暑い夏にひんやりする行事と言えば……。「肝試し」が思い浮かびますね。
皆さんは、肝試しをしたことがありますか?
暗がりの森など、人が恐れる場所に行かせて、度胸があるかどうかを試すこと。これが肝試しの目的ですが、その歴史は古く、平安時代に遡ると言われています。
肝試しを考えたのは誰?
さて、ここで問題です。肝試しを考えた人を下から選んで下さい。
1 安倍晴明
2 藤原兼家
3 花山天皇
答えは……。
3の花山天皇です! どうですか、意外でしたか?
では、誰が肝試しをしたのでしょう
藤原道長の栄華を中心に描かれた歴史物語『大鏡』の中に、肝試しを行う場面が出て来ます。そのため、肝試しの発想が当時からあったことが窺えます。
花山天皇が在位していた、ある闇夜のこと。花山天皇は、藤原兼家の3人の息子道隆・道兼・道長に肝試しを吹きかけました。
そして道隆は豊楽院(ぶらくいん)、道兼は仁寿殿(じじゅうでん)、道長は大極殿(だいごくでん)へ行くことを命じました。
道隆と道兼は広大な大内裏(だいだいり)をさまよう内、怪奇な物音や巨大な人影におびえて、逃げ帰ってしまいます。ところが道長だけは大極殿に到着し、証拠にと高座位の柱を削り取って持ち帰ったそうです。
お遊びの余興でも、道長は1人だけ冷静だったようですね。
しかし、こんな風に交流をしていたにも関わらず、3兄弟がその後花山天皇を失脚させてしまうとは。まさか、この時のことを根に持っていたとか? まあそれは、ないでしょうね!
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悲劇の七日関白・藤原道兼は本当に悪人だったのか?
参考書籍:『紫式部と源氏物語』メディアソフト、『日本大百科全集』小学館、『世界大百科全集』平凡社
アイキャッチ:『百鬼夜行図(模本)』ColBase