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2026.09.01

一日でも早く心穏やかな日々が戻ることを願って。【彬子女王殿下が未来へ伝えたいにっぽんのことば】

三笠宮殿下が体験した関東大震災

大正12(1923)年9月1日。10万人以上の死者・行方不明者を数えた関東大震災は、関東一円に未曽有の被害をもたらした。発災の9月1日は「防災の日」と定められ、現代に生きる我々に、大規模災害の教訓を伝えてくれる日になっている。

私の祖父にあたる三笠宮(当時は澄宮)殿下は、7歳で関東大震災を経験しておられる。その日はご両親である大正天皇、貞明皇后、兄宮の秩父宮殿下とご一緒に日光の田母沢御用邸に御滞在であった。御側日誌には「午後一時五五分余震、電信電話不通、東京方面の消息を得る由なし。」とあり、被害の大きさと連絡の取れない不安をうかがい知ることができる。田母沢御用邸は石垣が破損したのみで大きな被害はなかったが、学習院初等科も校舎が大きな被害を受けるなどし、東京が混乱状態であったため、殿下が東京にお戻りになったのは、9月30日のことであった。さらりと書いてあるけれど、教科書に出てくる歴史的なできごとの証人でいらしたのだということを改めて実感する。

科学技術が発展した現在では、自然災害をある程度予測することが可能になっているけれど、それでも回避することは難しく、人間が到底及ばない自然の力の大きさを感じる。

「逢魔が時」=「大禍時」

自然は様々なものを我々に与えてくれる。農耕や狩猟によって我々は自然の恵みを得て、それを口にすることで生かされる。でもその半面、自然は猛威を振るうこともある。河川の氾濫が人の命を奪い、日照りが農作物の不作を引き起こし、飢饉を生むこともある。このような自然現象に、日本の人々は神の力を感じたのだろう。だからこそ、自然の生み出したものに対し、人々は敬意を表し、お祀りをした。豪雨や干ばつ、地震や火山の噴火など、様々な自然災害が起こったとき、日本の人々は神が怒っておられると感じ、怒りを鎮めて頂くために祈りを捧げた。これが祭祀である。自然災害が起これば、作物が取れず、自分たちは生きていくことができない。生きていくために祈りを捧げるということは、日本の人たちにとって至極当たり前の営みであったのではないだろうか。

「逢魔が時」という言葉がある。これは、夕闇の迫る薄暗い時間帯のこと。「黄昏時」とほぼ同じ時間帯を指す。つまり、薄暗くて人の顔の見分けのつかない時間帯、空はまだ光を帯びつつも、地上はほの暗さを少しずつ増していく、明暗が交錯するころ。「誰(た)そ彼(かれ)は(あれは誰か)」と尋ねなければわからず、もしかしたらその人影は魔物か悪人かもしれない…と不安に駆られてしまう。昼と夜の丁度境目。魔物に会ってしまうかもしれない時間なので、逢魔が時と言う字があてられている。

でも、この「逢魔が時(あふまがとき)」は、「大禍時(おほまがとき)」から転じて使われるようになった言葉である。「まが」とは、「まがまがしい」のまがで、禍(わざわい)の意味。つまり、不吉なことが起こりやすい時間ということである。本来は「大きな禍事」なので、「おお」と「まが」に分かれるのだが、後に「おおま」と「が」に分かれて解釈されるようになり、「大魔が時(おおまがとき)」の字が使われるようになり、「魔物に逢う」という意味も加えられて、「逢魔が時(おうまがとき)」に変わっていったのだそうだ。言葉が変容しているのに、「おおまがとき」「おうまがとき」どちらも正解という不思議な言葉である。

明けない夜はない

以前、京都府警察本部の110番通報を受け付ける通信指令センターを見学させていただいたことがある。「そんなにピリピリした空気ではないんですね」と言うと、今の時間帯はそんなに忙しくないのだと教えてくれた。逆に「忙しい時間帯はあるんですか?」と聞くと、「夕方の4時から7時くらいは通報件数が多いんです」と言われた。まさに「逢魔が時」ではないか。段々と空が暗くなってきて、目が慣れない中で、周囲がよく見えずに注意散漫になることから、交通事故などがとても起こりやすい時間帯なのだそうだ。それを「禍事が起こった」と解釈するか、「魔物に出逢った」と解釈するかは人それぞれだけれど、「禍事が起こりやすい」「魔物に逢いやすい」時間は、実証されているのだと、しばし思いを巡らせてしまったのだった。

禍と言うのは、予期せぬ時に起こるものである。だからこそ人々は魔物に出逢ったと考えたり、神様が怒っておられると考えたりしたのだろう。目に見えないものを信じるのは人間だけだと聞いたことがある。人と神、神と魔物、目に見えるものと見えないものは、上手に共存しながら生きているのかもしれない。目に見えない何かとつながるために、人々は祈る。禍はどうしても起こってしまうものだけれど、それとどう折り合いをつけていくかが大切なのかもしれない。

今年は日本全国で地震が頻発し、不安な思いを抱えながら過ごしておられる方も多くおられることだろう。熊本地震や千葉、北陸などの豪雨災害も続き、被害の大きさに胸が痛むばかりである。被災地の皆様に一日でも早く心穏やかな日々が戻ることを願いたい。これが日本の「大禍時」でないことを祈るばかりである。でも、明けない夜はない。毎日朝はやってきて、まばゆい朝の光が日本の隅々まで照らしてくれる。それは、魔物とのしばしの別れを示す時間でもあるだろう。
 

『東都名所 両国之宵月』(歌川広重筆、19世紀)
関東大震災では両国周辺も大きな被害を受けた。現在、両国駅北側の都立横網町公園には、関東大震災ならびに太平洋戦争中の東京空襲の犠牲者を慰霊する東京都慰霊堂や復興記念館が置かれている。
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彬子女王殿下

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。

アイキャッチ画像:歌川広重『東都名所 両国之宵月』(出典:The Art Institute of Chicago [ https://www.artic.edu/ ] パブリックドメイン)
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