新年の華やかさを感じるしつらえ
新年を迎えた初春公演は、劇場の入り口には門松が飾られ、中へ入ると様々なお正月のしつらえ※1があるので特別な気分が味わえます。
まず劇場の緞帳(どんちょう)の上には、大きな2匹の鯛の飾りが向かい合っているのが目を引きます。これはお正月の縁起物の『睨(にら)み鯛』で、公演初日には黒門市場から本物の鯛が贈られました。間には今年の干支である『己』の文字が描かれた巨大な凧がありますが、赤穂大石神社宮司の飯尾義明さんが揮毫されたものです。
そして太夫と三味線が演奏する床の上部には、お正月のしめ縄があり、演者が登場するまでは鏡餅が置いてあるのも新春ならではです。
『新版歌祭文』を書いた近松半二とは?
織太夫さんが出演されている『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)』は、江戸中期の浄瑠璃作者・近松半二(ちかまつはんじ)が書いたものです。父は穂積以貫(ほづみいかん)という儒学者で、学者家系でありながら浄瑠璃作者になった異色の経歴の持ち主。近松門左衛門に私淑(ししゅく)していたことから、近松半二と名乗っていました。「父が儒学者の影響からか、知識が豊富だったのでしょうね。代表作の『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』※2など、作品の完成度の高さを感じます」と織太夫さん。
恵まれた環境にいながら、放蕩生活の後に二代目竹田出雲(たけだいずも)※3に入門し、出雲の死後は竹本座※4の中心的な作者となって活躍しました。謀反人を主人公に、国家の転覆を狙うようなアウトサイダーな表現で当時の人々を熱狂させましたが、『新版歌祭文』はそれらの作品とは趣が異なります。「このような作品も手がけていたのかと、驚きますね。幅が広いというか、すごい才能だと思います」。実際にあった油屋の娘お染と丁稚・久松(ひさまつ)の心中事件を題材にしていますが、先行作品とは違い田舎の純朴なおみつを登場させて、物語に変化を与えています。
(※3)江戸時代の浄瑠璃作者。初代の父を継いで座本として経営や演出に手腕を発揮。浄瑠璃の最盛期をもたらした。
(※4)初世竹本義太夫が、大坂道頓堀に創設した劇場。
『新版歌祭文』は、このような内容です。
没落した武家の子・久松は、乳母の兄である野崎村(のざきむら)の久作(きゅうさく)に育てられますが、世間を知るためにと油屋で奉公人として働きます。ところがあろうことか、奉公先の油屋の娘お染と人目を忍ぶ仲に発展。そして手代(てだい・商家で番頭と丁稚の中間の使用人)の小助(こすけ)と仲間たちに陥れられ、蔵屋敷から預かった大切な金をだまし取られてしまいます。実家の野崎村へ戻された久松は、養父久作の連れ子のおみつと夫婦になることに。そこへ、久松を恋い慕うお染が大坂から追ってきて…。
初めて取り組んだ先人から伝わる語り
織太夫さんは、男女の三角関係が描かれる「野崎村の段 前」を語っておられますが、今回新しい挑戦をされています。「私が最初に語り出す『後に娘は、気もいそいそ』の言い方を、組太夫風にしています。組太夫風とは、二代目竹本組太夫(くみたゆう)※5の独特の語り口のことで、代々の床本(ゆかほん・太夫が使う台本)に「風(ふう)」が記されていることから、再現が可能なのです。この後に続く、おみつの詞(ことば・台詞)の印象が変わって来るのですよ」
久松を恋しく思っているおみつは、急に祝言をあげることになった戸惑いや嬉しさを表しながら、膾(なます)料理を作り始めます。そんな華やいだ印象に変わる前の語り口を工夫することで、場面がパッと切り替わる印象になるようです。この語り方は、八代目竹本綱太夫、九代目竹本綱太夫、豊竹咲太夫師匠も取り入れていたもので、織太夫さんが今回受け継がれた形になります。
一つの間から人形の動きが生まれる?これぞ文楽の醍醐味
祝言の準備をしているところへお染がやって来たことから、久松を巡っての女性同士の対立が描かれるのですが、ドロドロとした修羅場とは印象が違います。「この作品は世話物※6なので、日常のリアルさを表すようにしています。時代物※7の場合は、誇張された表現にしますけどね」。恋敵と察知したおみつは、訪ねてきたお染を家には入れずに、知らん顔。久作に頼まれた久松が肩を揉み、おみつは灸(きゅう)をすえる様子が描かれます。
六代目尾上菊五郎が、この「野崎村」の久作を勤める際に参考にしたいからと、八代目綱太夫に「野崎村の段」を語ってもらったことがあったそうです。「八代目綱太夫の『でんでん虫』に書かれているのですが、『普通の人が語っていると、やいと(注:灸)を足の中央にすえているのが首にすえているように聞こえるが、君のはやっぱり足にすえているように聞こえる』と言ったそうですよ」
次第に家の外にいるお染が気になる久松と、嫉妬するおみつが言い合いを始めます。それを、事情がわからないながらも止める久作。「八代目綱太夫が、おみつの『イエイエ構うてくださんすな。今のような愛想尽かしも、アノ病面(やまいづら)めが言はしくっさるのじゃわいな』と、久作の『エエ何を言ふやら』の詞の間に間(ま)を入れておられるので、今回私も取り入れています。この間で、久作がジィ~とおみつの顔を見るのです。なんだ、お前は久松に惚れてるんだなぁと、その後に笑い声を上げるほのぼのとした場面になっていますね」
この間は咲太夫師匠も、九代目綱太夫も取り入れていなかったそうです。「久作を遣っている吉田玉也さんが、『ここに間が入るのは初めてで、こういう間があったらいいと思っていました』とすぐに言いに来てくださいました。こんな風に人形遣いの方に評価していただけて嬉しいですね」
(※7)作品の時代を江戸時代より以前の時代に設定した演目のこと。
初春公演に関連する名人へ新年のあいさつ
この日、織太夫さんが寄りたい場所があるというので、同行させていただきました。それは現在の文楽に繋がる、名人たちが眠る法善寺。織太夫さんが祖父師匠・豊竹山城少掾(とよたけやましろのしょうじょう)の志を受け継ぎ、お守りしている13基のなかには、初春公演と縁の深い方たちも含まれています。語り口を取り入れられた二代目竹本組太夫は、安永9(1780)年の竹本座初演時に「野崎村の段」を語った人でもあります。そして竹本組太夫を最初に名乗った初代のお墓が、この場所にあるのです。そのお墓へ、織太夫さんは新年のごあいさつがしたかったようです。
今回の公演では「野崎村の段」の前に、9年ぶりに「座摩社(ざまやしろ)の段」を上演しています。初演時に「座摩社の段」を語った、初代竹本咲太夫(初代竹本男徳齋・なんとくさい)※8のお墓へも、ごあいさつをされました。ご自身へと受け継がれている名人の技やスピリットを大切にされる姿に、文楽の奥深い魅力を守ろうとする強い気概が伝わってきます。
取材・文/瓦谷登貴子
取材協力/伊吹珈琲店、国立文楽劇場、浄土宗 天龍山 法善寺
竹本織太夫さん出演情報
国立文楽劇場 開場四十周年記念
吉田和生文化功労者顕彰記念
令和7年 初春文楽公演『新版歌祭文』第1部に出演
※第2部は『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』
※第3部は『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』
■期間:2025年1月3日(金)~1月26日(日)
※15日(水)は休演
■開演時間:第1部 午前11時開演(午後1時35分終演予定)
第2部:午後2時15分開演(午後4時50分終演予定)
第3部:午後5時30分開演(午後7時40分終演予定)
■観劇料:1等6000円(学生4200円)、2等4500円(学生3200円)
■会場 国立文楽劇場(OsakaMetoro・近鉄「日本橋」駅下車7号出口より徒歩約1分)
公演の詳細な内容:日本芸術文化振興会
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2024/202501bunraku/
チケットの申し込み:国立劇場チケットセンター
https://ticket.ntj.jac.go.jp/
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