大徳寺に息づく日本美とともに、貴重な「特別拝観とお茶席」をご案内いたします。
狩野派の国宝障壁画、千利休作の名庭、利休好みの茶室で知られる大徳寺 聚光院
多くの名僧を輩出し、皇族、武将、茶人にゆかりのある大徳寺は、いつしか〝日本美の源流〞と讃えられるようになります。その22ある塔頭(たっちゅう)のひとつである聚光院は、永禄9(1566)年、戦国武将・三好義継(みよし よしつぐ)が養父・長慶(ながよし)の菩提(ぼだい)を弔うために建立。聚光院の名も長慶の院号に由来しています。
開祖である笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)には多くの弟子がいましたが、その俗弟子には千利休の姿もありました。宗訢を師と仰いだ利休は、やがて聚光院を自らの菩提寺(ぼだいじ)とします。その縁はやがて三千家(表千家、裏千家、武者小路[むしゃこうじ]千家)へと繫がっていきました。
利休と聚光院のゆかりの深さを示すものとしては、狩野永徳が下絵を描き、利休が作庭に関わったとされる方丈前庭「百積(ひゃくせき)庭」があります。また、利休の150回忌に表千家7代如心斎(じょしんさい)が寄進した利休好みの茶室「閑隠席(かんいんせき)」も名高く、もうひとつの茶室「枡床席(ますどこのせき)」とともに国の重要文化財に。
現存作が少ない狩野永徳の障壁画・襖絵が見られる
そして、聚光院の名は美術の世界でこそ、広く知られてきました。狩野松栄・永徳親子が手がけた方丈内の障壁画は、46面のすべてが国宝です。特に室中の襖絵「花鳥図」は、若き日の永徳の傑作。その後、永徳は狩野派を率いて活躍し、一門と共に名作の数々を手がけました。しかし、あまりの才能に仕事が殺到し、わずか48歳で永眠。早世の原因は過労であったといわれています。
そんな永徳の作品は多くが戦乱に巻き込まれ現存していません。そうしたことからも、聚光院の障壁画ははかり知れない価値をもっているのです。
【一席15名】大徳寺 聚光院 特別拝観とお茶席のご案内
茶聖・千利休の菩提寺であり、茶道三千家ゆかりの寺院として知られる大徳寺 聚光院。まさに茶の湯の聖地といえるこの場所で、「特別拝観とお茶席」が開催されます。詳細をご確認の上、この貴重な機会にぜひお申込みください。
日時
2023年8月19日(土) 13時~14時20分(12時40分受付開始)
定員
15名
参加費
14,000円(税込)
お申し込み
詳細の確認やお申込みは「京都春秋 ことなり塾」のページにてお願いいたします。
大徳寺 聚光院(だいとくじ じゅこういん)
住所:京都府京都市北区紫野大徳寺町58
※通常は非公開ですが、特別公開されることもあるので、その機会を見逃さずに、一度は訪れてみたい。
本記事は雑誌『和樂(2023年8,9月号)』の転載です。
文/福田詞子
協力・画像提供/京都春秋