Culture
2020.01.10

カッパの鳴き声知ってる?妖怪やお化けの「音」や「声」の秘密に迫る!

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犬なら「ワンワン」。猫なら「ニャーニャー」。
だけど、妖怪の鳴き声は?と聞かれると、ちょっと困ってしまう。

妖怪やお化けを「見た」とか「見たことがない」なんて話はよく聞くけれど、声を「聞いた」話はあまり耳にしたことがない。妖怪の存在を信じるかどうかはべつにしても、いったい彼らはどんな声をしているのだろうか。

妖怪やお化けの「声」「音」について調べてみると、これまでとは違った異界の姿が浮かびあがってきた。

お化けってどんな声?

お化けの声について、興味深いエピソードがある。

かつて民俗学者・柳田國男(1875年-1962年)は、多くの青年がいる席でお化けはなんと鳴くかと尋ねたという。
東京の子供はまったくわからないので、「オーバーケー」となるたけ怖そうな口調で名乗ったそう。ところが信州のある若者は「モウ」と答えたというのだ。
柳田は、動物や昆虫が、その鳴き声から名前をつけられることがあるように、お化けもまた音の特徴から名づけられているものが多いことを指摘している。

身近なところでいえば、たしかにミンミンゼミは「ミーンミーン」と鳴いて聞こえるし、ツクツクボウシは「ツクツクボウシ」と鳴いている(ような気がする)。ちなみに、タイ語ではセミは「ヂャカヂャン」と呼ぶらしい。これもセミの鳴き声から取られたようだ。

つまり、お化けが「モウ」と鳴くとされている地方では、名前もだいたいそれに近い言葉になっているというのだ。

地域ごとに異なるお化けの呼び方

たとえば、秋田のある地域ではお化けのことを「モコ」と呼ぶらしい。岩手県の中央部では「モンコ」。海岸の方に向かうと「モッコ」または「モーコ」となる。
福島県の南の方では「マモウ」、越後では「モッカ」。能登では「モンモ」や「モウ」なんて呼び方をされることがあるらしい。
九州・四国から近畿地方では、「ガゴ」「ガモ」「ガンコ」など「ガ」から始まる名前がなぜかおおくて、地方ごとに異なる呼び名の多様さと、その種類の豊富さに驚かされる。

音は聞こえるけれど姿は見えない妖怪たち

柳田國男(著)『妖怪談義』講談社学術文庫、1977年

柳田の『妖怪名彙(ようかいめいい)』は、たくさんの妖怪の名前を集めている本だ。ここには、出会った人が音(聴覚)として体験した怪異、つまり音から生まれた妖怪の名前が記されているので、いくつか紹介しよう。

小豆洗い(あずきあらい)

「小豆とぎ」と呼ばれることもある。日本各地に出没し、川のほとりでショキショキと小豆を洗うような音をさせる。面白がって近づくと川に落ちてしまう。

シヅカモチ

人によっては、夜中にこつこつこつこつと、遠方で餅の粉をはたくような音が聴こえる。だんだんとこの音が近づいてくるのを「搗(つ)き込まれる」、離れていくのを「搗(つ)き出される」という。搗き出されると運が落ちる。この音を聞いた人は長者になるという話もある。

タタミタタキ

夜中に畳を叩くような音を立てる妖怪。土佐ではこれを狸の所為としている。和歌山附近ではこれを「バタバタ」と呼び、冬の夜に限られて聞こえる。

タヌキバヤシ(狸囃子)

深夜にどこでともなく太鼓が聞えてくるもの。東京では番町の七不思議の一つに数えられている。

ソロバンバウズ

道ばたの木の下などにいて、算盤をはじくような音をさせるから算盤坊主。

妖怪の名前の由来は音だった?

夜中に一人でいると、どこからか不思議な音が聞こえてくる。発信源の分からない奇怪な音を、何者かの仕業と考えて生まれたのがこれらの妖怪たちだ。

「タタミタタキ」のように、姿や正体は分からなくても狸の仕業と考えて名前をつけられている場合もあれば、「タヌキバヤシ」や「ソロバンバウズ」のように算盤を叩く音の特徴をそのまま名前にしているものもいる。

一方で、見た目から名付けられている妖怪がいるのも事実だ。
たとえば、一つだけの目しかない「一つ目小僧」、白い反物の妖怪「一反木綿」、壁のように道をふさぐ「ぬりかべ」、顔のない「のっぺらぼう」などがそうだ。
そのほかにも、袖を引っ張る「袖引き小僧」のように触覚に関わる妖怪もいる。

それにしても「ソロバンバウズ」はなぜ一晩中、算盤を叩いているのだろう。
「音」とは関係ないのだけど、妖怪のなかには「豆腐小僧」という名前の、ただ豆腐をもって立っているだけの心優しい(とされる)化け物もいて、こちらも存在の意味がいまいちわからない。妖怪には、不思議な存在が多すぎる。

河童の鳴き声を記した『水虎考略』

ところで妖怪といえば、皆さんは気にならないだろうか。そう、「河童」はどんな声で鳴くのか。
その答えは、河童に関する資料を収録した『水虎考略』にありそうだ。

「水虎」とは、河童のこと。『水虎考略』は、日本や中国の記録・文献から河童の情報を集めた、江戸時代の「河童研究書」と呼べるものだ。ここに、一般的に思い浮かべる、頭にお皿があって、水かきや亀のような甲羅をもつ、おなじみの河童の特徴が記されている。

国立国会図書館デジタルコレクションより『水虎十弐品之圖』(江戸後期)

『水虎考略』後編巻三に、次のようなことが書かれている。

日向高鍋のある村でのこと。この村では、夜になると河童が群れをなして通るというので、ある人が木の陰に隠れて様子をうかがっていたが、見ることができなかった。次の夜、鉄砲を持参して一発発射したところ、忽然と声が鎮まったそう。その得体の知れない声は「飄々(ひょうひょう)」と聞こえたと言う。

九州地方には、河童のような存在であるとされる「ヒョウスエ(ひょうすべ、ヒョウスボとも)」という名前の妖怪がいる。もしかすると、「飄々」という河童の音が転じて「ヒョウスエ」になったのでは、との指摘もあって興味深い。

不安や恐ろしさを駆り立てる、妖怪やお化けの「音」

「見る」ことに比べてあまり意識されることのなかった異界の「声」や「音」。
奇怪で不可思議な「音」への畏怖から、妖怪の名前が生み出されたように、声や音は人々の心に恐怖や不安をかきたてる力がある。ホラー映画も、音量をゼロにして観たら、おそらく恐怖の感じ方は異なるだろう。

お化けや妖怪が現れるときには、何かしらの予兆があると言われている。
背筋がぞくぞくする冷気。あるいは、生ぬるい空気。生臭い匂い。これからは「音」にも注意を向けてみてほしい。たとえ妖怪が見えなくても、人は感覚を通してさまざまな異界を体験しているのだ。

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。