世に奇妙な病は数知れず。とはいえ、診察の結果が「虫っぽいもの」なんていうのは納得できない。そのうえ医者が「うーむ。この虫は鬼属性ですねぇ」とか意味の分からないことを言いだしたら、セカンドオピニオンでもと考えたくなる。
ところが、江戸時代には虫を起因とする病がいくつもあった。当時はごくありふれた虫の病だが、今日日おなじみの寄生虫とはかなりちがう。古の医書に記載されているのは、見たこともない異形の姿の虫たちだ。そんな虫病のひとつに「伝尸病(でんしびょう)」なるものがある。人の体の中に住む虫が悪さをするのだという。伝尸病はまた、伝屍病とも呼ばれた。屍の字が不吉な雰囲気を漂わせるが、じっさい、文字通り不幸な病だった。
奇病奇譚〈伝尸病〉
中国の『大平広記』に、伝尸病を伝える話がある。
とある漁民の妻が伝尸病にかかってしまった。死ねば伝染することもないだろうと妻は生きながら棺に入れられ、海へと流された。流れ着いた先にはべつの漁民が暮らしていた。漁民が怪しく思って棺を開けてみると、中には痩せた女が一人横たわっている。憐れに想い、養うことにした。ここは漁村なので、魚ばかり食べていたら女の病はいつの間にか治ってしまった。やがて女は漁民の妻になったという。
この古い話から分かるのは、伝尸病が人に伝染する病であるということ。治らないとされていたこと。そして、なぜか魚を食べると治るということだ。難病なのか滑稽話なのか、どうにも妙な話だが当時の人が伝尸病を警戒していたことだけは分かる。
伝尸病についての記載は『大平広記』だけでなく鎌倉後期の宮廷医や僧医が著した『医談抄』や『医家千字文註』など、日本と中国に数多く残されている。伝染経路も治療法も明らかにされていない時代である。患者も家族もさぞ恐ろしかったにちがいない。
伝尸病という病
苦しむ患者たちを前に、医者だって手をこまねいていたわけではない。
蘆川桂洲著の病名辞典『病名彙解』によれば、伝尸病とは「人の腹中ニテ臓腑ヲクラフ虫」であり「身近キ親類ニヒタモノウツリテ」、「一家ヲツクシテ死スルノ病」なのだという。ヒタモノとは、むやみにとの意味。記述の通りなら、伝尸病の原因となる虫は、人の腹に住み、他人に伝染し、一家を死に至らしめるほどの強者らしい。また、鎌倉時代の写本とされる『伝屍病肝心鈔』には「身心熱悩ニシテ漸々ニ乾痩」とあるから、発熱と体重の減少もあったとみられる。
この病は、死に至ろうとしているまさにその時こそ、警戒しなくてはいけない。室町時代の『類証弁異全九集』には、虫は死の瞬間に病人の穴(口、鼻、肛門など)から飛び出し、近くにいる人の腹中へ侵入するとある。虫は人の体から体へと、まさに本物の虫のように移動するのだ。病人が亡くなった後も油断はできない。たとえ病人が死んでも、虫のほうは生きている限り伝染(すなわち移動)しつづけるからだ。病の根を絶つためには虫を殺さなくてはならないと清代の『労瘵秘録』(成立年不詳)に記されている。
鬼が体の中で虫になる?
生きながら人を苦しめ、死してなお人を苦しめる。人をそこまで追いつめる虫の正体が気にならないはずがない。そしてこれこそ伝尸病が奇怪な理由でもある。じつはこの病、鬼が引き起こしているというのだ。
虫によって引き起こされるという伝尸病だが、先に述べたように、虫といってもありふれた「虫」ではない。そもそも伝尸病の「尸(し)」とは、鬼の性格を持った虫のこと。そして鬼というのも、角の生えたあの有名な異形の生きものとはべつものだ。「鬼」とは、中国では死者の霊のこと。日本で言われるところの「邪気」に重なる概念で、それが体に入って悪さをするのが伝尸病らしい。
鎌倉時代の『医談抄』にも「伝屍病ハ、鬼ノ住スル病ナリ」と、鬼の存在がきちんと明記されている。この書を編者した惟宗具俊(これむねぐしゅん)は医家の人だが、彼は伝尸病を鬼が人の体を占拠することで引き起こす病だと認識していたのだろう。鬼とも虫ともいえる形のあるような、ないような、不可思議な病因。そんな病にたいしてどのような治療法が有効なのかはとりわけ気になるところ。
特効薬は謎の魚?
『大平広記』に登場した漁民の女性は魚を食べて回復したというけれど、魚ならなんでも効くのかと思えば、そうではないらしい。おそらく、魚に含まれる成分や栄養素は関係ないのだ。それなら件の女性はなぜ治ったのか。どうやら伝尸病には「鰻鱺魚」なる魚が有効らしい。
見てのとおり、鰻鱺魚は鰻にもドジョウにも似た魚で、この魚には「虫」を殺す効能があるのだという。鰻鱺魚を焼いた煙は蚊をいぶし殺すと伝わるので、伝尸病のほかにも駆虫薬として使用できる。私はこの魚が、どの辺りに棲息しているのか知らない。触ったこともなければ、もちろん食べたこともないので味は分からないが、見た目は鰻にとても似ているので蒲焼にすると美味しいと思う。
魚が見つからなくても大丈夫。ほかにもある治療法
とは言え、いざというときに魚が見つからない可能性もある。腹に虫を住まわせて、のこのこと漁に出るというわけにもいかないだろう。そういう人には、べつの治療法がある。難病のイメージの伝尸病だが、対処の仕方は思いのほかいろいろあるのだ。
修法の方法などを記した『青色金剛』には、覚円なる僧が伝尸病を治したとの記述がある。この書によると、覚円在世の時代に伝尸病が流行し、多くの人が亡くなったのだという。そこで覚円が修法を修したところ病む者はいなくなったとか。
肝心の法については明らかにされていないのだけれど、青面金剛というのはもともと病を流行らす悪鬼で、それが後に病魔を駆逐する善い神になり、さらに青面金剛には伝尸病の予防治療を祈る修法があるとかで江戸時代になると庶民に広がって多数の庚申講がつくられるようになったという経緯がある。だから、おそらく密教的な呪術によるものではないかと私は想像するのだけれど、そのためには僧を連れてこなくてはならないので、この方法はちょっと難しいかもしれない。
ということで、べつの対処法。
とにもかくにも原因となる虫を駆逐できればよいのだ。中国の『太平聖恵方』には「天霊蓋散方ヲ服用スベシ」という記述がある。この「天霊蓋散」を服用すると赤虫か白虫(どちらも病因)を吐き出すそうで、そのうちの「赤虫ヲ吐キ出テ」さらに「鬼ノ哭クヲ夢見バ」治るのだという。でも、そんな都合よく赤虫だけ吐き出せるものなのか。天霊蓋散がどこに行けば手に入るのか、どこの誰が製造し、売っているのかまでは私にも分からない。
伝尸病とは肺結核のことだった?
ところで、伝尸病の病症をまとめてみると思い当たることがないだろうか。発熱、体重の減少、身近にいる者たちにむやみやたらに感染するというのは肺結核の症状と重なるのだ。とはいえ伝尸病の病症には「失意狂乱」とか「心ロ驚ギ」のような精神症状もあるので、おなじ病とは言い切れない。
中国医書には鬼が引き起こすという鬼病がさまざまに登場し、人びとを苦しませていたことを伝えるが、現代人からすれば、どの病も対処法もまじない的に思えるだろう。うさんくさいな、と思ういっぽう、当時の病観は私たちに大切なことを思い出させてくれる。つまり、本来、心と体はひと続きであるということ。人の「からだ」の隅々にまで目を凝らした彼らの眼差しは、もしかすると現代人以上に鋭かったかもしれない。
【参考文献】
長谷川雅雄、辻本裕成、ペトロ・クネヒト、美濃部重克『「腹の虫」の研究―日本の心身観をさぐる―』 南山大学学術叢書、2012年
日本の石仏 №98「青面金剛進化論」2001年
美濃部重克(編)「医談抄(伝承文学資料集成 第22輯)」三弥井書店、2006年