2024年前期放送の連続テレビ小説『虎に翼』。日本初の女性弁護士を、実話に基づいたオリジナルストーリーで描き、好評を博しています。主演は伊藤沙莉さん。
ところで、タイトルにもなっている「虎に翼」とは一体どんな意味なのでしょう?
意味や由来、元になった思想などをご紹介します。
「虎に翼」とはどんな意味?
虎に翼とは、ただでさえ強い力を持っている者に、さらに強い力が加わることのたとえです。同じ意味を持つ言葉に、「鬼に金棒」「虎に角(つの)」があります。
『日本書紀』や『宇治拾遺物語』、浄瑠璃の台本など、古くから使われている表現です。
韓非子とは?
「虎に翼」の表現を初めて使ったのは、韓非子(かんぴし、?~紀元前233年頃)。中国の戦国時代末期に活躍した思想家です。本名は韓非、韓の諸公子(傍系の公子)として生まれましたが重用されず、逆に著作を読んだ秦王(のちの秦の始皇帝)に惚れ込まれ秦に招かれます。しかし、同じ荀子(じゅんし)門下の兄弟弟子ですでに秦に仕えていた李斯(りし)がそれを妬んで秦王に嘘を伝え、韓非子は投獄され獄中で非業の死を遂げたのでした。
韓非子は、法律にのっとって判断すべきである、という法治主義を唱えた人だったので、今回の連続テレビ小説のタイトルに選ばれたのでしょう。
韓非子の思想とは?
韓非子は師である荀子の性悪説(せいあくせつ)を引き継ぎ、人の本性は「善」ではなく利害で動くもの、と説きました。そのため、よい行いをした人には褒美を与え、悪いことをした人には罰を与える、そこに例外は認めない、という「信賞必罰(しんしょうひつばつ)」の人民統治が重要だと考えました。臣下の言動をよく観察し、そこに嘘がないか、本性を偽っていないかを見抜く重要性にも言及しています。
ただ、韓非子も単純に冷酷であれ、と言ったわけではありません。人の本性とはそういうものだからこそ、よりよい世の中を作っていくためにはどうすればいいのか考えるべきだ、と主張したのです。
なお、韓非子の思想を記した書も『韓非子』と呼ばれています(20巻55編、一部は後世の追記とされる)。「君主の臣下統御術」「君主の権力重視」「法治主義」が中心となっていて、(現代の価値観とそぐわない部分もありますが)2000年以上前の著書でありながら現代にも通用するリーダー論の宝庫となっています。
日本史における韓非子思想
日本では、人間の本性は善である、という「性善説(せいぜんせつ)」に基づいた儒学や朱子学が主に取り入れられたため、韓非子の思想は表立って唱えられることはありませんでした。しかし、実は徳川幕府も韓非子の思想に大きく影響されていたといいます。
また、幕末に活躍した新選組の副長・土方歳三が、規則は規則であるとして例外を認めなかった姿勢にも、韓非子の思想が影響していたのかもしれません。
▼土方歳三とはこんな人
土方歳三資料館でご子孫にインタビュー!なぜ私たちは「トシさん」に惹かれるのか?
韓非子の言葉
『韓非子』の中から、印象的なものをいくつかご紹介いたします。
和氏の璧(かしのへき/かしのたま)
楚の和氏(かし)が、名玉の原石を見つけて厲王(れいおう)に献上したが、ただの石だと言われ、偽った罰として左足を切られた。次の代の武王にも同じ理由で右足を切られた。三代目の文王に初めて認められ、原石を磨いたところ、歴史に残る名玉となった。(和氏篇)
真実はなかなか認められない、人の意見を聞く気のない相手に進言などする必要はない、という、いつの時代にも「ああー分かる……」と深く頷けそうな逸話です。
偶然ウサギを手に入れ、仕事を辞めてひたすら次を待つ人
宋の国の人が畑仕事をしていると、ウサギがたまたま畑の中の切り株にぶつかって、苦労せず手に入れることができた。そこで彼は仕事を辞め、ひたすらまたその切り株にウサギがぶつかるのを待った。もちろんそんな幸運は二度と起きず、国中の笑い者になったのである。(五蠹[ごと]篇)
北原白秋作詞・山田耕筰作曲の唱歌「待ちぼうけ」の元になった説話で、いつまでも変わらない基準・価値観などというものはない、時代に合わせて変えていくべきだ、と教えた説話です。後に、味を占めて何度も利益を得ようとする、努力せずに成果を得ようとする、という意味も加わりました。
儒教の重要な経典の1つである『易経(えききょう)』に書かれる、立派な人は間違ったと思ったら迷いなくすぐに改めて善へと進むものだ、という意味の「君子は豹変(ひょうへん)す」とも通じるところがあるように思われます。
見かけや思いつきだけで判断することの危うさ
顕学(けんがく)篇から、現代社会にも深く通じる箇所を2つ、ご紹介いたします。
確かな証拠固めもせずに断定するのは愚か者のすることである。確実だと言えないのに、それを根拠として議論を展開するのは詐欺師のすることである。
立派な容貌だという理由で登用した人物は、その行動がつりあわなかった。言葉が立派だという理由で登用した人物は、中身が伴っていなかった。
人の能力を判断するには、必ずその仕事ぶりを検討し、本当に功績を上げたものに褒美を与えなければならない。
顕学というのは世の中でよく知られた学派、つまり儒家(じゅか・孔子によって始められた学派)や墨家(ぼくか・墨子の思想を引き継ぐ人たち)を指し、韓非子はこれらの学派に痛烈な批判を加えていますが、顕学篇には誰もがはっとさせられる鋭い視点が散りばめられています。
アイキャッチ画像:親子虎根付(江戸時代)メトロポリタン美術館より
参考文献:
・『日本国語大辞典』小学館
・『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
・『デジタル大辞泉』小学館
・『岩波 世界人名大辞典』岩波書店
・『国史大辞典』吉川弘文館
・『世界大百科事典』平凡社
・岡本隆三『韓非子入門』徳間文庫
・金谷治(訳注)『韓非子 全4冊』岩波文庫