僕はカレーを偏愛している。毎日カレーを食べ続けもうすぐ4年になるが、飽きるどころかLOVEは深まるばかりだ。僕だけでなく日本人はカレーが好きだ。他国からの伝来にも関わらず、カレーは日本の国民食と言っても過言ではない。なぜこんなにもカレーは日本に受けられたのか?僕はその答えが日本文化の構造や歴史にあると推測している。そこにカレーとの類似性を見出すことがあまりにも多いのだ。ここでは日本文化とカレーの相関について探求していきたい。まずは、落語とカレーについて。
年末にテレビで「落語ディーパー!」を見た。俳優の東出昌大さんが、春風亭一之輔さんを筆頭とする新進気鋭の落語家達と一つの演目を掘る落語ビギナー向け番組だ。
僕はそこまで落語に明るくない。ちょっと好きなくらい。寄席には行ったことがあるが、好きな演目は?と聞かれると山手線の新駅名候補に上がった「芝浜」が思いつくぐらいだ。
だからこそかもだけど、本当に面白かった。掘り下げた演目は「あたま山」。
どんな噺かと言うと、
ケチで有名なけちべえさんが、落ちてるさくらんぼを勿体無いと種までバクバク食べる。翌日、頭が痛えって起きると、頭から桜の木が生えてきちゃう。そのまま街を歩いていたら、いい頭だねぇ!それで花見しよう!ってなって、その頭の上で大勢の人たちがどんちゃん騒ぎ。それが嫌になって、けちべえさんは頭から桜を引っこ抜く。するとそこには雨水が溜まって大きな池ができてしまう。魚がたくさん住み着いて、今度は魚釣りで大賑わい。怒りまくっったけちべえさんは自分の頭の池に身投げする。
という内容だ。面白かった。活字にすると余計思うが、どことなく神話っぽい。何かのメタファーともとれる。故に演じるには覚悟と創意工夫がいるそうだ。落語はアレンジ次第で同じ噺でも聞き手への伝わり方が変わる。「あたま山」なら怪談にもできるかもしれない。
どう伝えたいかというヴィジョン。この辺の噺(source)と落語家(meta message)という構造が落語の芸術性の骨子とも言えるんじゃないだろうか、なんてとこまで考え込ませる「落語ディーパー!」は凄い。ばっちりハマった。すんなり録画予約しちゃったもんね。
特に柳家花緑さんの古典落語の成り立ちの話に感銘を受けた。
「古典落語だって、もとは新作落語ですよ。全ての落語は新作落語だったんです」
これって当たり前なんだけど、とっても視座を変えてくれる言葉だ。痺れる。
注釈を入れると落語には古典落語と新作落語がある。古典落語の多くは江戸時代の噺が中心で、新作落語は大正以降の噺。今だとコンビニが舞台だったり、ケータイが出てきたりもする。で、そのうえで、古典も新作だったって話がなんで響いたか?だ。今でこそ伝統芸能の落語だが、その芸が芽吹いたばかりの時代を想像してほしい。
無茶苦茶に自由だったと思うんだ。パターンが無いんだもの。
発祥は江戸時代の初期に浄土宗の説法から生まれた「落とし噺」と言われてるが、この頃の噺は受け継ぐものじゃなくて、考えるものだった。
「型」は噺に落ち(下げ)があるかだけ。あとは自由にどうやったら噺が面白くなるかだけを試行錯誤していく。誰が主役になってもいいんだ。町人が武士をからかうのもOKだし、ネタ元は昔話からのサンプリングなんてこともあった。
この探求は、絶対に幸せだったはずだ。
すんごーく上質なドキドキがあったに違いない。
あー、もう、超羨ましい。
この自由しかない時代、カレーでだったらいつなんでしょう?いつなの!?僕は偏った愛を見つけてしまうとカレーに変換して考えずにはいられないのだ。
カレーに自由しかなかった時代。それはムガル帝国建立に遡る。
ムガル帝国の壮絶食い意地にビッグリスペクト
ムガル帝国は今の北インドから始まり、16世紀から19世紀後半まで続いたイスラム王朝だ。18世紀にはインド亜大陸をほぼ統治する隆盛を見せ、インドの原型を作ったと言っていい。その後は政治腐敗や東インド会社の介入などで弱ってきちゃうんだけど、そういう噺、いや、そういう話は今はいい。僕は歴史の話がしたいんじゃない。カレーの話がしたいんだ。
カレー文化の構築はムガル帝国初代皇帝バーブルによる貢献がまず大きい。
バーブルは軍事に秀でた指導者で、名前の意味するところは「トラ」。中央アジアから見事ヒンドゥスターン(北インド)侵攻に成功し、デリーとアーグラを統治する。そして、新しく王となったバーブルは、こうつぶやいた。
「メロンないじゃん・・・肉もないじゃん・・・ヒンドゥスターンに食うもんないじゃん!」
バーブルはメロンが大好きだったのだ。
子供じゃあるまいし・・・と思われるかもしれないが違う。当時のイスラム文化では食事を「最も崇高で重要な快楽」としていたのだ。なもんで、バーブルからしたら、せっかく征服したのに美味いものないの?はぁ!?だったのである。
さらに言うと当時のイスラム世界では、果物の価値が現代人には想像できないほど高かった。権力と威光を強烈に象徴するのが果物で、国賓への献上物には必ずその土地の最高級の果物をあてがった。バーブルは故郷のメロンが忘れられなかった。マジでメロンが超好きだったらしい。
さらに、このヒンドゥスターンの食文化が追い打ちをかける。もうイスラムと真逆。社会的地位が高いものほど菜食主義を表明するし、宗教上も浄の原則にもとづいて菜食がナンバーワンとなっていた。カーストトップのバラモンはもちろん野菜、豆、米しか食べない。
失意のバーブル。くじけそうなバーブル。山で潜伏生活を送っていたころ遊牧民族のおっさんに、うめえぞって出してもらった羊のケバブ料理、美味しかったなぁ…って月を見ながら泣いちゃうバーブル。
なんてかわいそうなトラでしょう。
しかし、トラは決心する。落ち込んでばかりじゃだめ!
「ヒンドゥスターンの料理人雇うよ!ヒンドゥスターンでもお肉料理できるようにする!果樹園も作っちゃうからね!」
かくして、イスラムとインドの食文化融合の第一歩が踏み出された。この後、バーブルはグルメがこうじてヒンドゥスターンの料理人に毒殺されそうになったりするが、持ち前の猛者っぷりで領土を拡大する。順風満帆なバーブルだったが、突然の悲劇が彼を襲う。息子が重篤な病気に罹ってしまうのだ。「神よ!俺の命と引き換えに息子の命を助けてくれー!」と祈祷するバーブル。すると奇跡がおこる。息子が治るのだ。だが、それから本当にバーブルはすぐに亡くなってしまう。怖くて神秘的。享年47歳だった。
この生き残った息子が2代目皇帝フマユーン。
ばっちりバーブルから食への探究心を受け継いだ。しかし2代目がボンクラっていうのはいつの時代も万国共通。フマユーンは、アヘン大好きパーティーピーポーだった。いつの間にか国を乗っ取られ亡命することに。もう!バーブルが泣くよ!
フマユーンはアフガニスタンとペルシアに追いやられる。そして3代目アクバルが生まれるが、すぐに人質に出される。悔しいフマユーン。しかし、それ以上に彼はこう思うのだった。
「ペルシア料理、めっちゃ美味いんですけど」
バーブルゆずりの食い意地は健在だった。ペルシア料理にどハマりするフマユーン。お肉もフルーツもいっぱいで最高の場所がペルシアだった。大満足のフマユーンはお返しにとばかり、ペルシアのお偉いさん方をヒンドゥスターン料理でもてなした。
すると「この米と豆の料理・・・超いいね!」と大好評。そもそもペルシアでは米が貴重でスパイス炊き込みごはんのプラオが御馳走とされていたのだ。ヒンドゥスターンの米は、美味しくて評判になる。ちなみにプラオはトルコに伝わってピラフになり、スペインでパエリアになり、インドでビリヤニになった。
ペルシアの重鎮達と仲睦まじいフマユーン。亡命生活が15年に突入したころ、ヒンドゥスターンの新しい王朝で内部抗争よ!って噂を聞きつける。こうなるとトラの息子は早い。ペルシアのバックアップもあって一気に奪還!ムガル王朝を取り戻す。すごい。さすがは、バーブルの血を引くもの。
フマユーンは凱旋帰国を果たす。大勢のペルシア料理人をインドに連れて帰国したので、ここからペルシア文化がミックスされたインドの宮廷料理も作られてた。
悲願を叶えたフマユーン。やったぜ!と思ってたら図書館の階段で足を滑らせて頭を打って死亡する。まさかまさかの事故死でムガル中が唖然。王位を勝ち取ってからわずか6ヶ月の出来事だった。ここで王位は、息子アクバル13歳に引き継がれる。若い…若い…若すぎる!どうなっちゃうんだムガル帝国ぅー!!!と誰もが天を仰いだ、だが、しかし。
この少年が稀代の名君、アクバル大帝となるのだった。
YES!アクバル!あんたの治世が大好きだ!
アクバルは超苦労人だった。8歳までほとんど人質で転々としていた。徳川家康の幼少期、竹千代みたいだ。戦争に使われまくる。パリピだった親父は、ムガルを再興して一緒に暮らすぞ!という約束を果たしてくれたが、すぐに事故で死んじゃうし、13歳で即位なんて普通に考えたら周りに利用されるだけだろう。
でも、アクバルは違った。器がデカかった。悪い大人たちに利用されそうになりながらも着実に品格を持って成長していくアクバル。悪政を企む輩との衝突や裏切りにも屈せず、和を持って尊しとなすの精神でムガルを変えていく。
そして、もうめちゃくちゃくカッコいい大仕事がこれだ。
1564年 シズヤ(人頭税)の撤廃
シズヤとは何かと言うと、イスラム教徒以外の宗教徒から徴収する税金だった。簡単に言うと当時のムガル帝国はイスラム教以外は異教徒ということで差別していたのだ。だけども、アクバルは、
「そういうのやめようぜ!みんなマイメンでよくない?」
と、宗教弾圧を禁止。さらに大臣の職にもヒンドゥスターン人の採用を増やした。
民からは「ようやく俺たちの気持ちがわかってくれる王様が現れた!」と大喜びされるアクバル。さらに現金納税の仕組みと作ったりして、経済が活発になる。信長の楽市・楽座と近いようなマインドだ。差別をしないアクバルの治世は長く続いた。そして、三代に続く食い意地がここで爆発するのである。
「世界中の料理人を集めてきて!60分100品勝負、やっちゃうよ!」
ほぼプロレス!北インド、南インド、中央アジア、ペルシアとあらゆるところから、料理人を集め、本当に1時間で100品目の料理を出すように命じたそうだ。めっちゃエキサイティング!料理人達はお互いの料理の腕を競い合い、学び合い、新しいメニューがバシバシ考案された!
ペルシアの料理人
「ヒンドゥスターンってニンニクもだめなん?パンチ弱ない?」
ヒンドゥスターンの料理人
「そうなんよ・・・でも、そんなん代わりないしやな」
ペルシアの料理人
「いやいやー!あるんやで!ヒングっパンチが効いた樹脂がありましてな!これや!油通してみろや!」
ヒンドゥスターンの料理人
「えー!なにこれー!ほんまやー!この独特な感じクセになるー!ニンニクみたいやん!めっちゃええやんー!野菜料理のアップグレードやわー!」
みたいな感じだ!すっげー楽しそう!!!
本当にこれでヒングはインドに広まった!
こうやっていろんな文化が混ざって、いろんな文化を尊重するムガル料理が生まれた。ここが現代のインド料理、現代のカレーが生まれるに至った大革命ポイント!ここテストでるよー!
バーブルがイスラム文化とインドの接点を作り、フマユーンがペルシア文化を持ち込み、アクバルがヒンドゥスターン中心に世界との融合を図った。ムガルの刺激し合う厨房は、さぞかし活気があったに違いない。
落語もカレーも新作から古典になり進化する。
さてさて、文化の芽吹きには、ついつい夢中になってしまうもので、落語から、うっかり時空を超えてムガル帝国までいってしまった。ここまでは、落語もカレーも新作しかない時代について綴ってきたが、改めて古典の偉大さも付け加えておきたい。
冒頭の全ての古典は新作だったという格言だが、これは裏を返せば今の古典は、古典として残れるほどの新作だったということだ。古典とは沢山の新作の中から淘汰されずに残ったもの。いわば生存競争で勝ち抜いた作品だ。そして、生存競争なのだから、そこには進化がある。
ポークビンダルーというカレーがある。
西インドのゴア地方に伝わるカレーでワインビネガーを使う。これはポルトガル人の料理がインドでアレンジされて出来上がった料理だ。酸っぱ辛くて美味しい。二日酔いには最適カレー。ヨダレがドバる。
発祥の説明通りで、最初はまごうことなき新作カレーだったが、いつしかゴアの郷土料理となりポークビンダルーは古典となった。日本でも少しずつ人気を集めているのだが、最近はそのアレンジのされかたが面白い。ワインビネガーの代わりに、梅酒を入れてみたり、りんご酢を使ってみたりするのだ。食べればわかるが、どことなく日本らしい味わいが足されている。
で、僕はこれは一つの進化だと思うのだ。こういったアレンジは生存競争として日本に最適化していると言ってもいいんじゃないだろうか。
落語でもそうだ。人情噺で知られる大晦日の名演目「芝浜」は僕が知っているくらいだから古典だ。だが、調べてみたら元は即興から生まれた長屋の笑い噺だったらしい。びっくり。これもどこかで進化したんだと思う。落語は同じ噺なのに、噺家の違いで全く違う味わいになることがある。カレーと一緒でアレンジへの寛容さとそれを積み上げてきた歴史がそうさせるのではないだろうか。古典とは進化の糧になってくれるものなんでしょうね。
ムガルの皇帝達に敬意を込めて、イヤホンで立川談志師匠の「芝浜」を聞きながら、今日はポークビンダルーを食べようと思う。
参考文献:『インドカレー伝』 L・コリンガム著 東郷えりか訳 河出書房新社