子どものころは、飲み終わったあとで瓶の中のビー玉を取り出せないかと、飽きずに眺めていたものでした。
炭酸飲料にビー玉で栓をするなんて、誰が考えたのでしょう。瓶はどうして、独特の形をしているのでしょう?
ラムネの歴史をひもときながら、身近で不思議な飲みものラムネの「なぜ?」「どうして?」に迫ります。
また日本のラムネが今、世界に輸出されて人気となっているという、復活のドラマもご紹介します。
黒船来航!ラムネに仰天
ラムネが海を越えて日本に持ち込まれたのは、江戸時代のことです。幕末にアメリカから黒船が来航したとき、開国を迫る交渉の席で、ペリー提督がラムネをふるまったというエピソードが伝えられています。幕府の役人たちは、炭酸の栓を抜くときの「ポン」という音を鉄砲と勘違いして驚き、腰の刀に手をかけたとか。
当時のラムネは、「キュウリ瓶」と呼ばれる、野菜のキュウリに似た型の瓶に入っていました。コルクで栓をした上からワイヤーをぐるぐるとまき、横に寝かせて保管をしていたそう。そうしないと、炭酸ガスがコルクを押し上げて、栓が抜けてしまう恐れがあったからです。
瓶の中に入っていたのは、炭酸レモネード。「レモネード」という言葉がなまって、日本では「ラムネ」という名前で呼ばれるようになったと言われています。

『東京名所三十六戯撰』著者:昇齋一景 出典:国立国会図書館デジタルコレクション
なぜレモネード?
15~17世紀の大航海時代には、多くの船員が壊血病で命を落としました。壊血病は、ビタミンCが欠乏することで起こる病気です。18世紀になるとオレンジやレモンを食べることで壊血病を防げることがわかりました。
大航海時代、船の上では腐りやすい水は貴重でした。船員たちが水の代わりにワインやビールを飲んでいたという話を聞いたことのある人もいるでしょう。瓶入りの炭酸レモネードも、船の上では貴重な飲みものだったはず。しかも壊血病を予防できる、一石二鳥な飲みものだったのです。
コレラの流行で一気に普及
幕末から明治のはじめにかけて、ラムネは長崎や横浜の港を訪れた船から、一般の人々の間へも広がっていきました。やがて作り方を教わった商人たちの手で、日本でもラムネの製造がスタートします。
爆発的に普及したきっかけは、明治時代に流行したコレラという病気でした。激しい下痢や嘔吐に見舞われて亡くなる人が相次ぎ、コレラ菌に汚染された食料や水を口にすることで感染が広がるため、井戸水が警戒されたのです。代わりにラムネを飲めばコレラにならないと言われて、買い手が殺到。製造業者も一気に増えたそうです。
*ラムネは弱酸性の液体なので、コレラ菌が増えにくかったと考える説もありますが、当時のラムネの製造工程は現代のように衛生的ではなく、病気を予防する効果があったと言えるかは、不明です。
ビー玉で栓をする瓶はイギリス生まれ
1872(明治5)年、イギリス人のハイラム・コッドという人が、炭酸飲料の瓶にガラス玉で栓をする方法を考案しました。炭酸を詰めたあとで瓶を逆さまにすると、炭酸ガスがガラス玉を押し上げて栓をする仕組み。当時高価だったコルクを使わずにすむ、画期的な発明でした。
日本では1888(明治21)年に、大阪の徳永玉吉という人がコッド瓶をまねて、ガラス玉で栓をするラムネ瓶を作ったと言われています。
ラムネの栓はB玉でなくA玉
ところで、ラムネの栓に使われているガラス玉はビー玉ではない、という説があります。
関西では「良い」を「ええ」といいます。ラムネの栓に使うガラス玉を選別するときに、歪みのない合格品をええ玉(A級)と呼ぶようになり、歪みなどがあって製品には適さないものをビー玉(B級)と呼んで、子どもの玩具として販売したのだそう。
*昔はガラスを「びいどろ」と呼んでいたので、ビー玉と呼ぶようになったという説もあります。
ビー玉はどうやって入れているの?
とはいえややこしいので、ここではビー玉と呼ばせてください。
昔のラムネ瓶は、口の部分まで全部ガラスでできていて、飲み終わってもビー玉を取り出すことができませんでした。ビー玉はいつ、どうやって瓶の中に入れていたのでしょう。ヒントは、瓶をよーく見ると分かります。

瓶の横にうっすらとある線が見えるでしょうか。まず半分に割った形のびんを作り、そこにビー玉を入れてからくっつけていたそうです。
*今では、口の部分にプラスチックを利用しているラムネ瓶が多く、瓶によってビー玉の入れ方も異なります。スクリュー栓になっていてビー玉を取り出せるタイプもありますので、小さなお子さんがいる場合などは、誤飲に注意してください。
「くびれ」と「くぼみ」のひみつ
ラムネの瓶は真ん中が細くくびれた不思議な形をしています。これはビー玉が下まで落ちてしまうと、中身がかき混ぜられて吹きこぼれの原因になるからなのだそう。上の方にある2つのくぼみは、ラムネを飲むときのビー玉止めです。くぼみを手前側にして飲むと、ビー玉がじゃまになりません。
サイダーとの違いは?
ラムネとサイダーは、どちらも甘い炭酸飲料。中身に大きな違いはありませんが、ビー玉で栓をするタイプの瓶に入っているのがラムネです。
ラムネとは「ガラス玉で密栓することを特徴とした炭酸飲料」と定義されていて、その他の容器に入った炭酸飲料をラムネという名称で販売することはできません。
庶民的な「夏の風物詩」として定着
その後、ラムネは駄菓子屋さんや夏祭りの縁日で子どもたちが楽しみに買うような、庶民的な飲み物として定着しました。「ラムネ」や「冷やしラムネ」は、冷たい飲み物がおいしく感じられる夏の季語にもなっています。
ラムネの栓天井をついて時鳥(ホトトギス)
正岡子規(明治24年)

製造のピークは戦後復興期
ラムネが最も作られていたのは1945〜1954年(昭和20年代)の戦後復興期。製造会社は2000社に上り、年間で8万2000キロリットルも製造・消費されていたという記録があります。
しかし、高度経済成長期になるとコーラなど炭酸飲料の選択肢が増えたこともあり、消費は下り坂に。当時、商品の流通や小売りの仕組みが大きく変化したことも、大きな壁となりました。
それまでラムネに使われていた瓶は、メーカーが販売店を経由して回収し、再利用するリターナブルボトルです。つまり、瓶を回収できる範囲にしか販売ができません。
個人経営の商店にかわり増えていったスーパーマーケットなどの大型小売店では、取り扱いにくい商品でもありました。
そこでメーカーは、飲み終わったあとに瓶を回収しないワンウェイボトルへの切り替えを進めていきます。
その過程で瓶の口の部分はプラスチック製が主流となり、オールガラスのラムネ瓶は国内で1989(平成元)年に、その後わずかに製造を委託していた台湾でも、1996(平成8)年に製造終了となりました。
日本のラムネを世界がオーダー
そんなラムネが、海外で注目され始めたのは、2000年頃から。健康志向の高まりとともに海外で人気となった日本食のレストランなどを通じて、ラムネは少しずつ世界へと広がっていきました。
というのも、ビー玉で栓をするタイプの瓶に入った飲みものを製造・販売しているのは、今では世界でも日本とインドだけなのだそうです。
「吹きこぼれないかな」とドキドキしながら、玉押しでビー玉を落とす体験。飲むときに瓶の中でビー玉が転がる、不思議な楽しさ。
ラムネは海を越えて人々の心をつかみ、今では世界80ヵ国のスーパーや飲食店に輸出されています。
復活!令和のオールガラス瓶
ラムネとは、切っても切れない関係にある、ラムネ瓶。飲み口までガラスでできていた昔のラムネ瓶は、口当たりがひんやりと冷たくて、瓶の中でビー玉が転がる音も、涼やかだったそう。
ラムネの製造を手掛けている大阪のハタ鉱泉株式会社は、製造終了となってしまったオールガラスの瓶でもう一度ラムネを味わって欲しいと、ひそかに開発を続けてきました。
開発にあたって、意外にも瓶そのものより苦労したというのが、口の部分にビー玉をとめておくパッキン。やわらかすぎると炭酸の圧力に負けてしまうし、かたすぎると中身が冷やされたときにパッキンが硬化して「玉落ち」しやすくなってしまうため、試行錯誤を重ねたそうです。
12年の年月をかけて完成し、2025年5月に発売されたのが、スタイリッシュなオールガラス瓶のラムネ「HATA PREMIUM」です。
ホテルのレストランなどで、お料理とともに楽しんでもらうことを提案する商品で、残念ながら現在のところ1本ずつの小売りはしていないそうですが、もしもレストランなどで出会ったら、ぜひ冷たいガラスの口当たり、ビー玉の音色を楽しんでみてください。

心をくすぐる不思議な瓶に入った炭酸飲料、ラムネの歴史とひみつをご紹介しました。
取材協力:ハタ鉱泉株式会社
参考文献:
『清涼飲料水(ラムネ・サイダー)の近代史』秋山久美子(學苑 2005.8)
『清涼飲料水の近代史(第3報)』秋山久美子(學苑 2007.9)

