筋金入りのとらやさん贔屓!!
織太夫さんがSNSでも頻繁にご紹介されている「とらや 赤坂店」は、青山通りに向かって、まるで扇を広げたような印象的な建物です。ハイセンスなガラス張りの外観と、入り口にかけられた「とらや」の暖簾がマッチしています。
「朝食には、こちらのあんペーストをつけてパンを食べていますし、忙しくてランチを食べ損ねた時に、舞台のあと夕飯までの間にとらやさんで小倉汁粉とお抹茶をいただくこともありますね」。織太夫さんにとってとらやは、欠かせない大切な存在のよう。7年前の竹本織太夫襲名時には、オリジナルの箱を製作して「夜の梅」を収めたものを、お配りしたそうです。
季節の生菓子「あこや」を選んだ訳
季節ごとに店頭に並ぶ生菓子も、全て制覇するほどの織太夫さんが取材日にリクエストされたのは、「あこや・緑台」。この生菓子は関西を代表する雛菓子のひとつで、「引千切(ひちぎり・ひっちぎり)」「いただき」とも呼ばれるそうです。緑の部分はあんに小麦粉や米粉を入れて蒸した羊羹製という生地。小倉あんを載せ、阿古屋貝(あこやがい)が真珠を抱いた様子を表しています。
「どうしてこの生菓子を選んだかといいますと、昨年の大晦日にこちらのお店で、尾上菊之助さんとご家族とで年越しそばをいただいたからです。そして年が明けてからは、菊之助さんが持たせてくださった花びら餅をいただいていました。ちょうど今歌舞伎座では『壇裏兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)阿古屋』を上演していて、菊之助さんは秩父庄司重忠(ちちぶのしょうじしげただ)の役で出演中です。ですからエールを送る気持ちであこやにしました」
あこやに合わせた色味のスーツ姿の織太夫さんに、召し上がられた感想をお聞きしました。「芝居にも季節感があるように、とらやさんでは節気でお伺いさせていただいております。まさに四季折々(笑)の、生菓子を頂戴にあがっております。この度も今しか食することができない『あこや』を美味しくいただくことができて幸せですね」
『妹背山婦女庭訓』初演にまつわるエピソード
織太夫さんはちょうど、東京公演の真っ最中。取材の前日に拝見した公演の興奮が覚めやらぬ状態で、お話を聞きました。上演中の『妹背山婦女庭訓』は、明和8(1771)年に、大坂・竹本座で初演されました。人形浄瑠璃黄金期を支えたと言われる近松半二(ちかまつはんじ)ほかによる合作です。この竹本座には、様々な人間模様が絡む出来事があったようです。織太夫さんに紐解いていただきました。
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道頓堀に「竹本座」という碑がありますよね。TSUTAYAとスターバックスの左隣に。言うまでもなく、あそこに竹本座があったんですけども、じゃあ竹本座っていつまであったと思います? これややこしいんですよ。というのも、竹本座って劇場のことでもあり、劇団のことでもあるんですよ。
どうやら明和5(1768)年竹本座(劇団)が道頓堀の竹本座(劇場)から去り、竹本座(劇場)が歌舞伎に貸し出されてしまったと。この時まで竹本座はあったとされているわけですね。これを学術用語で「退転」と言うらしいんですけども、でも退転ってあまりいい言葉ではないですよね。以降も、竹本座(劇場)で竹本座(劇団)が公演することはあるわけですから。『妹背山婦女庭訓』も竹本座(劇場)で上演されています。
じゃあなんで竹本座(劇場)はなくなってしまったのかというと、座本(ざもと)である竹田家の没落です。日本史に詳しい方ならご存知かもしれませんが、明和4(1767)年に家質奥印差配所設立に端を発する「家質騒動」というのがありました。打ち壊しにまで発展するんですよ。これに竹本座の座本である竹田家が絡んでいたということで、民衆の敵になるわけです。それを皮肉った『染模様妹背門松』が大当たりをとるわけですが。
と、経営者のお家騒動で竹本座(劇団)は劇場を失ってしまった。一方この頃、竹本大和掾(やまとのじょう)と二代目政太夫が相次いで歿(ぼっ)し、竹本座の紋下(もんした・一座の代表者)に誰がなるのかという争いが竹本座(劇団)の中で起きていました。この紋下争いと竹本座退転が合わさり、竹本座(劇団)が二つに分裂することになります。その中でも、まず明和5(1768)年9月に初代竹本染太夫と二代目竹本島太夫が道頓堀竹本座で公演をします。この時に「座本 竹本茂太夫」という架空の人物の名前を記し、竹本義太夫の名前を外したわけです。しかし、この公演は一度きりで、染太夫と島太夫は別れます。11月には初代竹本綱太夫が阿弥陀池で座本として竹本義太夫座を再興します。竹本義太夫座を再興した座本なので、「竹本義太夫座再興座本」とこの時上演した演目を出版した本や絵尽くしに書かれています。「再興」の意味は竹本座の再興でもあり、竹本義太夫の名を掲げずに公演をした初代染太夫らに対する非難の意味もあったのでしょう。「竹本綱太夫座」とも、この頃の公演を記録した本にも書かれています。ここには初代竹本春太夫や三代目竹本政太夫といった人たちが参加していました。初代綱太夫は座本ですが、一座のトップである紋下には先輩である初代春太夫がついていました。
翌明和6(1769)年1月には道頓堀角の芝居で初代染太夫も「座本 竹本義太夫」を掲げます。こうして「竹本義太夫座再興」を掲げる阿弥陀池の初代綱太夫と初代染太夫が対立しながら、竹本座(劇団)は活動を続けます。阿弥陀池の「竹本綱太夫座」は同年12月の染太夫側の『近江源氏先陣館』に綱太夫が参加するまでは続いたんですが、結局は役揉めをして綱太夫は染太夫側と再びすぐ離れたりと、なかなか難しい状況が続いていたようです。特に両方の紋下である春太夫と染太夫は共演をしていなかったわけです。
その中で、明和8(1771)年1月に敵対していた染太夫と春太夫が同じ床に並ぶのではなく、劇場の両側に床を設置して、両床の形で掛け合いという形で和解公演となったのが、『妹背山婦女庭訓』の三段目の山の段なわけです。あらすじを思い出して欲しいんですが、不和な大判事家と太宰家の子ども同士が愛し合っていて、不幸な結末を迎えるわけですけども、和解の上で相舅同士として、嫁入りをさせるわけじゃないですか。日本版ロミオとジュリエットと言われますけども、そこだけじゃなくて、対立していた竹本座(劇団)トップ同士が「親々の積もる思ひの山々は解けて流れて吉野川」と語る訳ですよ。絶妙な仲直りだと思いませんか? いきなり同じ舞台じゃなくて、両側から相手側へ語る…。伯父鶴澤清治の言葉じゃないですけど、喧嘩と言えば喧嘩ですよね(笑)。でも、ちゃんと話の筋からも仲直りになるわけですよ。
こうして山の段の両床を見ると、違う景色が見えてきませんか? 『なんでこの段だけ両床なんか知ってる?』ってちょっと人にも話したくなりますよね。客席が吉野川に見立てられているわけですけど、あんまり近いと一触即発になっちゃうんじゃないかな?とか(笑)。でもそれは250年以上前のお話だと思われるかもしれないんですけども、ここが人形浄瑠璃文楽の凄いところで、250年経った現在も背山は染太夫風、妹山は春太夫風と初演のお二人の語り口が引き継がれています。そのままというのは言い過ぎですが、初演の和解公演の雰囲気を今回の舞台で味わうことができます。
この和解公演が一体どういう経緯だったのか詳細は不明なんです。ちなみに、初代綱太夫は「芝六忠義」と「鱶七上使(ふかしちじょうし)」を語っています。「芝六忠義」の端場(はば・一場の筋の発端となる部分)「万歳」は染太夫が。「鱶七上使」は春太夫の語った四段目切(金殿など)の直前の切り場にも匹敵するような重い場面ですから、やはり私としてはそこに初代綱太夫の仲介があったんじゃないかと思いたいところです。
『妹背山婦女庭訓』は、このような内容です。
藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が蘇我入鹿(そがのいるか)を討った史実に、大和(やまと)地方に残る古伝説を織り交ぜた物語。王朝物の傑作とされ、敵同士の悲恋を描く場や、鎌足の子・淡海(たんかい)に恋するお三輪の悲劇の場は有名。文楽だけではなく、歌舞伎でもよく上演される人気曲。
くろごちゃんファンドであつらえた裃
織太夫さんが登場される「道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)」の始まりは、舞台上に浅黄幕(あさぎまく)※1がかけられ、ずらりと並んだ太夫三味線の演奏で始まります。まず耳から情報が入ってくるので、想像が膨らみ期待が高まります。薄いグレーの揃いの裃は、新調されたばかりだそうです。これは、くろごちゃんファンド(国立劇場基金)の寄付により、作られたものなのだとか。「今年の国立文楽劇場、初春公演『仮名手本忠臣蔵』「道行旅路の嫁入」で初めて着用されましたが、東京の公演では初お披露目ですね」
くろごちゃんファンドによる裃新調の詳しい内容は、コチラ
浅黄幕が切って落とされると、舞台は「布瑠の社(ふるのやしろ)」と呼ばれた現在の石上神宮。参道の灯籠が灯された夜の道行は、橘姫を追ってきた求馬(もとめ)と、その求馬を追ってきたお三輪との恋の駆け引きが展開されます。橘姫を語る織太夫さんは、「普通の女性ではなくお姫様で振袖を着ていますので、そこは意識していますね。語る時には、赤姫※2で袖を振っていることを考えて語っています」。三角関係を描いていますが、3人の人形が演奏に合わせて舞う姿は優美です。「以前に歌舞伎座で、人形振りの舞踊として上演されたことがありましたね(2001年12月)。お三輪役は坂東玉三郎さん。橘姫は中村福助さんで、求馬役は当時勘九郎を名乗っておられた、十八代目中村勘三郎さんでした」
(※2)赤色の綸子に金銀や色糸で刺繍をほどこした豪華な打掛・振袖姿の姫役の総称。
現代のダークファンタジーにも通じる「金殿の段」
織太夫さんは、通し狂言のクライマックスである「金殿の段」を、鶴澤燕三(えんざ)さんの三味線で語られます。ここまで明かされなかった謎が解明され、また町娘のお三輪が入鹿の御殿に迷い込み、急展開するドラマチックな場面です。求馬に会いたい思いだけでやってきたお三輪は、官女たちからいじめられて、最後は悲劇的な結末へ。
「蘇我入鹿は白い牡鹿の生血を飲んだ母から生まれたので名前に鹿が入っていて、特別な力を持っています。この超人的な敵を倒すには、爪黒(つまぐろ)の鹿の血と疑着(ぎちゃく)の相※3のある女の生血を混ぜて笛に注いで吹くしかない。そうすると入鹿は正体を失うのですが、よくできた設定だと思いますね」。まるで現代のアニメやコミックで表現されているダークファンタジーのような物語が、すでに江戸時代に発表されていたことに驚きます。
お三輪の感情が頂点に達する語りと、リンクする人形の動き
豪華絢爛な時代物の作品ですが、お三輪だけは他の登場人物とは違った印象を持ちました。現代を生きる私たちが、つい感情移入してしまう役柄です。織太夫さんにお尋ねしてみると…。「他の大きな人形は、デフォルメが効いた時代物らしい表現ですよね。でもお三輪は、自分の感情を表に出しているからではないでしょうか」。ああ、確かに! お三輪の感情が、人形遣いの桐竹勘十郎さんの動きと織太夫さんの語りから伝わってきました。
お二人の息はぴったりなのですが、細かい打ち合わせなどは、されていないのだそうです。お三輪が官女たちから散々な目にあわされて、その感情が爆発する瞬間は、リアルで胸に迫ります。「勘十郎さんから舞台稽古の時に『何回目で爆発しますか?』と聞かれて、『3回目です』と答えましたが、それだけですね。人形が手を打つ仕草があるので、そのタイミングを合わせる必要がありますので」。お三輪が『胴欲(どうよく)ぢゃ』の詞(ことば・台詞)を繰り返して、やがて頂点に達する感情と人形の動きは、まさに生きていると感じられました。
「『胴欲ぢゃ』の詞は、三味線の音に乗って言うのではなくて、自分のなかでお三輪の心情になって語っています。最初はつぶやくように、独り言のように。最後は感情の爆発ですので、合点がいっていないと、とても発せられませんね」。この場面にたどり着くまでの、お三輪の気持ちを積み上げて、そして表現される感情の吐露。善悪では判断できない物語の結末は、是非生の舞台で味わっていただきたいです。
インタビュー・文/瓦谷登貴子 撮影/篠原宏明
取材協力/株式会社 虎屋
竹本織太夫さん出演情報
国立劇場第230回文楽公演 吉田和生文化功労者顕彰記念
令和7年2月公演・通し狂言『妹背山婦女庭訓』第3部に出演
■期間:2025年2月20日(木)~2月26日(水) 文京シビックホール 大ホール(東京メトロ丸ノ内線・南北線「後楽園駅」直結、都営地下鉄三田線・大江戸線「春日駅」直結、JR中央・総武線「水道橋」から徒歩約10分)
■開演時間:第1部 午前11時開演(午後2時10分終演予定)
第2部:午後2時30分開演(午後5時10分終演予定)
第3部:午後6時開演(午後9時終演予定)
■観劇料:1等9000円(学生6300円)、2等8000円(学生5600円)
公演の詳細な内容:日本芸術文化振興会
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2024/72/
チケットの申し込み:国立劇場チケットセンター
https://ticket.ntj.jac.go.jp/
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とらや 赤坂店
住所:東京都港区赤坂4ー9ー22
営業時間:9:00~18:00(平日)、9:30~18:00(土日祝)
休業日:毎月6日(12月を除く)
※「虎屋菓寮」の営業時間は11:00~17:30 ラストオーダー17:00(ランチタイム 11:00~14:00)
休業日は毎月6日(12月を除く)
公式サイト:https://www.toraya-group.co.jp/shops/shop-5