「はじめまして。金沢より茶のある日常をお届けします」

日本海の青、きらめく緑。北陸に待ち望んだ季節が訪れました
北陸に暮らしていると、季節のうつろいを体で感じるんです。なかでも晴れ渡る初夏のころは特別ですよ。待ちに待った太陽が日本海に降り注いで、波は白くキラキラして、空気もどこか軽やかで。5月と10月の北陸は、日本でいちばん美しいところじゃないかと思うくらい。「いい陽気になったねぇ」と言い合うほど、本当に気持ちがいいんです。
茶席では11月から4月は炉、5月からは風炉へと切り替わります。炭は小ぶりになり、茶道具もすべてが夏向きに替わって、冬のあいだ室内に籠(こ)もっていた気持ちが外に開いていくようになるんですよね。
さて私の稽古場の好古庵は、もともと仙叟居士(せんそうこじ)の屋敷があったとされる土地に立っています。仙叟居士は裏千家今日庵の4代、江戸前期の茶堂(さどう)ですね。寛文6(1666)年、加賀前田家5代綱紀(つなのり)公に招かれて来沢(らいたく)し、今日庵を写した「臘月庵(ろうげつあん)」という庵を構えたと伝わっています。その場所は長く「このあたりだろう」といわれてきましたが、約30年前に地元の歴史研究者が古地図を基に検証し、ここがその跡地だとわかりました。しかも驚いたことに、こちらは私の祖父の隠居所で。偶然とはいえ、何か不思議なご縁を感じましたね。
少し生家の話をすると、父は10代大樋陶冶斎(おおひとうやさい)、祖父は9代目の陶土斎(とうどさい)です。大樋焼は、仙叟居士に伴って金沢に来た初代大樋長左衛門(ちょうざえもん)からはじまります。もともと初代は、樂家4代一入(いちにゅう)の高弟で、樂焼(らくやき)の流れを受けて大樋村(現在の金沢市大樋町)の土を使用して窯を開いた人でした。そんな約350年続く大樋焼の家に、10代陶冶斎の二男として私は生まれました。
子供時代は松の下に筵(むしろ)を敷いて、祖父と抹茶を飲んだり、近所を散歩したり。ずいぶんかわいがってもらったものです。ですからここが屋敷跡だとわかったときは、父も私も大きな驚きで。仙叟居士300年遠忌の年に、記念碑を建て、裏千家の設計監修で好古庵という茶室をあたらしくつくったのです。ちょうど私が、今日庵の内弟子修業をしていたころの話です。
この稽古場の魅力は、単に昔の出来事を伝える場所ではないところにあると思うんです。歴史が途切れずに続いているという感覚。ここでお茶が営まれていることで、過去と今がつながっていく。そんな実感があります。学びの場でありながら、どこか特別な意味を感じるんですね。
名君、前田綱紀公ゆかりの品格をたたえた青磁茶碗で
今回の初風炉の道具組では、そのつながりを大切にしたいと思い、前田綱紀(つなのり)公ゆかりの青磁茶碗を主役に据えました。仙叟居士を招いたお殿様がいたからこそ、金沢の茶が形づくられ、今の私たちにも重なっている。そう考えると、この茶碗は象徴的な存在です。初風炉らしさを表したいと、清々しい和菓子や粽の絵の掛物、加賀水引の具足飾りも取り合わせましたが、中心にあるのはこの一碗、というわけです。
こちらの新連載は、金沢という土地が育んできた文化の厚みや魅力を、多くの方に知っていただける機会ととらえています。加賀の茶の有り様(ありよう)を、肩の力を抜いて楽しんでもらえたらうれしいですね。


奈良宗久(なら・そうきゅう)
裏千家今日庵業躰(正教授方)。1969年金沢生まれ。父である10代大樋陶冶斎に師事し、大学時代より日展などに出品。現在は、国内外で茶道の普及、後進の指導に努める。また工芸やアートの領域にも積極的に関わり、その活動が注目を集める。
茶道教場「好古庵」http://kokoan-kanazawa.com/

