ハワイ大学で裏千家茶道の講師を務めるミセス茶人、オノ・アキコ。
アキコさんは、2007年に移住したハワイでも、ずっとお茶を続けてきました。日本から6,200キロも離れた異国の茶の湯の世界では、想像できない出来事ばかり。
今月は、南国での茶の湯のきものの話です。
そもそもお茶といえば「しっとりとしたきもの姿」というイメージがありますよね。けれどハワイは、アロハや、ゆったりとしたムームーの国!
「お稽古にきものを着る」ということは「茶の学びのなかで継続してきものを着る」ということに他なりません。はたして、そこにはどんな苦労や悩みがあったのでしょうか。
ワイキキにきもので通う?
文と写真/オノ・アキコ
ハワイの8月は夏休みで旅行者数もマックスになり、猛暑を逃れて、または青い海を求めて休暇を過ごす人たちで、島の人口は膨れ上がる。とくにワイキキの目抜き通りであるカラカウアは、人通りも多くなり、レンタカーの数も増える。
さて、お茶をはじめる人のなかに「きものが好きだから」という人は、案外多いと思う。かくいう私もきものが大好きなので、お稽古にきもので通うことが苦痛にならなかった点が、お茶を続けられた理由のひとつといえる。
けれど、はじめてきものを着てワイキキまで運転し、お茶の稽古に向かったときは、ちょっとした勇気が必要だった。
家から稽古場まで、赤信号で停止するたび、わざと隣車線の車と停止位置をずらして、運転席の人と目が合わないように気を配ったほどである。
なぜなら、年間平均気温が摂氏25℃。青い空、それよりさらに蒼い海。輝く緑と色とりどりの花々が咲き乱れる「暖かい」ハワイなのだ。
道行く人びとは、カメラ片手にTシャツと海パンとビーサン。または、サーフボードをもってビキニ姿で歩いているのに、かたや何層もの絹をまとい、胴に帯を巻きつけ、髪をアップにして、ピッタリと足袋を履き、草履で運転をしている。
まわりから見ると、私の姿ほど「暑苦しく」、「場にそぐわない感」が半端ない人間はいない。ひと言でいうと「気恥ずかしかった」からである。
けれど、あるとき自分よりずっと目上の大先輩が、きものでバスに乗ってワイキキまでお稽古に通っていらっしゃると耳にして、私は深く深く反省した。
ハワイのバスは、まず時間通りには来ない。大先輩は、おそらく長時間、炎天下のなかきもの姿で待たなければいけなかっただろうし、車内は日本にくらべるとやや小汚かったりもする。
そしてまわりの乗客から注がれる興味の目に、さぞ居心地の悪い思いもされていただろう。
先輩にくらべたら、きものの私が車でお稽古通いするのは楽チンなものである。私は堂々ときものを着用するようになった。
きものが茶の湯の理解を深めてくれる
もしワイキキの路上できもの姿を見かけたら、道行く人々は恐らく、日本料理店の制服か、結婚式に参列するための衣装と錯覚するかもしれない。まさか、海からほど近いこのリゾート地のど真ん中に、本格的な数寄屋造りの茶室があるとは、だれも思わないだろう。
しかし、茶道の所作は、きものをまとってはじめて分かることも多い。
「点前座(てまえざ)」といわれる、亭主がお茶を点てるための限られたスペースで、一連の動きをするときは、きものの袖が道具に触れないように、所作に気を配る必要がある。
またお茶では、袖が触れずにお茶が点てられるように、器物の配置も決まっている。
いくら洋服で稽古をしたとしても、バーチャルな設定になるわけだから、きものでなければ、身体的に茶の湯を理解をすることがむずかしい、といったほうが分かりやすいかもしれない。
最近は茶道のための「稽古着(けいこぎ)」と呼ばれる便利な品も多種出ていて、仕事帰りであっても、普段の洋服の上から着用すれば、きものに近い感覚でお稽古ができる。
私自身よく利用するが、やはりくらべてみると、稽古着は本物のきものにはかなわない。時々でもよいから、きもので稽古することは畳の上での所作を勉強する上で、とても大切だと思っている。
きもののTPO
そもそもハワイというところは、かしこまった服装をあまりしない。
200年前、宣教師が島に初めて降り立ったころは、先住の人びとは、衣で肌を覆い隠すようなことはあまりしていなかったと伝えられる。女性も上半身を露出していたので、それをみだらととらえたキリスト教の教えに従い、ムームーが生まれたという。
また、アロハシャツは、もとは日系人がきものの生地を再利用するアイデアからつくられた服である。
そして西洋文化の影響を受けて久しい今も、ハワイで正装といえば、アロハシャツとムームーで、おかたい職業のはずの銀行員だって、背広を着ることはほぼない。ここで背広を着ている人を見かけたら、アラモアナで働くファッション・コンシャスな紳士か、モルモン教の宣教師かのどちらかの可能性が高い。
ムームーにくらべると、かしこまった感じがしてしまう愛すべき日本の民族衣装のきものだが、私の場合、母が普段洋服ばかりだったため、着付けは着付け教室で習った。
今では締め慣れた名古屋帯なら、10分ほどで着られる。きものをあつらえるようになってからは、祖母の代からご縁のある京呉服「ゑリ善」の番頭Tさんに、懇切ていねいに、きもののイロハを教えてもらった。
そう、きものには季節やTPOにともない、きちんとしたルールがある。
正式な場面、普段着、また茶道では稽古に適したもの、茶会に装うものなど、細かく分けたら面倒なほど、「決まり」すなわち「きものの常識」がある。
正装に使われる「留袖」や、一枚のきもののなかに絵画のように図柄を配置した「訪問着」「付下げ」、一色のみで染めた「無地」、小さい型染め紋様の「小紋」。これらはすべて「染め」のきものである。
また先染めした糸を織り出して格子や柄を表した「紬」は、カジュアルな「織り」のきものの代表にあげられるだろう。
着るときの手間に加えて、このきものの種類や着用ルールが、若い世代をきものから遠ざけている理由かもしれないが、今、京都や鎌倉に行けば、3,500円ほどで和装の貸出や着付けをしてくれるお店があり、日本人も外国人もこぞって下駄や草履を履いて街中を歩いている。たまに唖然とする姿も見かけるときもあるけれど、和装文化の存続のためには、そうしたサービスを否定的にとらえることはできない。
本来、きものは10月から5月までが袷(あわせ)、6月と9月は単衣(ひとえ)、そして、7月と8月は薄物(うすもの)を着る。
温暖化によって、「これからどうなるだろう」と、真面目に不安になるときもある。それでも京都の猛暑のなか、舞妓や芸妓さんたちが、きっちりとした装いで八朔(はっさく)の挨拶に出かけるのを見ると、伝統を引き継ぐ涙ぐましい努力に頭が下がるとともに、「変わらないものの大切さ」を感じている。
ハワイの8月は薄物!
では、常夏のハワイではどうだろう。
普段からきものを着るのは、お茶をする人、日本舞踊を習う人、料理屋にお勤めの人ぐらいなので、われわれはある程度風土にそった独自の決まりで、きものを使い分けている。
すなわち普段の稽古においては、風炉の時期(5月から10月の終わりまで)は薄物で、炉の時期(11月から4月の終わりまで)は単衣、というのが、私世代のハワイ茶人が出した結論だ。日本の秋や冬に匹敵する天候はないのだから、わざわざ袷を着ることはない、という考えをもっている。
さらに種明かしをすれば、私の流派では、大半のローカル茶人は「洗えるきもの」を愛用している。なぜならここには悉皆屋(しっかいや)がないからだ。悉皆は、白生地から染め出すという「あつらえ」や、丸洗い、洗い張り、しみ抜きといった、きもののメンテナンス全般を扱う仕事である。
引っ越してきた当初は、私も正絹を着ていた。せっかく買い求めたきものに対する愛着があった。
でも何度も袖を通そうとすると、数回着用したきものは帰国するたびに洗い張りをしてもらわないと、汗染みできものを傷めてしまう。
また、ハワイはこう見えて湿気もかなりあるので、箪笥にしまっておいても、雨季には気を付けないと、かび臭くなるのだ。
昨今は洗い張り(一度きものを解いて、もう一度仕立てる)まですると、お代がかさむ。
洗い張りを繰り返したら新品の反物が一反買えるので、特別な場合を除き、この地で正絹に袖を通すのはきっぱりとあきらめた。そのため私が普段身にまとう正絹は、帯と小物だけになった。
洗えるきものの多くは、化繊なので一年中日光の強い南国でも、絹のように色褪せることがほぼない。
水にも強く、ネットに入れて洗濯機で洗い、ハンガーにかけて陰干しをし、常に清潔に保つことができる。
そして正絹のおきものにくらべたら、安価でお求めやすいのもうれしい。
というわけで、私達のお茶室では「絹ずれ」の音ならぬ、「ポリずれ」の音がする。最近の洗えるきものは、見た目もシルクと見まがうほど高品質なので、音もそんなに悪くない……と思いたい(笑)。
(続く)
最初から読む→常夏の島ハワイで楽しむ茶の湯とは?【一期一会のハワイ便り1】
第2回目→アロハスピリットと創意工夫で茶席を彩る【一期一会のハワイ便り2】
オノ・アキコ
65年生まれ。国際基督教大学卒業後、モルガン・スタンレー・ジャパン・リミティッド証券会社を経て、ロンドンのインチボルド・スクール・オブ・デザイン校にて、アーキテクチュアル・インテリア・デザイン資格取得。2007年ハワイに移住し、現在はハワイ大学の裏千家茶道講師を務めている。ハワイでの茶の湯を中心に、年に数度は日本に里帰りをしつつ、グローバルに日本文化を楽しんでいる。
(文と写真:オノ・アキコ/構成:植田伊津子)