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2024.12.16

「近松の意図がようやくわかるように」竹本織太夫『曾根崎心中』を語る【文楽のすゝめ 四季オリオリ】第7回     

『曾根崎心中(そねざきしんじゅう)』のタイトルを聞いたことがある人は、多いのではないでしょうか。近松門左衛門が江戸時代に、人形浄瑠璃の劇場であり劇団である「竹本座」のために書き上げた名作を、時を経てただいま東京にて公演中です。本公演では初めて「天満屋(てんまや)の段」を勤める竹本織太夫さんに、太夫ならではのお話を伺いました。

実話を元にハイスピードで書き上げた作品

——今回織太夫さんが語られる『曾根崎心中』は、お初と徳兵衛という若い男女が心中するとても切ないお話です。

竹本織太夫(以下織太夫):この作品は実話が元になっているのですが、実際は「天満屋」の遊女お初は21歳ごろで、醤油屋で働く徳兵衛は25歳。近松門左衛門はお初の年齢を19歳にして、2人が共に厄年という劇的な効果を狙ったようです。「今年はこなさんも二十五歳の厄の年、私(わし)も十九の厄年とて」とお初の詞(ことば)にも出てきますね。

——初演は元禄16(1703)年、大坂竹本座だそうですが。

織太夫:これは詳細に調べあげられた資料に残っているのですが、心中事件から2週間で書き上げて、1か月後には公演を行っています。近松は竹本座の座付き作家だったのですが、切羽詰まった事情があったのです。

——それはどのようなことですか?

織太夫:竹本座は旗揚げ以来経営が行き詰まっていて、負債を抱えていました。それまでは浄瑠璃には時代物※1のジャンルしかなくて、そうすると上演時間が長く登場する人物も多くなり、人形の衣裳も鎧(よろい)など経費もかかる。『曾根崎心中』は登場人物も少なく、上演時間も長くない。当時の町の人々が登場するので、衣裳も普通の着物を人形に仕立てるだけで良く、むしろ着古した着物地の方がリアルになります。そして時代物を続けてきたことから、観客の高年齢化の問題もありました。19歳の女の子を主人公にすることで、若い女性が劇場に足を運ぶようにと図ったのです。

——その狙い通りに若い女性客が大勢入って、成功したのですね。

織太夫:つい最近起こった三面記事のような事件を扱って、新たに当時の現代劇として描いたのが『曾根崎心中』で、世話物※2という新しいジャンルを生み出したのです。

(※1)作品の時代を江戸時代より以前の時代に設定した演目のこと。
(※2)作品の時代を江戸時代の町人世界に設定した演目のこと。

心中事件が多発して上演が途絶えた?

——せっかくヒット作を生み出したのに、その後中断したそうで。

織太夫:『曾根崎心中』が流行して、その後心中物もできたのですが、若者が感化されてどんどん心中してしまうようになったのです。対策として幕府は心中物を上演禁止にして、心中禁止令という法令まで作ったんですよ。心中した2人は葬式を出すことも許されない厳しい内容だったこともあって、上演が途絶えてしまいました。

——途絶えたのには理由があったのですね。

織太夫:いま文楽で上演している『曾根崎心中』は、昭和に入ってから復活したものです。当時は近松の丸本※3も完全な形のものが見つかっていない中、歌舞伎で復活上演したのが大当たりとなったので、その後昭和30年に文楽に戻して上演したスタイルが現在も続いています。復活上演の「天満屋の段」は、八代目竹本綱太夫が勤めました。原曲も失われていたので、新たに作曲をしてよみがえらせたそうです。おそらく初演時は三味線も、もっとシンプルな曲だったのではないでしょうか。

(※3)浄瑠璃の全文が載っている本。

『霜釖曽根崎心中 天満屋おはつ・平野屋徳兵衛』 一陽斎豊国画 国立国会図書館デジタル

——それは、どうしてでしょうか?

織太夫:近松の時代には、院本(丸本)に入っている黒朱はありましたが、今のような三味線の手を譜面に書き込まれている朱※4というものは存在しなかったのです。三味線の朱は初代鶴澤清七(つるさわせいしち)が考案されたのです。それまでは三味線は検校(けんぎょう)※5が担っていたということもあって、文字で表して、楽譜として残すことができなかったのでしょう。すべて耳で覚えて伝えていく方法しかなかったので、どこかで上演が途切れてしまうと、わからなくなってしまったんです。

——朱が考えられたことで、曲を複雑に進化させることができ、それを後世に伝えていくことができるようになったのですね。

(※4)三味線の旋律や強弱などを「いろは」の文字を使って表す記号。床本に朱色で入れる。
(※5)盲人の最高の官位。三味線、琵琶、箏曲などの職業についた。

世話物は人間修業が必要

——「天満屋の段」を本公演で語られるのは、初めてだそうですね?

織太夫:先程もお話しましたように、昭和の復活の際に天満屋を語ったのは、八代目綱太夫です。作曲はもちろん野澤松之輔師匠なんですけども、「演奏者の希望を聞いた」ということで、復活初演の八代目綱太夫・十代目弥七※6のふたりが作り込んだ作品でもある訳です。綱太夫家の人間が代々大切にしてきた段ですので、師匠が亡くなられた年に、本公演で勤めさせていただくのは、感慨深いですね。太夫の修業を本格的にするようになって20年ほど経った頃、「世話物を勉強したい」と師匠にお願いをしましたが、「世話物は人間修業が必要だから」と語らせてもらえませんでした。

——それだけ年月が経っていてもですか…。

織太夫:確か18歳か19歳の時に初めて『曾根崎心中』の天満屋の段を語る師匠に付かせていただきましたが、住太夫師匠※7から、「名人のテープを聴いてもな、わしが聴くのと、お前が聴くのは違うんやで。実力分しか聴き取られへんのや」と言われました。今なら本当にその通りだとわかりますが、当時は若かったので、反発する気持ちもありましたね。師匠方が語っていたこの言い方は、こういう意味があったのかと、後になって効いてくるというか。この経験は貴重だと思っています。

(※6)10代目竹澤弥七、8代目綱太夫の相三味線を長年勤めた。
(※7)7代目竹本住太夫、文楽界初の文化勲章を受章した。

40代後半になって、近松の思いがようやくわかるように

——「天満屋の段」は、お初と徳兵衛が心中を決意し、死出の旅立ちをする場面です。遊郭の日常を描きながら、軒下で徳兵衛がお初の足に喉元を当て、お互いに死を決意する場面がクライマックスとなりますが、どのように思って語っておられるのですか?

織太夫:私は登場人物の詞(台詞)をどう立体化させるかしか考えていなくて、感情を入れずに感情を聞こえさせる、観客に伝えるのがプロだと思っていて。近松の芸論で「虚実皮膜(きょじつひまく)」という言葉がありますけど、事実と虚構の微妙な間に芸術の真実があるとする考え方なんですね。私は物語が悲惨であればあるほど、感情移入をするのではなくて、華やかに明るく語ろうとしていますね。

織太夫:三味線の鶴澤清介さんから「あんたは40過ぎたら近松さんの考えていることや表現が、芋づる式にわかるようになるで」と言われていましたが、最近ようやく私もわかるようになった気がします。考えても考えてもわからなかったことが、不思議なのですが…。清介さんの言葉を借りると、「1つわかると芋づる式にバーッと上から降ってくる」ようになりました(笑)。

今回の公演で目標としていること

——今回、三味線は鶴澤藤蔵さんが勤めておられますね。

織太夫:藤蔵兄さんは九代目竹本源太夫(五代目織太夫、九代目綱太夫)の御子息さんで、本公演で2回勤めてらっしゃいます。お初に横恋慕している油屋九平次が天満屋へやって来たときに、「煙管(きせる)とり出し吸ひ付けの、煙草の煙(けむり)輪に吹いて」という詞章(ししょう)があるのですが、「おやっさんが語ったときに、ふぁーっと白い煙が見えるようにやってたで」とお聞きしました。今回の公演も、そんな風に語りたいと思っております。ここでは実際に煙草の煙を吐くように、ポッと息を上に向かって吐き出すんですよ。お客様にはそんなところにも注目してもらえると嬉しいですね。

「やんちゃな子を関西では権太(ごんた)と言いますが、『義経千本桜 すし屋の段』のいがみの権太から来ているんですよ」。休憩時にもこんな雑学を披露。

織太夫:書かれていることをそのまま語るのではない、その裏の裏を考える。今の私が目指さないといけないのは、床本に書かれていない表現ですね。最後に暗闇の中をお初と徳兵衛はひそかに出て行く訳ですが、同じ空間にいて気づいていない女中のお玉は、寝ているのを起こされて「旦那様(だなはん)何ぞ用かいの」とつぶやく。その間とかね。世話物は特に、詞章が書かれていない間が大事ですね。

近松の作品に悪人はいない

——物語にはとんでもない人!と思う人物も登場しますね。

織太夫:近松は「浄瑠璃に悪人なし」という言葉を残しているのですが、近松が描こうとしたのは西洋的な勧善懲悪な作品ではないと思います。徳兵衛を陥れて、金の力でお初を我が物にしようとしている九平次のことも、私はあまり悪人にはしていないのですよ。「コレこの九平次が可愛がる。ナウそなたも俺に、へ丶惚れてぢやげな」とお初に言い寄るところは、嫌な言い方にしていますけど、ちょっと嫌なやつという感じで。

——悪役ではあっても表現豊かに語られると、そこに人間味が出るのですね。

織太夫:九平次はやっかみがある訳ですよね、仕事も恋愛もうまくいっている徳兵衛に対して。一方の徳兵衛は陥れられて、お初に切々と状況を訴えて共に死を選ぶ。登場人物全員が心の弱さから行動していると思います。やっていることは悪かもしれないけれど、皆が一生懸命に生きていて、誰も悪くない。これは「天満屋の段」を語って、初めて実感としてわかったことです。

インタビュー・文/瓦谷登貴子 撮影/篠原宏明
取材協力/DOWN THE STAIRS

竹本織太夫さん公演情報

国立劇場第229回文楽公演
令和6年 12月公演『曾根崎心中』第3部に出演

※第1部は『日高川入相花王(ひだかいりあいざくら)』、『瓜子姫とあまんじゃく』、『金壺親父恋達引(かなつぼおやじこいのたてひき)』
※第2部は『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』、『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』
■期間:2024年12月4日(水)~12月13日(金) 江東区文化センター(東京メトロ東西線「東陽町駅」1番出口から徒歩5分
2024年12月17日(火)~12月19日(木) 神奈川県立青少年センター(紅葉坂ホール)(JR根岸線「桜木町」北改札西口から徒歩8分)
※9日(月)は休演
■開演時間:第1部 午前11時開演(午後1時40分終演予定)
第2部:午後2時30分開演(午後5時50分終演予定)
第3部:午後6時45分開演(午後8時25分終演予定)
■観劇料:1等9000円(学生6300円)、2等8000円(学生5600円)

公演の詳細な内容:日本芸術文化振興会
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2024/612/
チケットの申し込み:国立劇場チケットセンター
https://ticket.ntj.jac.go.jp/

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竹本織太夫

竹本織太夫(たけもと おりたゆう)人形浄瑠璃文楽 太夫。1975年生まれ。大阪市出身。大伯父は四代目鶴澤清六。祖父は二代目鶴澤道八。伯父は鶴澤清治、実弟は鶴澤清馗。1983年、8歳で豊竹咲太夫に入門。初代豊竹咲甫太夫を名乗る。1986年、10歳で国立文楽劇場小ホールにて初舞台。2018年六代目竹本織太夫を襲名。実業之日本社から『文楽のすゝめ』シリーズを3冊既刊。NHK Eテレの『にほんごであそぼ』に2005年からレギュラー出演するなど多方面で活躍。国立劇場文楽賞文楽優秀賞等受賞歴多数。
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