせいぜい3速まで。4速は日本では例外的な高速ギアだったのだ。それほど革新的なバイクにもかかわらず、YA-1はバイク店には並べられなかった。理由は上述の通り、「楽器屋のバイク」だからだ。「あのバイクの排気音はドレミファソラシ」と嘲笑され、個人経営のバイク店はYA-1に興味すら持たなかった。だからといって売らないわけにもいかないので、仕方なくYA-1は日本楽器製造の販売店でピアノと一緒に並べられた。

ならば、レースでその性能を証明してみせよう。

ホンダの思惑

浅間火山レースは、国産車の性能向上を目的に開催された競技会である。

そのため、外国製の部品を使うことは禁止されていた。国内メーカーが国内製造の部品で製造した純国産バイクのためのイベント、それが浅間火山レースだった。

このレースに人一倍の情熱をかけていた男がいた。「天竜のモーターオヤジ」こと本田宗一郎である。

この前年、宗一郎は全社員の前で宣言をしていた。「1955年のマン島TTレースに出場する」という内容である。が、この宣言の後にマン島へ視察に行ってみると、欧州メーカー車の恐るべき馬力に驚愕した。

このままでは出場が叶っても勝てないのは目に見えている。そんな事情を抱えた宗一郎とホンダにとって、1955年の浅間火山レース——特に125ccクラスと250ccクラス——は何が何でも勝たなければならない競技会だった。

表彰台を独占したヤマハ

1955年の第1回浅間火山レースは公道を使用していた。が、この時代の日本の道路は国道でも舗装されていない場合が多かった。

要はダートコースである。『全日本オートバイ耐久ロードレース』という名称を聞いて現代の耐久レースを想像してはいけない。むしろ浅間火山レースは今で言うエンデューロに近かった。しかもコースは標高1,000mを越える場所にある。低地とはキャブレターのセッティングも異なる。

しかしこれらの要素が、日本製バイクの性能を飛躍的に向上させた。そして第1回浅間火山レースの125ccクラスで優勝したのは、ヤマハのYA-1だった。何と2位、3位もYA-1が続き、このクラスではヤマハが表彰台を独占してしまった。日本楽器製造のオートバイ部門がヤマハ発動機株式会社として分社化してから、僅か2ヶ月後のことである。そしてヤマハの表彰台独占をきっかけに、日本国内の二輪車メーカー戦争は概ねカタがついてしまった。

浅間火山レースで結果を出した企業か、ホンダのような人並外れた情熱の持ち主が経営者という企業しか生き残れない状況になったのだ。ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの日系4メーカーは、熾烈なレースを重ねることによって生き延びたと表現しても過言ではない。そして日本製二輪車の飛躍は、YA-1から始まったのだ。

大逆転のフラグ

冒頭のBTTFは、1955年という時代を忠実に再現した映画でもある。それ故に、僅か30年でアメリカ国内に流通する工業製品のメーカーが大きく変わってしまったことも表現している。

55年当時のアメリカには、日本メーカーの製品はまず見られなかった。クルマはフォード、GM、クライスラー。バイクはハーレーダビッドソン、インディアン。家電製品はGE。50年代アメリカはブレトン・ウッズ体制を背景に強い自国通貨と強い自国産業を確立させ、消費社会の極みを堪能していた。高校生がクルマを運転し、バカンスシーズンにはヨーロッパへ大名旅行に出かけ、行く先々で派手に米ドルを使う。マーティ・マクフライが見たのは、世界で最も繁栄していた国の光景だった。

それと同時に、30年後の日米貿易摩擦に至るフラグはマーティがデロリアンに乗ってたどり着いた日——1955年11月5日に立っていたのだ。

ヤマハ発動機コミュニケーションプラザ情報

住所:静岡県磐田市新貝2500
サイト:https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/
【参考】
鋳造歴史物語 Vol.1 黎明-ヤマハ発動機
いつの日も遠くヤマハ発動機 開拓時代のうらばなし-ヤマハ発動機
ヤマハ発動機コミュニケーションプラザ

書いた人

ノンフィクションライター、グラップリング選手、刀剣評論家。各メディアでテクノロジー、ガジェット、ライフハック、ナイフ評論、スタートアップビジネス等の記事を手がける。