刺繍とテキスタイルのメゾンダールとして名高い「ルサージュ」は、1924年、アルベール・ルサージュによって創設されました。’49 年にその息子であるフランソワが事業を継承すると、卓越した技術と創造性を開花させ、クチュール界に欠かせない存在となります。そんなルサージュのサヴォアフェールは、20世紀半ば以降、数々のクチュールメゾンに創作のインスピレーションを与えてきました。
なかでも1950年代に始まったガブリエル・シャネルとの協働は、ルサージュの名を広く知らしめるきっかけに…。その後継者となったカール・ラガーフェルドにとっても、ルサージュの刺繡はなくてはならないものであり、コレクションにおいて幾度となく重要な役割を果たしてきました。
また、ビーズやスパンコールだけでなく、貝殻や金属などの多様な素材を駆使して生み出されるルサージュの刺繡は、独創性と美しさにおいて芸術作品に匹敵するといわれるほど。その7万5千点以上におよぶアーカイブは、次代に守り継ぐべき貴重な遺産であり、未来の創作の原点でもあります。
2002年、ルサージュはシャネルのメティエダールの一員に。そして2021年、le19Mに拠点を移しました。革新的な挑戦を続けるルサージュは創業から1世紀を経た今も、現代のラグジュアリーに新たな息吹を吹き込んでいます。


伝えていきたい技巧と様式──革新的な刺繡芸術を未来へ


アーティスティック ディレクター、ユベール・バレールが語る
〝パリの刺繡〟を象徴する「ルサージュ」の唯一無二の価値と未来志向の創造性
メゾンダール「ルサージュ」のアーティスティック ディレクターとして、職人たちの技と感性を束ねながら、新たなクリエイションに挑み続けるユベール・バレール氏。彼が担う役割と刺繡芸術への情熱について、le19Mのアトリエで話を聞きました。
「私の役割は、刺繡を生み出すというよりも、アトリエに創造の息吹を吹き込むこと。つまり、職人たちの〝創造したい〟という気持ちを引き出すことなのです」
この特別なメゾンに敬意を抱きながらも、現代性をもたらすことが自らの使命だと語るバレール氏が、フランソワ・ルサージュの後継者に指名されたのは2011年のことでした。深い友情と尊敬に裏打ちされた両者の絆が、彼に決意を促したといいます。
「最初、自分には向いていないと思いました。いろいろな仕事に就いていたので…。しかし、ほかのクリエイティブな活動がルサージュに新たな視点をもたらすといわれ、ようやく〝はい〟と返事ができました」
初めてメゾンを訪れたとき、彼の頭に浮かんだのはリファレンス(模範)とイレヴェランス(挑発、不遜)というふたつの言葉でした。この相反する精神こそが、刺繡の世界に新風をもたらすのです。
「敬意を払いすぎていると、何も変わりません。既存の枠組みを揺るがすこと、物事を突き動かすことで、新しさは生まれるのです。だから、私はいつもそのバランスをとるように努めています」
外部のメゾンとの対話も、彼の重要な仕事のひとつ。とりわけシャネルとは、長年にわたり創造的な関係を築いてきました。
「シャネルとの仕事は、言葉から始まります。たとえば、〝月に行きたい〟とか、〝アラスカでカエルの歌を聴きたい〟とか(笑)。抽象的な話から始まり、そこから刺繡の物語へと発展していきます。まるで旅行代理店のように、〝旅をどうデザインするか〟を一緒に考えていくのです」
そして、メゾンが挑戦を続けていくうえで、le19Mの存在は欠かせません。
「le19Mは、職人のために設計されたアトリエであり、私たちが〝呼吸をともにする場所〟でもあります。異なるメゾンが刺激を与え合ってコラボレーションが生まれ、展示や体験イベントも増えてきました。これまで隠れていた仕事が、人々の目に触れるようになったことが、何よりもうれしいです」
ユベール氏は、日々の仕事を通して向き合う職人たち、とりわけ若い世代に対して、創造に真摯な姿勢と〝厳しさ〟を求めてきました。しかし、その反面、創造的であってほしいという願いも抱いています。
「私の仕事は方向性を示すこと。骨組みだけの指針を渡し、あとは彼らに委ねます。すると、予想もしなかったアイディアが出てきて驚かされるのと同時に、それがとても興味深いのです。手を抜かず、創造に真摯に向き合うこと。さらに、感性の〝みずみずしさ〟も大切にすること。私が彼らに期待しているのは〝新しい視点〟にほかなりません。ルサージュは、そうして進化を遂げてきたメゾンダールなのですから」

Hubert Barrère
「ルサージュ」アーティスティック ディレクター
※本記事は『和樂』2025年10・11月号の転載です。
※価格は2025年9月1日時点のものです。

