忖度のない、潔い生き方
180㎝近い長身に端正な顔立ち。日本語よりも英語が得意。上質なファッションに身を包み、スポーツカーを愛する男――。私たちが白洲次郎さんに憧れるのは、こうした表面上のかっこよさ以上に、生涯を貫いた確固たる信念と行動の強さに惹かれるからです。
明治35(1902)年、兵庫県芦屋の武家出身の資産家の家に生まれ、17歳でイギリスに渡り、ケンブリッジで英国紳士の嗜みと教養を身につけた次郎さんは、戦前の政財界の要人と密につながっていきます。
戦後、吉田茂首相の側近として日本政府とGHQとの交渉にあたるなど国の復興と独立に全力を尽くしますが、表舞台での仕事が終わると風のように野に下り、戦前に移り住んだ東京郊外の鶴川(つるかわ)の家での暮らしに戻っていったのでした。
その後も東北電力会長などの要職を務めるも、「生涯、私利私欲や名誉欲をもたない人でした」と語るのは、次郎さんと正子さんの長女・桂子(かつらこ)さんの夫である牧山圭男(まきやまよしお)さん。
「戦後の政治史の重要な出来事に関わって、ふつうの人だったら手柄顔(てがらがお)をしたいものだけれど、当時のことを話すことはほとんどありませんでした。だから、誤解される部分も多かったと思いますが、絶対に言い訳や自己弁護をしない人でした」(牧山圭男さん・以下同)
白洲次郎の基軸「プリンシプル」とは?
次郎さんの思考と行動の基軸は、イギリスで培った〝プリンシプル〟、つまり〝原理原則〟を遵守(じゅんしゅ)することでした。
「日本語でわかりやすく言うと〝筋を通す〟ことだと、次郎はよく話してくれました。〝プリンシプル〟が第一にあって、それに反するのは正義じゃない。自分の給料を半分にしたりして、潔さがあるのはいいけれど、周りの人にも同じような高潔さを求めることになるから、困る人も多かったでしょうね。でも、今の世の中を見ていると、次郎のような人物がいたことを多くの人に知ってもらいたいとも思います。矛盾しているようですが、『政治家も経済人もポーズが足らんよ』ということもよく言っていました。自分の行動をわかりやすく理解してもらうためには演出することも必要だと。こうしたバランス感覚に長(た)けていた人でした」
次郎さんの言葉にはシニカルさを内包したユーモアもあったといいます。「ユーモアは英国紳士の必須条件ですからね。次郎のユーモアには、物事の本質や相手の内側を見透かしたような鋭い視線が込められていました」
「プリンシプルを持って生きていれば、人生に迷うことは無い。プリンシプルに沿って突き進んで行けばいいからだ。そこには後悔も無いだろう」
次郎がプリンシプルを体得したのは、英国・ケンブリッジで学んだ経験が大きい。試験で「君の答案には君の意見がひとつもない」と酷評されて発奮した次郎。「ケンブリッジで啓蒙(けいもう)され、自己を磨き、プリンシプルを身につけていったのだと思います」
白洲次郎、正子の面影を訪ねることができる「旧白洲邸 武相荘」
住所:東京都町田市能ヶ谷7-3-2
電話:ミュージアム042-735-5732 レストラン042-708-8633 ショップ042-736-6478
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
休み:月曜(祝休日は開館)、夏季・冬季休館あり
メール:info@buaiso.com
公式サイト:https://buaiso.com/
※レストラン、ショップゾーンは入場無料 ※団体での訪問は、あらかじめ予約のこと
アイキャッチ画像:左/1920年代後半、爽やかな笑顔が美しい20代の次郎。正子と出会ったころは、英字新聞「ジャパン・アドヴァタイザー」の記者をしていた。右/昭和26(1951)年、東北電力会長に就任したころ。同年8月、首席全権委員顧問として吉田茂首相らと渡米し、9月のサンフランシスコ講和条約調印に立ち会う。
協力/牧山圭男、牧山桂子 写真提供/旧白洲邸 武相壮 撮影/小池紀行 構成/高橋亜弥子、吉川 純(本誌)
※本記事は雑誌『和樂(2024年6・7月号)』の転載です。
出典・参考文献/『プリンシプルのない日本』白洲次郎、『風の男 白洲次郎』青柳恵介、『白洲家の日々 娘婿が見た次郎と正子』牧山圭男、『次郎と正子 娘が語る素顔の白洲家』牧山桂子(以上新潮文庫)、『白洲次郎の流儀』(新潮社)、『白洲次郎』(平凡社)、『白洲次郎 一流の条件』(宝島社)