1993年、「シャネル」は時計・宝飾部門を創設。それにより、ファインジュエリーのアーカイブを充実させることが急務に。その最初のミッションが、’32年に開催されたガブリエル・シャネルにとって生涯で唯一のハイジュエリーコレクション「ダイヤモンド ジュエリー」展の作品を探し出すことでした。
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ファインジュエリー不朽のアーカイブを日本初取材!「シャネル パトリモニー」新たな伝説の始まり
名立たる芸術家が集結した、すべてに革新的だった展示会
1932年、低迷するダイヤモンド市場を復活させるために、ロンドン・ダイヤモンド商業組合は、稀代のファッションデザイナー、ガブリエル・シャネルによる「ダイヤモンド ジュエリー」展を企画。彼女はオートクチュールに着想を得て、前代未聞の展示会を開催しました。

「ダイヤモンド ジュエリー」展のリリース。シンプルで洗練されたデザインは、現在の「シャネル」の世界観にも通じる。写真(右)はのちに偉大な映画監督として知られるロベール・ブレッソンが撮影している(©Adagp, Paris 2024)。メッセージはガブリエル自身によるもの。「私がダイヤモンドを選んだのは、最小のボリュームで最大の価値が表現できるから。(一部抜粋)」といった、ダイヤモンドにこだわる理由が記されている。
会場は、なんと彼女の自邸。コレクションのテーマを決め、ヘアメークを施したマネキンに作品を展示することも、革新的な試みでした。また、リリース制作や会場装飾には、ジャン・コクトーなどのアーティストが協力していることも話題に。

フォーブル・サントノーレ通り29番地のガブリエル・シャネルの自邸が、「ダイヤモンド ジュエリー」展の会場に。展示用の蠟製マネキンのヘアメークやスタイリングは、彼女自らが指揮した。©GP Archives-Collecion Pathé

蠟製マネキンは1900年代につくられたものが選ばれた。また、ガブリエルはこのコレクションでクラスプを使わないことにもこだわったという。©GP Archives-Collecion Pathé
しかし、この展示会があまりに注目されてしまったがために、パリの宝飾界が猛反発。会期後にジュエリーの解体を要求したのです。それが了承されたことで、コレクションの多くが失われてしまいました。ただ、この決定前に売買契約が交わされたものがあり、それが現存している可能性があります。

1932年に販売された当時のまま、ミッドナイトブルーのケースに納められた状態でジュネーブのオークションに現れたブローチ。コメットをモチーフにした、まさにこのコレクションのシンボルともいえる作品は、「シャネル」が買い取り、アーカイブに収蔵した。©Patrimoine de CHANEL, Paris / Photo Manuel Braun
約50点の作品からなるコレクションには2点の時計が含まれていました。パトリモニー部門は膨大な報道記事、展示会の写真、ニュース映像から来場者を特定。系譜学者の力を借りて彼らの子孫をたどり、45名にコンタクトをとりました。そして2点の作品の所在があきらかに。その1点が2000年にアーカイブに収蔵されたコメット(彗星)ブローチ。もう1点が個人所有のプリュム(羽根)ブローチです。

「ダイヤモンド ジュエリー」コレクションから復刻されたボー(リボン)ネックレス。©Adagp, Paris 2024

写真や映像をもとに復刻されたフリンジをモチーフにした作品。©Adagp, Paris 2024

「ダイヤモンド ジュエリー」コレクションの誕生80周年に発表された「エトワール フィラント」(流れ星)ネックレス。星のモチーフは取り外してブローチにもできる。
※この特集に掲載した作品に関する問い合わせ先:シャネル カスタマーケア 0120・525・519
※特集内の表記のない画像は、すべて©CHANELです。
※本記事は『和樂』2024年6,7月号の転載です
コーディネート/今津京子 写真提供/シャネル
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