白装束を着て額に三角の紙、両手をだらりとさせて柳の下に立っている、というより浮かんでいるようにも見える不気味な存在、幽霊。
わざわざ柳の下まで挨拶しにいかなくても、ざんばら髪に隠された顔を容易に想像できるくらい、生前の未練や遺恨を浮かべた恐ろしい表情は幽霊画でおなじみだ。
幽霊について書かれた怪談話は星の数ほどある。なんてったって、人の数ほどいる幽霊である。どんな幽霊がいてもおかしくない。そう、たとえばこんな幽霊譚がある。
さかさまの幽霊(『諸国百物語』より)
端井弥三郎という、文武に秀でた侍がいた。
帰り道を急いでいたところ、雨が降りはじめた。ものすごい夜闇である。
川にさしかかった弥三郎は渡し船の船頭を呼んだが返事がない。川を渡れずに困っていると川上から火が近づいてくるのが見えた。
目をこらすと、それは女だった。
髪をふり乱し、口から火を吹き出している。しかも逆さまで、頭で歩いているのだった。
弥三郎は刀を抜いた。
「何者だ」
女は苦し気な声で応えた。
「私は川向こうに住んでおります。夫と妾に絞め殺されて、この川上に逆さまに埋められました。仇をとりたいのですが、このように逆さまでは川を渡れません。どうかお願いです。この川を渡らせてください」
弥三郎は船頭を呼びつけて女を舟に乗せてほしいと頼んだ。ところが船頭は女を見るや否や逃げてしまった。
仕方ない。弥三郎は女を抱いて自ら櫂をとり、向こう岸に渡してやった。
岸に着くと女は舟を飛び降り、逆さのまま跳んでいった。弥三郎は女を追いかけた。
ほどなく逆さまの女が妾らしき女の首を引っ提げてあらわれた。
「おかげさまで、易々と仇をとれました」
そう言うと、女は跡形もなく消え失せたという。
その後、件の川上を堀ってみると逆さまに埋められた女の死骸がでてきたという。
腰を痛めた幽霊(『西鶴名残の女』より)
井原西鶴が山に登った折、生い茂る笹を分けて登っていった木陰の暗いところで髪を乱した女が息を吐いていた。その苦しそうな様子からしてこの世の人とは思えない。
幽霊かもしれない。逃げ足になるところをこらえて言葉をかけた。
すると幽霊の女は涙をこぼしながら自分の不幸な物語を語りはじめた。
「後にも先にも、私の愛した男はただ一人しかおりません。死に別れてもほかに相手を持たない。そう契ったのに男のほうはまだ私が死にもしないうちに早々とべつの女と戯れたのです。
これでは世に在る甲斐もなし。でも、怨みの炎が胸を焼くのです。
あの男は件の女のもとで夫婦の語らいをしております。とり殺さずにおくべきか……
私は毎日、二人のもとへ通っています。ですが先日、二階の座敷で二人の声を聞いていたときに足を踏み外して、腰を痛めてしまいました。こんな状態では本望も遂げられません」
どうやら今どきの人は幽霊になっても気力がないらしい。怨み言を口にし、恐ろしい顔をしてはいるが、一念弱ければ届き難し。
井原西鶴は幽霊の女にいった。
「思いとどまるのがよいと思いますよ。侍なら腰抜けで役に立ちませんが幽霊ならば、まぁ差し支えないでしょう」
そうして膏薬を貼ってやり、それきり別れたという。
幽霊は字がお上手(『怪談老の枝』より)
玉井忠山は死んでいる。
生前は詩作を好み、廻国巡礼を志し、江戸にも立ち寄った。つつがなく国々を廻り終えて故郷へ帰ったところまもなく、病で亡くなったのである。
死んでからそう月日が経たぬうちに、庄屋六郎左衛門の家に忠山が訪ねてきた。
「忠山なり、御見舞い申す」
六郎左衛門が玄関へ出てみると、死んだはずの知人が立っていた。
六郎左衛門は死者が訪ねてきたことに驚いたが、その姿が生前となんら変わらないことにも驚いた。そのうえ「久しぶりですね」とにっこり笑いかけてくる。
六郎左衛門は健康で頑丈な男だったがこれには衿もとがぞっとした。とりあえずお茶をだすと、いつかのように飲みほした。酒をだすと、やんわり断られた。
「病だと聞いて心配していましたが、元気になられたようで安心しました」
忠山は笑った。
「私は死んでいますよ。この世の命数尽きて黄泉の客となりました。しかし思うところがあり、こうして訪ねてきたというわけです。一族には肝のすわったものがなく、あなたならと思いまして。実は、戒名が気に入らないのです。住持に頼んで変えてもらいたいのです」
不思議なことがあるものだ。六郎左衛門はそう思いつつも、忠山が訪ねて来てくれたことが嬉しかった。懐かしくこそあれ、恐いとは感じなかった。
「どのような文字にしましょう」
「紙と筆をください。忠山という下の二字を、享安と直してほしいのです」
そうして忠山はしばらく寛いでいき、やがて挨拶をして立ちあがった。
見送ろうと六郎左衛門が追いかけたがもはや姿はなかった。
忠山は達筆な男で、その文字は誰も真似できない。手もとの紙に書かれた「享安」の二字は疑いなく彼の筆跡だった。
ところでこの幽霊の筆跡はいまでも六郎左衛門の家に大切に保管されているという。
忠山には煙草屋を商む半七という弟がいて、今も生きている。この話が疑わしいと思う人は弟を訪ねてみるといい。
幽霊とはなにか
幽霊って、なんなのだろう。
そんなこと、今さら細かく説明する必要もないかもしれない。幽霊を見たことのない人でも、それがなにかくらいは知っている。
それでも改めて説明するなら、幽霊とは「死者の世界に暮らし、かつて人間であったものが死んで後、人間の形をとって現れるもの」ということになるのだろう。
さらに詳しくいうなら、幽霊とは「生前の歴史とでもいうような個人的な想いを引きずっている者」と付け加えることもできそうだ。
世の中に星の数ほどもある怪談話において、幽霊が活躍する話というのは平安時代の古典のなかにすでにある。
でも白装束に額に三角の紙を貼り、だらりと両手をぶら下げて、浮かばれない顔をして柳の下に立っている、あの「日本の幽霊」のイメージは古代や平安期、説話の中にはいない。
それなら幽霊と聞いて私たちがすぐさま想像するあの恐ろしい幽霊のイメージはいったいどこからきたのだろう?
江戸からやってきた幽霊
幽霊といえども、その在り様はじつにさまざまだ。
たとえば非業の死を遂げた人がこの世に現れて祟る、怨霊。
歴史的な話をすると「怨霊」という語がはじめて見られるのは九世紀初頭頃といわれる。それなら、それ以前は怨霊がいなかったのか、というとそうでもない。
「幽霊」の語彙そのものは、本来は「死者の魂」を指すものだった。
だから恨みを抱えてこの世に現れ人を怖がらせる、という私たちの知っている幽霊とはすこしちがう。
かくいうわけで、白装束に額に三角の紙を貼りつけた日本の幽霊に会いたければ江戸庶民文化の時代を待たなくてはいけない。さらにいうなら、嫉妬深くて執念の塊のようにおどろおどろしい「女の幽霊」というのもまた、同時代の怪談文芸の流行を無視しては語れない。
幽霊の在り様は時代ごとにすこしずつ変化しているのだ。そういう意味では、今日の幽霊像のほとんどは江戸怪談の作りだした比較的新しい文化といえる。
笑ってはいけない幽霊たち
さかさまで移動する滑稽な幽霊。腰を痛めて復讐もかなわないおっちょこちょいな幽霊。どうしても戒名が気に入らなかった幽霊。こうしてユーモアあふれる幽霊たちのユニークな幽霊譚を読んでいると、けっして怖いだけではない怪談の語り口のおおさに改めて驚かされる。
それでいて幽霊たちからしてみればどの状況も深刻で、至極真面目なのだから笑ってしまう。生きている人間も大変だが、死者の側にもきっといろんな事情があるのだろう。同情しつつも、にやけてしまう。