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2022.07.29

大丈夫、昔の人も読めていなかった!難解な「書」を楽しむ4つのポイント

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美術館・博物館をめぐると平安時代の和歌集、鎌倉時代の絵巻物、戦国大名の書状、高僧の書いた書簡、江戸時代の浮世絵に添えられた詞書など、バラエティに富んだ「書」の展示が並んでいます。

国宝や重要文化財なども数多く見かける「書」ではありますが、残念ながら21世紀に生きる現代人には、まるで呪文のよう。そう、全く読めないんです。

ですが、たとえ何が書いてあるのかわからなかったとしても、書を楽しく鑑賞する方法がある…といわれたらどうでしょうか。ちょっと知ってみたくありませんか?

そんなことってあるのかい!?

それを展示を通して体感できるのが、根津美術館で2022年7月16日から始まった書跡の企画展「よめないけど、いいね!―根津美術館の書の名品―」です。

展示風景

そこで今回は、展示作品を紹介しながら、字が読めなかったとしても「書」を楽しく鑑賞するコツをまとめてみました。

(※展示作品は許可を得て撮影しています。期間中、展示室内はすべて撮影禁止です)

なぜ現代の日本人は「書」が読めないのか

「金光明経 巻第四断簡(目無経)」1巻 紙本墨画・墨書 日本・鎌倉時代 12世紀 根津美術館蔵

ところで、なぜ私たち現代の日本人は、江戸時代以前の古い書跡を全く読めないのでしょうか?学生時代に古文・漢文の授業を受け、古典についての最低限の教養は学校で習ったはずですが、いざ展示室で実際に古筆や墨蹟と対面してみると、全く歯が立ちません。

まず、字のかたちに戸惑いますよね。サラサラと続けて書かれたくずし字(草書体)は、一体どこからどこまでが一文字なのでしょうか。アルファベットの筆記体と違い、無数にバリエーションがあるので習得するには相当時間がかかりそう。

左:『現今児童重宝記 : 開化実益』から「変体いろは四十七字」部分を抜粋 右:川崎斯文 編・書『変体仮名手本』(ともに引用:国立国会図書館HP)/

これに加えて、今はもう学校では教えなくなった「変体仮名」が私たちの前に立ちはだかります。現代と違い、江戸時代以前は、一つの発音に対して複数のひらがなが使われていました。さすがに効率が悪い…ということで、明治時代以降、段階を経て学校教育で廃止されると、徐々に使われなくなっていきました。しかし江戸時代以前の人は、この「変体仮名」を200以上も覚え、自在に使い分けていたのです。信じられません。

そりゃ大変だ。

では、もっと時代を遡って楷書体でカッチリと書かれた奈良時代の経典なら読めるのか…というと、これまた意味不明。一つ一つの文字を見ると「ああ、漢字だな」というのはわかるのですが、学校でさらった程度の漢文知識では、読み下すのも難しいでしょう。なぜなら経典に書かれているのは古代インドの高度な仏教思想が詰まった原典を音写(おんしゃ)も含めて古い中国語に翻訳したものだからです。わからなくて当然です。

大丈夫!実は、昔の人も読めてなかった!

このように、現代の日本人には難解すぎて手も足も出ないように見える書跡の世界ですが、実は、昔の人だってちゃんと読めていなかったらしいんです。その証拠が、作品自体の中に残されていました。

「難波切(万葉集 巻第十四断簡)」伝源順筆 1幅 彩箋墨書 日本・平安時代 11世紀 植村和堂氏寄贈 根津美術館蔵

たとえば、こちらの作品。11世紀にまとめられた万葉集の豪華本の一部を切り取った「難波切」と呼ばれる断簡です。読んでいくと、右側に8世紀頃に成立した万葉仮名が書かれ、そのすぐ左側に、くずし字でひらがなが併記されています。

なぜ、万葉仮名とひらがなを併記する必要があったのでしょうか。万葉仮名をもし読めるのであれば、わざわざすぐ左側にひらがなで繰り返す必要はありませんよね。

これが意味するところは…そう、平安時代の貴族は、奈良時代の言葉を読めなかったということなんですね。万葉集が成立したわずか200年後くらいには、もう昔の万葉仮名は誰も読めなくなってしまっていたんです!

今から200年前は江戸時代。そう考えると読めなくて当然!

左:「山名切(新撰朗詠集 巻下断簡)」藤原基俊筆 1幅 彩箋墨書 日本・平安時代 12世紀 植村和堂氏寄贈 根津美術館蔵/右:部分拡大

こちらは、漢文にわかりやすく送り仮名が振られていますね。平安時代の貴族も、漢文が苦手だったのだな…と思うと、ちょっとホッとした気分になりました。

「無学祖元墨蹟 附衣偈断簡」紙本墨書 日本・鎌倉時代 弘安3年(1280) 根津美術館蔵

もう一つ見てみましょう。こちらの墨蹟は、北条時宗が南宋から招聘した高僧・無学祖元の残した墨蹟です。建長寺の住持をつとめ、後に円覚寺の開祖となっているので、有名な仏教美術が好きな方や歴史ファンならご存知かもしれません。

さて、これのどこが問題なの…?と思われるかもしれませんね。

「よめないけど、いいね!―根津美術館の書の名品―」内覧会・展示解説より。茶室向きに軸装された際、赤く囲った部分の文字が切り詰められた。

実はこの墨蹟、元はもう少し長かったオリジナルを、適当なところで切り詰めて茶室の床の間に合うサイズにあわせているんです。その結果、ちゃんと読んだときに意味が通らないものになってしまっているんですね。

にもかかわらず、茶人たちはこの状態で茶室に飾ってお茶をいただいていたんです。誰も違和感を抱きませんでした。なぜなら、彼らも読めていなかったからです!逆に、ちゃんと読めていたなら気持ち悪くて、とても大切な茶会には出せなかったことでしょう。

謎の英字プリントTシャツみたいな?

こんな楽しみ方もある!読めないなりの鑑賞の切り口とは?!

「書状」 近衛信尹筆 1幅 紙本墨書 日本・桃山時代 16~17世紀 根津美術館蔵/寛永の三筆として名高い近衛信尹の、暗号のような謎めいた書面。

ということで、実は昔の人も古筆や墨蹟をしっかりと読めていなかったことがわかりました。でも、茶室に飾ったり、手鑑(古筆や墨蹟などを貼り込んで集めた画帖)にまとめたりして愛でる楽しみを味わっていたわけですから、現代の私たちだって、読めなくても十分に鑑賞できるはずなんです。

そこで、ここからは本展で紹介されていた鑑賞の切り口をいくつかご紹介してみます。

鑑賞の手がかり1:観察力が試される?!奈良時代の写経には意外な楽しみがある

「集異門足論 巻第八 1巻」紙本墨書 日本・奈良時代 8世紀 根津美術館蔵

奈良時代の経典って、どれを見てもピシッと正確に書かれていますよね。中国から伝わった経典を、一字一句間違えないようにしっかり心を込めて書き写したのだな…ということがわかります。

「大般若経 巻第二百六十七(神亀経)1巻」紙本墨書 日本・奈良時代 神亀5年(728)根津美術館蔵

こうした経典は、巻末部分に着目してみると、意外なものが見えてくるかもしれません。

例えば、今から約1500年前につくられた長大な「大般若経」の巻末部分を見てみましょう。「初校」や「再校」といった、今でも通用するような編集用語が並んでいますよね。

ほんとだ~~!!

奈良時代には、経典は国営の「写経所」と呼ばれる専門の役所で役割分担してつくられていました。国家の平安を願った国家事業だったわけですね。経典作りも専門化し、文字を書き写す「経師」には文字単価で給料が払われ、書き間違いや書き落としには罰金が課されたそう。書き終わったら、校正担当がダブルチェック、トリプルチェックを行って編集していたのです。一文字も間違いが許されない緊張感が漂ってきますね。

それでも人間ですから、書き間違いは発生してしまうもの。実際、国宝に指定されている貴重な経典でさえ、丹念に見ていくと書き間違いを修正した跡が見つかるから面白いものです。

「根本百一羯磨 巻第六 1巻」紙本墨書 日本・奈良時代 宝亀6年(775)根津美術館蔵

たとえば、こちらの国宝「根本百一羯磨」を見てみましょう。「根本百一羯磨」は、「大字経」と呼ばれる経典の代表格。それまで1行17文字と決まっていた文字数を13文字に減らして、文字を大きく読みやすくしています。奈良時代後半に流行した写経の流行フォーマットでもあります。

さて、この中に、何箇所か修正跡があるのですが、どこにあるかわかりますか?

「根本百一羯磨 巻第六 1巻」(部分)紙本墨書 日本・奈良時代 宝亀6年(775)根津美術館蔵

修正箇所をひとつピックアップして拡大してみましょう。

少し、紙が白く見えている部分が修正部分です。彫刻刀のような刀の刃先で紙の表面を削りとり、その上からもう一度正しく「大徳」と書き直しています。修正痕が目立たない、良い仕事をしていますよね?!

しかし、国宝の経典でさえこうして間違えてしまうのですから、私たちが書き間違いをしてしまっても、それはもう致し方ないということですね?!

緊張しすぎると、なぜかすごく簡単な字を書き間違えたりします。

鑑賞の手がかり2:料紙の美しさに注目!1000年以上前の「紙」を愛でる

「賢愚経断簡(大聖武)」伝聖武天皇筆 1幅 彩箋墨書 日本・奈良時代 8世紀 根津美術館蔵

こちらの「賢愚経」と呼ばれる経典の断簡は、仏教美術展や書跡の展覧会ではわりと常連です。堂々とした大きな字体、東大寺に伝来したことから、江戸時代に聖武天皇筆と鑑定されたことで「大聖武」と名付けられました。名前がかっこいいですよね。

この「大聖武」、もとは賢者や愚者に関するストーリーを集めたワンセットの経典だったのですが、桃山時代以降、どんどん切断されて分かれていきます。その結果、あちこちの展覧会で見かけるくらい数多くの断簡ができてしまいました。

その背景には、貴族や武家など古筆好きの間で盛んになった、古筆を切り貼りした「手鑑」制作がありました。神社仏閣ファンが御朱印帳を集めるのと同じようなイメージですね。

この「手鑑」ですが、いつしか巻頭を「大聖武」で飾るのが定番とされるようになりました。その結果、「大聖武」は引っ張りだこになり、どんどん切られていってしまったんです。今回お伺いした根津美術館でも、全部で7点もの「大聖武」断簡が収蔵されています。

「賢愚経断簡(大聖武)」(部分拡大)伝聖武天皇筆 1幅 彩箋墨書 日本・奈良時代 8世紀 根津美術館蔵

この「大聖武」で注目したいのが、料紙の作り込みです。展示室ではいい感じでルーペがセットされていました。これを利用しない手はありません。見てみましょう。紙の中に、細かくブツブツした斑点が見えますね。これは紙の原料であるマユミの木の粒子が浮き出ているのですが、当時の人々はこれを、すりつぶした釈迦の骨の粉末に見立てました。それで、この紙には「荼毘紙」という名前がつけられたのです。面白いですよね。

さて、平安時代になると、国家事業だった経典の書写は寺社や貴族が担うようになります。浄土信仰や末法思想が流行すると、極楽往生を願う法華経の書写が盛んになっていきました。

法華経を持つだけでもご利益。読むとさらにご利益。写経するとさらにご利益が期待できる。経巻を飾り立てるともっと極楽に行ける。そういうことが、お経の中に書いてあったのです。また、男性だけでなく女性も写経することで成仏できる、とされました。そういった背景から、女性的な感性を反映して、経巻を美しく飾った装飾経が流行していきました。

「この経巻かわい~♡」とか言って、友達と見せ合いたいなぁ。

「広弘明集 巻第十四・第十五本・第十五末(中尊寺経/清衡願経)3巻」紺紙 金銀字 日本・平安時代 12世紀 根津美術館蔵

中でも特にゴージャスなのが、濃紺の紙に1行おきに金泥・銀泥で書き分けられた「中尊寺経」と呼ばれる装飾経。

普通、銀は時間が経つと酸化して真っ黒になってしまうものですが、日本に残された金銀交書経のクオリティは本当に凄い。800年、900年経った今でもピカピカのままのものが本当に多いんです。いかに大切に守り継がれてきたか、よくわかりますね。

「尾形切(業平集断簡)」伝藤原公任筆 1幅 彩箋墨書 日本・平安時代 12世紀 根津美術館蔵

つづいて、こちらの「尾形切」。料紙に白い雲母片を混ぜ込んだ、雲母摺(きらずり)が施されています。中国製の唐紙をまねて、日本でつくられた和製唐紙です。

「尾形切(業平集断簡)」(部分拡大)伝藤原公任筆 1幅 彩箋墨書 日本・平安時代 12世紀 根津美術館蔵

光の当たり方、見る角度によって、ちらちらと見えたり見えなかったり、という絶妙な加減が平安貴族の美意識にあっていたのでしょうか。私たちも、ぜひ平安貴族になりきって、上から下から色んな角度から試してみましょう。

ちなみに、「尾形切」は、もともと本願寺に伝わった三十六歌仙の歌集の豪華本・国宝「本願寺本三十六人家集」の一部が江戸時代に切られて流出し、尾形光琳の家に伝来したことによるそうです。「●●切」と呼ばれる由来などを調べていくのも結構面白いですよ。たいていの場合はググればすぐに欲しい情報がみつかります。いい時代になりましたよね。

鑑賞の手がかり3:近世以降の書跡は人物のエピソードとリンクして攻略する!

さて、近世になると筆者が特定されている書跡がぐっと増えてきます。画家や高僧、茶人といった文化人から将軍や天皇といった権力者まで色々ありますが、歴史の教科書に載っているような有名人が書いた書跡だと、なんとなく親近感がわいてきますよね。

でも、筆者を知っているからといって、やっぱり読めるわけではありません(笑)。

そこでこうした書跡を楽しむ時には、筆者の性格やエピソードなどと合わせて楽しむのが鑑賞の王道です。絵画を愛でるときも、まずは作者のプロフィールを調べますよね。それと全く同じことを、「書」の鑑賞でもやればいいんです。

例としていくつかみてみましょう。

「一休宗純墨蹟 偈頌」1幅 紙本墨書 日本・室町時代 康正3年(1457)根津美術館蔵

たとえば、これはとんちで有名な一休宗純の墨蹟です。

白隠や仙厓のようにさぞかしユルユルな面白い墨蹟が多いのかと思ったら、全く違っているではありませんか。強い筆致で一気呵成に書きなぐったかのような激しい書は、アニメで見た一休さんのイメージとかなりかけ離れていますよね。ちょっとした「ギャップ萌え」が楽しめるのではないでしょうか。

力強くてなんだか芸術的!! ずっと見ていたくなる。

「飲中八仙歌」池大雅筆 8曲1隻 紙本墨書 日本・江戸時代 18世紀 秋山順一氏寄贈 根津美術館蔵

続いては、18世紀京都画壇で活躍した文人画の巨匠・池大雅の8曲1隻の大作です。「飲中八仙歌」とは、唐の詩人・杜甫が同時代の名だたる酒豪の文化人8名をテーマに詠んだ有名な詩です。日本美術でもこの詩にインスパイアされた山水画が数多くつくられています。

実は池大雅は当時最高の画家であるとともに、書の達人でもありました。試しにネットで「池大雅 書跡」とググってみてください。楷書・隷書・草書とあらゆる書体の作品がヒットしますよね。どんな書体も完璧にこなし、絵の才能も群を抜いていた。大谷翔平バリに絵画・書の二刀流をこなした、天才肌の文化人だったわけです。

「飲中八仙歌」(部分拡大)池大雅筆 8曲1隻 紙本墨書 日本・江戸時代 18世紀 秋山順一氏寄贈 根津美術館蔵

本作はそんな大雅の書の作品の中でも、伸びやかで自由な筆使いが特徴的です。…というよりも、少々伸びやかすぎて、これはひょっとしたらタイトルの「飲中八仙歌」にあわせて、実際に酒を飲みながら描いたのでは……?と思わせるほどの奔放さですよね。

鑑賞の手がかり4:現代アートだと思えば書跡だって楽しめちゃうかも?!

「天地二大字(大天地)」良寛筆 1幅 紙本墨書 日本・江戸時代 19世紀 秋山順一氏寄贈 根津美術館蔵

最後に紹介するのは、江戸時代後期に民衆から愛された禅僧・良寛の作品。「天地」と書かれているそうですが、言われないとやっぱり読めませんね(笑)。まるで抽象画を見ているようでもあります。

良寛が「天地」と書いた作品は2点現存し、ともに根津美術館の所蔵。特に大きい方が有名で、通称「大天地」と呼ばれています。作品を見ると、「天」の最初から「地」の最後まで一気呵成に筆を動かして、ぐいぐいと書き進んでいますよね。

それにしても、「地」の斜め上に打たれた「・」は何なのでしょうか?

地という字に本来「・」はありませんが、そこに打たざるを得なかったのでしょう。「・」を試しに省略してみると、少し間が抜けて見えます。本来「地」にはなかった「・」を「地」の右上方に打つことによって、空間が埋まり、中心からわずか左に寄せている「良寛書」と書かれた署名が響き合って、バランスが取れているんです。この鷹揚な自由さが、まさに良寛という人物を象徴しているのでしょうね。

書跡作品も無理に字を読もうとするのではなく、「現代アート」を鑑賞するような気持ちで向かい合ってみると、案外面白い発見があるのかもしれません。

ただの「字」ではないのですね。

「読めないけど、いいね!」は事前知識ゼロで楽しめる、画期的な書の展覧会!

展示風景

さて、本稿ではここまで根津美術館の企画展「よめないけど、いいね!―根津美術館の書の名品―」での展示作品を例にとって、書かれている文字がたとえ読めなかったとしても、書跡の楽しみ方、鑑賞の切り口はたくさんあるんだ、ということをご紹介してきました。

書跡作品は、そこに書かれた文字そのもの以外にも、たくさんの情報が詰まっています。たとえ読めなくても、作品がつくられた時代背景や料紙の美しさに注目したり、筆者のパーソナリティを思い浮かべることで、楽しむための切り口になるんです。

どんな切り口でもいいので、まずはその作品をじっくりと見てみましょう。今まで気が付かなかったことが発見できれば、もっと作品を掘り下げてみたくなって、今度は自然に「変体仮名」や「くずし字」を読んでみたい!と興味がわいてくるかもしれません。

これ以外にも、本展では書跡作品に対するユニークな作品の見方が数多く紹介されています。もし興味が湧いた方は、是非足を運んでみてください。きっと、「書」への興味が深まるきっかけになると思います。僕も、展覧会が終わってから「くずし字」を学べるスマホアプリを早速インストールしましたので!

展覧会情報

展示風景

企画展「よめないけど、いいね!」根津美術館の書の名品
会  場:根津美術館 展示室1・2
会  期:2022年7月16日(土)~8月21日(日)
公式HP:https://www.nezu-muse.or.jp/

書いた人

サラリーマン生活に疲れ、40歳で突如会社を退職。日々の始末書提出で鍛えた長文作成能力を活かし、ブログ一本で生活をしてみようと思い立って3年。主夫業をこなす傍ら、美術館・博物館の面白さにハマり、子供と共に全国の展覧会に出没しては10000字オーバーの長文まとめ記事を嬉々として書き散らしている。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。