花火は、日本では夏の風物詩だけれど、英国では冬の風物詩だった。毎年11月5日、英国の長い長い冬の始まりの頃、冷たく、澄んだ夜空に花火が上がる。英国留学中、大英博物館でのいつもの仕事を終え、オックスフォードに戻る長距離バスの車窓からぼんやりと景色を眺めていると、遠くの夜空に花火が上がるのが見えた。もう少し進んだら、反対側の車窓にも花火。そうか、今日はガイ・フォークス・デイ(Guy Fowkes Day)か、と思ったものだ。
犯罪者の名前がついた英国の行事
ガイ・フォークス・デイとは、英国で11月5日に行われる行事のこと。1605年11月4日、国会議事堂の爆破とジェームス1世の殺害を狙った陰謀が露見し、爆破の実行者であったガイ・フォークスが逮捕された。その翌日の夜、王が無事であったことを祝い、市民がかがり火を燃やすことを許したことに由来するもので、現在では、「Bonfire Night(焚火の夜)」「Fireworks Night(花火の夜)」などとも呼ばれ、かがり火に子どもたちがガイ・フォークス人形を投げ入れたり、花火を上げたりして祝う日になっている。ガイ・フォークス人形が燃える姿は、なんとなく火あぶりの刑を彷彿とさせる。こういう悪いことを二度としてはいけないという戒めの意味が込められているのだと思うけれど、犯罪者の名前が前面に出たお祭りなど、日本では聞いたことがなかったので、やはり狩猟民族の国なんだなぁと、花火を見ながら妙に納得したことをよく覚えている。
11月に日本で行われる火祭り「御火焚き」とは
日本でも、11月に焚火をする行事がある。特に京都では、伏見稲荷大社、知恩院、御霊神社、下鴨神社など、御火焚きをする社寺が多く、初冬の風物詩となっている。積み上げられた護摩木や火焚串に火がつき、燃え上がっていく様子は圧巻であり、与謝蕪村は「御火焚きや霜うつくしき京の町」と俳句に残している。御火焚きの由来は、秋の収穫を感謝するお祭りであるとか、火を焚いて厄を祓うとか、土を温めて春の息吹を祈るとか、様々な説があり、この時期は街の和菓子屋さんには、火の前にお供えされる宝珠の焼き印が押された紅白の御火焚き饅頭が並び、御火焚きの火で焼いたみかんを食べると風邪を引かないなどと言われている。
理由は異なるけれど、日本と英国、遠く離れた二国で火を焚く行事が同じ時期にあるのが興味深いし、やはり日本の方は農耕民族の国の行事だなと思ってしまう。ゆらゆら動く火を見ていると、なんだか心が落ち着くと言う人は多い。火の回りに集まると、会話がはずんだり、いつもはしないような話をしてしまったりするというのは、日本人ばかりでなく、世界でも同じではないだろうか。厳しい冬の始まりに、火を焚いて、気持ちを整えると言う意味も、もしかしたら両国共通で秘められているのかもしれない。
御霊神社の神様に捧げた御火焚き行事
宮中での御火焚きは、11月8日。京都の御所の産土神(うぶすながみ)である御霊神社の神様に捧げる御火焚き行事が、東京奠都の後も続けられ、大正時代まで行われていたようだ。宮中だけでなく、公家の家庭でも一般的に行われる行事であったらしい。
部屋の中に設えた鬼面の火鉢の中に、小さな薪木を井桁に積み、小さな鳥居を四方に立てかける。白木の台にお神酒一対、お饅頭、みかんを載せて、火鉢の西側に並べる。これは西側が御霊神社の方角であるからである。準備ができて、両陛下がお出ましになると、係の女官である命婦(みょうぶ)が火打石を使って薪に火をつけ、燃え上がったところに饅頭とみかんを投げ入れ、最後にお神酒を注ぐのだそうだ。
この火が上がっている間、女官たちは「たけ、たけ、御火焚き、のう、のう、御霊どんの御火焚きのう、のう、みかん、饅頭、ほしや、のう、のう」と、火が消えるまで繰り返し囃し立てる。「御霊どん」というのは、御霊神社の神様のことだが、宮中では「さん」は身分が上の人につける言葉であり、両陛下がお出ましの御火焚きの場では、両陛下の方が神様より上にあたるので、同僚などを呼ぶときに使う「どん」をつけるのだそうだ。御霊神社には、崇道天皇を始めとする多くの皇族方の御神霊が祀られているが、確かに今上陛下の方がお立場は上になる。神様の方の身分が下だなんて考えてみたこともなかったけれど、「御霊どん」と言われると、手が届かない雲の上の存在ではなく、なんだかとても身近に感じるような気がする。。
焼けたみかんと饅頭は、天皇にまず差し上げ、召し上がるお真似をされる。その後女官一同にも御下賜があり、皆でお相伴に預かるのだと言う。両陛下と御一緒に歌を歌いながら、火を囲んで過ごすひとときは、さぞかし和やかなものであったのだろう。どのような会話がなされていたのか、垣間見ることができたらいいのにと思う。
現在京都の社寺で行われる御火焚きは、ご本殿の前など、室外で行われているが、宮中の御火焚きは室内で行われていたことに驚かされる。明治6(1873)年、火の不始末でお住まいであった御殿が焼失したことから、明治天皇は殊の外、火の管理にはお厳しかったそうだが、御火焚きは変わらず行われていた。天井のあたりまで火が上がることがあっても、一度も火事になったことはないという。やはり神様の火である所以なのだろうか。
御火焚きで焼けたみかんを口に入れると、あたたかく、甘さがぎゅっと濃縮されていて、焦げた香ばしい香りが口中に広がる。明治天皇も召し上がった、京の初冬の味。目を閉じて、耳を澄ますと、女官たちの囃子歌が聞こえてきそうな気がする。