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2019.11.15

崗田屋愉一『大江戸国芳よしづくし』熱烈漫画レビュー!浮世絵師という新たなヒーロー爆誕!

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皆さんは、江戸時代後期の浮世絵師・歌川国芳を主人公にした漫画作品があるのをご存知でしょうか? 和樂webは日本文化の入り口マガジン。「若い人たちも気楽に日本文化を語ったり遊べるようにしたい!」そんな思いで日々さまざまなことに挑戦しています。そうした中でスタートした企画の一つが、和樂webライター陣による「日本文化の入り口」となる漫画作品のレビューです。「日本文化」というと、ちょっとハードルが高いような気がしますが、漫画をきっかけに「日本文化」をのぞいてみませんか? 今回は「浮世絵」への入り口をご案内。崗田屋愉一『大江戸国芳よしづくし』(日本文芸社)をご紹介します。(※ 一部ネタバレを含みます。)国芳が切り開いた浮世絵の新生面と、その継承にスポットを当てた特別展「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」(福岡市博物館にて2019年11月16日より)の出品作とともにお楽しみください。

奇想の浮世絵師・国芳 雌伏の20代を描いた時代漫画

浮世絵師・歌川国芳(うたがわくによし・1797-1861)について、皆さんはどんなイメージをお持ちだろうか。もし国芳という名前にピンと来なくても、巨大などくろがヌッと顔をのぞかせるワイド画面の浮世絵「相馬の古内裏(ふるだいり)」は、なんらかのかたちで、目にしたことがあるのではないだろうか。この代表作に見られるように、彼の浮世絵は奇想天外。そして、今なお刺青(いれずみ)のモチーフとして愛され続けている勇壮な武者絵や、猫や金魚を擬人化した愛らしい戯画も、幅広い年齢層を虜(とりこ)にしている。

歌川国芳「相馬の古内裏」名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
歌川国芳「相馬の古内裏」(*11月16日~12月22日「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」@福岡市博物館 出展作)「挑む浮世絵」展は全5章で構成。第2章「怪奇に挑む」は、ヒーローが対峙する怪異や戦闘の凄惨さの表現に着目する。

『大江戸国芳よしづくし』の作者・崗田屋氏は、本作を発表する以前にも、岡田屋鉄蔵の名で、国芳とその一門を描いた作品『ひらひら〜国芳一門浮世譚』(太田出版/2011年)と『むつのはな』(未完)を発表している。両作に登場する国芳は、多くの弟子から慕われる50代頃の中年である。

私はこれらの作品に出会って、国芳の人物像のイメージががらっと変わった。その作風から、国芳という人は、もっと破天荒な奇人変人の類だと思っていたが、崗田屋氏が描く国芳は、やんちゃで人好きのする親父だった。ハリウッド映画のヒーローのようなダンディズムとは全く別種だが、「人間ああいう風に歳をとりたいものだ」と思わせる魅力があった。

以降、国芳の浮世絵の斬新さや賑やかさ以外のところにも目が行くようになったし、そもそも自分が見ていた国芳の浮世絵というのが、彼の膨大な画業の氷山の一角に過ぎなかったことも分かった。が、本当の意味で、私にとって、江戸後期の浮世絵への「入り口」になったのは、『大江戸国芳よしづくし』だった。

歌川国芳「朝比奈三郎鰐退治」(部分)名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
歌川国芳「朝比奈三郎鰐退治」(部分)(*2019年11月16日~12月22日「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」@福岡市博物館 出展作)福岡ゆかりのコレクター・高木繁は国芳を「傑物」と評し、浮世絵史における立ち位置を「決勝線間際に於けるラストヘビー」と喩えた。

ここで漫画の内容に触れる前に、簡単に、国芳という絵師について触れておきたい。彼が生まれたのは、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の半世紀におよぶ治世が始まり10年が過ぎた、寛政9(1797)年。泰平の世に、町人文化が——とりわけ浮世絵文化が華やかに成熟した時代だ。国芳と同い年の浮世絵師には、「東海道五拾三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」で名を馳せる歌川広重(うたがわひろしげ)がいる。

国芳の幼少期から青年期のことは、あまりよく分かっていない。紺屋(※染物業)の息子と伝えられ、幼い頃から画才があり、12歳で初代・歌川豊国(うたがわとよくに)に入門したとされる。しかし30歳を過ぎるまで、浮世絵師としてはほとんど目立った活動がなく、その時期に描かれた作品で、現存するものは数える程度だ。

歌川国芳「通俗水滸伝豪傑百八人之一人 花和尚魯知深初名魯達」名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
歌川国芳「通俗水滸伝豪傑百八人之一人 花和尚魯知深初名魯達」(*2019年11月16日~12月22日「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」@福岡市博物館 出展作)「武者絵の国芳」の評価は、本作に始まる。展覧会第1章「ヒーローに挑む」に展示。

中国の長編小説『水滸伝(すいこでん)』の登場人物を描いた「通俗水滸伝豪傑百八人之一人(つうぞくすいこでんごうけつひゃくはちにんのひとり)」シリーズで一躍人気絵師となる31歳まで、彼は何をしていたのか。これほどの圧倒的な画力を持ち、当時の浮世絵界のトップを走っていた豊国一門にありながら、20年近くもの期間、彼の経歴はほぼブランクだ。『大江戸国芳よしづくし』は、そんな鳴かず飛ばずの20代の国芳が主人公である。

耐えて人の夢に生きる英雄、散って人の心に生きる英雄

物語は、文政5(1822)年の、ある雨の日に始まる。

国芳はこの日、パトロンにして生涯の朋(とも)となる梅屋鶴寿(うめのやかくじゅ)と出会う。無名の絵師の貧乏長屋の軒先で雨宿りをしていたのは、尾張藩御用を勤める秣(まぐさ)商の主人であり、今をときめく人気の狂歌師(※狂歌=皮肉や滑稽をもりこんだ短歌)であった。国芳26歳、鶴寿22歳。

崗田屋愉一『大江戸国芳よしづくし』
『大江戸国芳よしづくし』より ©崗田屋愉一(日本文芸社)

この二人の奇跡のような出会いは、口伝に基づいているという。鶴寿は一瞬で国芳の才能に惚れ込み、二人は意気投合した。おそらく鶴寿は、江戸の風流人の顔とは裏腹に、猛悍(もうかん)の気質を内に秘めた人だったのだろう。荒唐無稽(こうとうむけい)な印象が強い国芳もまた、粗にして野だが卑ではない、そんな人物だったのだろうと想像する。

『大江戸国芳よしづくし』は、20代の国芳と鶴寿が、同時代に生きた二人の英雄との出会いを通じて、出世作「通俗水滸伝豪傑百八人之一人」の制作に向けて動き出すまでを描く。二人の英雄とはすなわち、歌舞伎役者・七代目市川団十郎と義賊・鼠小僧(ねずみこぞう)次郎吉である。本書は、この二つのエピソードを各4話、計8話で掲載している。

崗田屋愉一『大江戸国芳よしづくし』
『大江戸国芳よしづくし』より ©崗田屋愉一(日本文芸社)

団十郎の「助六(すけろく)」の舞台や鼠小僧の大捕物(おおとりもの)といった外連味(けれんみ)も存分にありながら、さまざまな人の思惑や心慮が細やかに描き込まれており、幾度となく目頭が熱くなる一冊だ。

沈黙と発起、涙と笑顔、そして生と死――二人の英雄の人生を鮮やかな対比で描き出しつつ、人の情と世俗のしがらみとを絡めとって、決して安易に正誤や優劣のレッテルを貼れない人間社会の複雑さを透かして見せる漫画家の手際には、ただ恐れ入る他ない。20代の国芳が全く活躍の場を得られなかったのも、偏(ひとえ)に本人の問題だけではなかったのだろうと思わせる。

事実と虚構のないまぜの中に在る真実

前作『ひらひら〜国芳一門浮世譚』の中年国芳と比べると、『大江戸国芳よしづくし』の青年国芳は、まだ頼りない。絵師としての成功体験が無いのだから当然と言えば当然だ。しかし、団十郎や鼠小僧といった華やかなキャラクターの隣で、彼はしっかりと絵筆を握って立っている。一人の画工としての描くことへの執着。今の自分を、そして世の中を変えたいと願う一人の若者の焦りと熱意が、作品の端々で伝わってくる。一巻という限られた頁数の中で、彼が持て余していた画技が、次第に他人の人生に寄り添っていく過程の描写は、自然で、素直に共感を覚えた。

『大江戸国芳よしづくし』では、無名ながらに、国芳の絵に、さまざまな人が笑ったり泣いたり、自分の想いを託したりする。浮世絵が大衆の娯楽であったことを、改めて気づかせてくれるのだ。ああ、国芳という人は、独りよがりに破茶滅茶をやっていたのではなくて、自分の浮世絵を手に取る人たちの、嬉しそうな笑顔や、あっと驚く顔を思い浮かべながら、楽しく絵を描いていた人だったのだろう、と。

巻頭、溌剌(はつらつ)とした57歳の国芳と、巻末、決意を新たにする28歳の国芳とを、『水滸伝』の英雄像を介して結びつける構成力は、見事の一言に尽きる。私の中で、「通俗水滸伝豪傑百八人之一人」発表以前の寡作の国芳と、発表以後の売れっ子絵師の国芳が、ここでパチンと符合した。その間に横たわるおよそ30年の人生は、国芳が遺した浮世絵群が何よりも雄弁に語ってくれる。

浮世絵には、あらゆる人の悲喜交々(ひきこもごも)が込められている。国芳の筆は、多くの人の願いや希みを写し取っている。だから、面白い。

崗田屋愉一『大江戸国芳よしづくし』
『大江戸国芳よしづくし』より ©崗田屋愉一(日本文芸社)

なお、史実の上では、次郎吉が捕縛された翌月に当たる文政8(1825)年の正月、国芳の師である初代・歌川豊国がこの世を去る。国芳と鼠小僧の友情は本作の創作だが、29歳の国芳が偉大な師の死を乗り越え、浮世絵師としての真の一歩を踏み出す人生の転換期を、一人の義賊の死に置換してドラマティックに描き出した中には、ひとつの真実が描かれているように思う。

フィクションやパロディの中にも、物事の本質は立ち現れる。やつしや見立て、あるいは戯画……そもそも浮世絵や歌舞伎とは、そういったものではないだろうか。そしてだからこそ、漫画『大江戸国芳よしづくし』は、私にとってひとつの「日本文化の入り口」となり得た。

江戸が江戸であった、一番最後の時代を飾った浮世絵師

ところで、話は脱線するが、巡回展「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」が、国芳とその弟子たちの作品を扱っているのにちなんで、現在、崗田屋氏が連載中の作品『MUJIN -無尽-』(少年画報社)(※ 執筆名は、岡田屋鉄蔵。)に少しだけ言及したい。『MUJIN -無尽-』は、『大江戸国芳よしづくし』よりも少しあとの時代、国芳の弟子たちと同時代に生きた隻腕(せきわん)の剣豪・伊庭八郎(いばはちろう)の物語だ。

第1巻は、八郎が片手を失う慶應4(1868)年、箱根湯本の死闘で幕を開ける。従者の鎌吉は、瀕死の八郎を背負いながら、幼き八郎との出会いを回想する。「江戸が江戸で それ以外の何かになるなんざ 誰一人夢にも思わねぇ」。明治という時代が、目前に迫っていた。

崗田屋愉一『MUJIN -無尽-』
岡田屋鉄蔵『MUJIN -無尽-』(少年画報社)表紙(1巻/4巻)

この鎌吉の言葉を借りるなら、国芳は、江戸がもっとも江戸らしかった時代に、江戸に生き、流血に染まる幕末の江戸を見ずに逝った。生粋の江戸っ子としての一生を全うしたと言えるだろう。もちろん国芳も、ただ呑気に生きていた訳ではない。「通俗水滸伝豪傑百八人之一人」でデビューをしたものの、ときは天保。奢侈(しゃし)禁止の改革の中、彼の浮世絵師人生は、表現の規制との戦いだった。還暦を前にして浦賀沖には黒船が現れ、安政の大地震も経験している。そんな殺伐とした時代の緊張感を汲み取りながらも、国芳の浮世絵は、気迫に満ち、底抜けに明るい。ここ十数年ほど続いている国芳人気は、現代の日本で、我々がさまざまな社会不安を払拭したいと願う気持ちの表れなのかも知れない。

国芳とその一門が、どのような時代を生き抜き、来る時代に挑んだか。『大江戸国芳よしづくし』で歴史や社会背景に興味を持った方には、『MUJIN -無尽-』も手に取っていただきたい。パラレルに展開した武家の物語を追うことで、より国芳が生きた「大江戸」が見えてくる。なお『MUJIN -無尽-』第6巻には、国芳の弟子と思しき人物がちらりと登場している。江戸に生まれ、東京に生きた、最後の浮世絵師の姿をぜひ探していただきたい。

ずっとよしよし…人々を勇気づけてくれる、国芳の強さと優しさ

『大江戸国芳よしづくし』の単行本が発売された2017年の春、ラジオからはThe Chainsmokers & Coldplayの「Something Just Like This」が流れていた。
Achilles, Hercules, Spiderman, Batman…
アキレス、ヘラクレス、スパイダーマンにバットマン……世界中、いつの時代も、人はヒーローに憧れるものなのだと改めて思った。
And clearly I don’t see myself upon that list
けれど、いつしか輝かしい英雄譚と、自分のいる現実との間に線引きをしていく。どこかで、折り合いを付けていく。それは至極当然のことであるけれど、それを受け容れた瞬間に、一抹の寂しさも覚えてしまう。そしてまた、そんな自分を励ましてくれるのは、やはりヒーローの物語のような気がした。

国芳本
国芳に関する書籍の刊行や展覧会の開催は、近年徐々に増えている。

国芳が描いた水滸伝の豪傑たちを、きっと心のどこかで人々は待ちわびていたのだ。国芳の浮世絵の筆力は、彼の不屈の精神の表れだろう。若き日に、決して諦めずに描き続けた強い信念。それが作品の中に滲み出ている。自分に自信を持ち、何かを信じ続けるのは、そう容易いことではない。彼が——そして大衆が、夢見たもの、信じたであろうものは何かを、『大江戸国芳よしづくし』は描いている。

もし、何か鬱屈していたり、進退窮まった状況に陥っていたら、どうか国芳の浮世絵を見て欲しい。近年、画集や書籍がたくさん刊行されているし、この秋、福岡に足を運べる方なら、福岡市博物館へ。国芳とその一門に魅せられ、己の「好きをつらぬいた」二人のコレクターの蒐集品(名古屋市博物館所蔵)から、約150点が同館に並ぶ。国芳、芳年、芳幾、芳藤、芳艶……会場は国芳一門でよしづくしだ。

歌川国芳「浮世よしづ久志」名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)
歌川国芳「浮世よしづ久志」(*11月16日~12月22日「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」@福岡市博物館 出展作)「えんぎがよし」「ちょうどよし」など、様々な「よし」を集めた趣向の作品。画面右上で猫をよしよししているのが国芳。「挑む浮世絵」展の終章を飾る。

人の身の 良し悪し話 よしにして なんでもかでも ずっとよしよし
(歌川国芳「浮世よしづ久志」画中文より)

こんな風に、国芳の浮世絵には、人を勇気づけてくれる強さと優しさがある。そして、崗田屋愉一『大江戸国芳よしづくし』は、私を、一勇斎国芳という一人のヒーローに出会わせてくれた。

崗田屋愉一『大江戸国芳よしづくし』
崗田屋愉一『大江戸国芳よしづくし』(日本文芸社)表紙

協力:崗田屋愉一、福岡市博物館(敬称略)
※ 記事内使用の浮世絵作品は、全て名古屋市博物館蔵(高木繁コレクション)。

書誌情報および展覧会情報

◆『大江戸国芳よしづくし』
著 者 崗田屋愉一
出版社 日本文芸社
出版年 2017年3月
ISBN 9784537135633
判 型 B6判・232ページ

和樂web編集長・セバスチャン高木と漫画家・崗田屋愉一氏との対談記事
「編集長が行く vol.6 現代人の漫画リテラシーが落ちている?漫画家・崗田屋愉一さんと、わかりやすさ第一主義の弊害を考える」

◆特別展 挑む浮世絵〜国芳から芳年へ
挑む浮世絵展 福岡会場チラシ
会 期 2019年11月16日〜12月22日
会 場 福岡市博物館(福岡県福岡市早良区百道浜3-1-1)特別展示室
休館日 月曜日
時 間 9:30〜17:30(入館は閉館30分前まで)
展覧会公式サイト
※ 2020年6月6日〜7月19日 京都文化博物館に巡回予定。

福岡市博物館
晴天の日は海辺の風が心地よい、福岡市博物館。漫画片手に展覧会に出かけよう。芳桐連の面々が物見遊山に来ているかも。

書いた人

東京都出身、亥年のおうし座。絵の描けない芸大卒。浮世絵の版元、日本料理屋、骨董商、ゴールデン街のバー、美術館、ウェブマガジン編集部、ギャラリーカフェ……と職を転々としながら、性別まで転換しちゃった浮世の根無し草。米も麦も液体で摂る派。好きな言葉は「士魂商才」「酔生夢死」。結構ひきずる一途な両刀。